深夜図書

毎日23:30更新の書評ブログです。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

死ねばいいのに/京極夏彦~自分が殺した人間は果たして人間だったのだろうか~

 

≪内容≫

死んだ女のことを教えてくれないか。三箇月前、自宅マンションで何者かによって殺された鹿島亜佐美。突如現れた無礼な男が、彼女のことを私に尋ねる。私は彼女の何を知っていたというのだろう。交わらない会話の先に浮かび上がるのは、人とは思えぬほどの心の昏がり。

 

このタイトルの強さに惹かれて読んでしまいました。

初の京極夏彦

 

最後の解説の辻村深月が言うように「死ねばいいのに」とはとても軽やかに使われている言葉だと思う。

「死ね」でもなく「死んじゃえ」でもなく「死ねばいいのにね?」と囁き合う女子高生が簡単に想像出来る。

別に本気で思ってなくって、寧ろポップな感じ。

けれど、この小説の無礼な男ケンヤは切実に言い放つ。

 

「ーーーーーー死ねばいいのに。」と。

 

亜佐美という女

彼女はすでに三か月前に亡くなっている。

彼女のパソコンに残された履歴からケンジは6人の人物を訪問する。

 

一人目・・・派遣会社の上司(アサミと不倫関係)

二人目・・・マンションの隣人(アサミに元彼を寝とられたと思いこみ嫌がらせ三昧)

三人目・・・ヤクザの彼氏(DV男、上司の女だったアサミをお下がりで貰う)

四人目・・・亜佐美の母(20万の借金の返済にアサミをヤクザに売る)

五人目・・・警察署の人

六人目・・・弁護士

 

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亜佐美は母が大学在学中に産んだ子で世話は祖父母が行っていた。

その祖父母が自殺して母と二人になった。

母は3人の男と結婚するが離婚して借金暮らしをしていた。

そして借金のカタに亜佐美を差し出した。

 

そしてその借金のカタに売られた先が彼氏の先輩であった。

散々亜佐美を使いこき、今の彼氏に売ったのである。

そうして亜佐美は新たなご主人様に尽くすのであった。

 

派遣会社では評判上々。

そこの上司と不倫関係に。

 

その事も気にくわない隣人の女性。

彼女もまた派遣社員である。がよく斬られている上に指名もない。

ヤる事しか考えない年下の彼氏に業を煮やし、マンションから追い出すと、数日後亜佐美の部屋を訪ねる元彼を発見。

勝手に寝とられたと逆恨みし、嫌がらせを始める。

 

亜佐美は不幸なのか?

弁護士は言う

不幸じゃない?何を言ってるのかね君は。どこをどう理解したら不幸じゃないなんて結論が出ますか。いいですか。鹿島亜佐美さんは、母親の金銭便宜を図るために暴力団の準構成員の情婦にさせられたんですよ。しかも盥回しにされた。彼女と特殊な関係にあった佐久間という男は、兄貴分から彼女を払い下げられたんです。いいですか、モノ扱いですよ。彼女自体に借金はないし、連帯保証人になっていた訳でもない。そんな目に遭わなければならない謂れは鹿島亜佐美さんにはないんですよ。それなのにどうです。反社会的な人間に弄ばれて、貢がされて、それで不幸じゃないと言うんですか。

 

不幸か、幸せか。

その基準って人それぞれで。

亜佐美はただ現実を受け入れていた。

それで自分に出来る事をいつでもしていた。

そして人のせいにしないで自分の人生を歩いていた。

 

亜佐美以外の人間は自分の事を棚にあげて周りのせいにしてた。

 

だけど死んだのは亜佐美。

幸せを感じていたのも亜佐美。

 

死んだら不幸なのか。

 

ケンヤという男

何を隠そう亜佐美を殺した張本人であるケンヤ。

しかしケンヤは亜佐美と4回しか会っていない。

彼氏でもない。ただ亜佐美に呼び出され話を聞くだけの関係。

だからこそ自分のした事の程度が分からない。

人を殺したなら殺人。

なら亜佐美はどんな人間だったというのか。

イイ子だったとか淫乱だったとかお荷物だとか所有物だとか犬だとか子供だとか被害者だとか、そんなもんじゃないっしょ。アサミは人間すよね。人間だから、俺は殺人犯なんすよね?そんな能く解らねーもんだったなら、壊しても殺しても怒られないすよね?でも、誰も教えてくれねぇの。上司も友達も恋人も親も、刑事さんもアサミが人間だって言わないんすよね。

そんな能く解らねーもんだったなら、壊しても殺しても怒られないすよね?

 

この言葉ズシっと来ます。

人を殺したなら殺人。

だけど人が人と認識してるものとは何?

モノと人間の違いとは何?

 

まるでモノの様に扱っておいて、失った時に悲しんだり怒ったりする。

どうして?

子供の様な疑問。

 

大人になって勝手に象られてしまった固定概念。

大事なものは大事にしなきゃいけないよね?

 

一生満足出来ない人

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ケンヤが亜佐美を通して出会った人達は何とも不幸な人達ばかり。

お、お前みたいな人間に解るかよ。私の苦労が。嫌でも辞められないんだよ。辛くて辛くてやってられないけど、もう限界だけど、それでも止められないんだ馬鹿野郎。 

だ、だから何なのよ。あたしは真面目に、ほんとに真面目に生きてるんじゃないよ。なのに何なの?周囲は馬鹿ばっかりじゃない。何処も彼処も馬鹿が仕切ってるの。いつだって馬鹿がのさばってんのよ。

 若造のくせに偉そうな御託ばかり吐かしやがってよ。お前俺の立場になってみろよ。俺はよ、雁字搦めなんだよ。考える余地なんかねえよ。無能な兄貴分に押し付けられたお古の女とよ、組とよ、どっちが大事だよ

何もしたくないわ。働きたくなんかないわよ面倒臭い。ずっと寝てたいわ。ちやほやされたいわ。(省略)そうなりたいのよ。そうならないのは、運が悪いからよ。馬鹿な親や邪魔な娘や駄目な亭主どもの所為なの。

 

自分の人生は自分のもの。

良くも悪くも自分で切り開いていくしかない。

嫌なら変えるしかない。

変えられないなら逃げるしかない。

逃げられないならハードルを下げるしかない。

 

何を一番大切にしたいか

その軸がブレていると自分の基準を他人の目に任せてしまう。

そしてその他人の目に勝手に脅えて勝手に優越感を覚えて勝手に不幸になっていく。

 

ブランド物をたくさん買いたいとか

高級外車に乗りたいとか

社長になりたいとか

お給料あげてほしいとか

自分を認めてほしいとか

 

自分の欲望は自分で責任もって昇華させなきゃ一生幸せを感じられないよ。

 

「死ねばいいのに」とは

なぜケンヤが「死ねばいいのに」と問いかけていくのか。

 

人は生まれたら生きる。

何か当たり前に生きるために仕事をする。

仕事が辛かろうが、家庭が不和だろうが、生きるために生きていく。

それが人間。

「死ねばいいのに」て言われたって「はい、死にます」という人はいない。

だけど亜佐美は違う。

幸せを永遠にする為に死んだ。

亜佐美は人間だったのだろうか。

 

残虐で卑劣な事件の犯人を「人でなし」「人じゃない」というけれど

亜佐美は寧ろ優しい人だった。

誰にも迷惑をかけないようにしていた。

 

なのに人間とは思えない怖さがあった。

 

亜佐美のような人に出会ったことはないけれど、会ったらどうするかなぁ。

どう思うだろう。

何か普通に言葉が話せて、同じフォルムで・・・・うん。人間か否かって考えたことなかったな。

「人間らしく」とかいうけど、人間らしさってなんだ?

そんな事を新たに感じさせる小説でした。

 

次は京極さんの違う作品を読んでみたいと思います。