深夜図書

書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

妖怪アパートの幽雅な日常②③/香月日輪~年を食っただけの奴を大人とは言わない!~

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≪内容≫

②「なんなりとご命令を、ご主人様」封印の解かれた魔道書から現れる22匹の妖魔たち。自らの秘めた力に気づいた夕士と親友・長谷。運命の幕あけ。

 

③この世のものではないモノたちと、世にも稀な妖怪アパートで共同生活を始め、2年目をむかえた高校2年生の夕士。魔道士の修行をしつつも「普通」の高校生として過ごす平和な日常に、怪しい影が…。学校の怪談?講堂の小部屋にオバケが出るという噂が。確かめに行った夕士と田代、妖魔フールがそこで目にしたものは…。

 

 

妖怪アパート②巻では、不思議な魔道書との新たな出会いが!

③巻では大人とは?自分とは?ある事件をきっかけにまた成長する夕士。

 

 

プチ・ヒエロゾイコンと長谷

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妖怪アパートに戻ってきた夕士。

そんな折、ここの住人のひとり・古本屋がたくさん本を抱えて帰ってきた。

 

例えば、『ミロのヴィーナス』に両腕があったなら、あれほど絶賛はされていないだろう、という説がある。

ミロのヴィーナスがあんなに人を惹きつけるのは、"果たして元はどんな姿だったのだろうか?"という想像をかきたてるからだ。活字は、この想像する楽しみが一番多い分野だろ

 

本を読むようになって、想像力が増した気がする。

というのは、昔は本が好きではなく想像するのが面倒くさいと思っていたから。

 

なので、もっぱらアニメや映画、マンガが好きでした。

活字を楽しむには想像力がいる。

そして、想像力は世界を変える。

だから読書は必要不可欠なのだ。

 

そして、想像は毎日してるとクセになってくる。

想像は自由だ。

何よりも自由だ。

誰かの想像に身を委ねるのは全然自由じゃない。

自由になりたいなら、自ら想像する。

それが、自分を変える力にもなる。

 

古本屋が持ってきた魔道書に選ばれてしまった夕士。

そして、勇気を出して親友の長谷に妖怪アパートと魔道書プチ・ヒエロゾイコンを紹介することにした。

 

俺も、もっと夢を見るよ、稲葉

 

お前にこんな信じられないことが起きたんだ。

それに比べりゃ、俺が夢見てることなんてまだまだ現実的だって痛感した

 

理想だけを口にしない現実的な長谷もまた、妖怪アパートと出会い変わっていく。

これまでも親友だったけど、もっと近くなったふたりの距離。

 

 

共に認め合って成長してこそ親友。

 

妖怪アパートはふたりの絆も見どころです。

 

子供にとっての大人

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長谷と一緒にアパートの大人たちの話を聞く夕士。

大人に対して非常にシビアな長谷も興味津々で聞いている。

 

それにしても、この変人大人どもの話を聞くのは楽しくて仕方がない。

大人たちの口からは、世界のありとあらゆる地名が出てきて、そのリアルな話しっぷりに自分もその街角でいるような気になれた。

 政治の話やら宗教の話やら、風呂場でしたような目をむくようなスゴイ話にワイ談まで。

ためになったり、ならなかったり。

大人たちはどんな深刻な話をしても大らかで、厳しくてふざけていて真面目で、俺たちはその広い広い世界に包みこまれる感じがした。

 

大人の役割って人生って楽しいぜ~ってことを口で言うんじゃなくて、自分の生活や言動や態度で伝えることなんじゃないかなぁと思います。

 

「不景気だから大変よ~」「大人にはイロイロあるのよ」「子どものうちに遊んでおきなさい、大人になったらそんな暇ないんだから」

 

こんなこと言われてたら「大人になんかなりたくない!」って思いますよね。

 

なんだか大人になったら、楽しいこともふざけたことも全て捨てて社会の歯車にならなきゃいけない・・・みたいな。

大人になったら色んなものを取り上げられちゃうような。

 

大人だからこそ、伝えられること、助言できることがある。

それが子どものためになるのはきっと、夢があることだけだ。

 

夢があるって、スーパーヒーローみたいな話じゃなくて、等身大の自分で楽しく生きられるってことを見せることだと思う。

 

そう。「先輩」であり、「先生」なんだよ、まさに。

子どもにとっての大人の存在って、それなんじゃねぇ?

 

 

救えないものは救えない

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どんなに大きな手ですくっても、水はそこから零れ落ちる。水かきがついてるっていうお釈迦様の手からも、水は零れてしまうだろう。

アタシたちができることは、手の中に残った水のことを考えること。零れた水のことじゃない。

それは、零れた水のことはどうでもいいんだという意味じゃない。

あきらめろという意味でもない

 

誰かを助けたい!

悩みから解放してあげたい!

その為に何かしてあげたい!

 

そう思ったこと、誰にでもあると思います。

そして、自分が頑張ってもどうにもできなかった現実に落ち込んだこともあると思います。

落ち込んで、「自分がもっと話を聞いてあげれば」「あのとき、気付いてあげられたら」そう後悔して苦しむ人もいると思います。

 

私は、人を救うなんてことは大抵の人が出来ないと思っています。

例えば悩んでいるところからすくったとしても、本人がまた飛び込むこともあるだろうし、実は悩んでいることが楽だったりするからです。

それは本人の問題なのです。

 

だけど、だからといって「どうでもいい」と思っているわけでもあきらめているわけでもなくて、それは自分にはすくえなかっただけの話なのです。

 

それは私以外の誰かの手を求めてるのかもしれないし、助けなんて求めていないのかもしれない。

はたまた、自分自身で乗り越えなきゃいけない壁なのかもしれない。

 

自分の気持ちとは別に救えないこともあるのだという覚悟ができて、手を差し伸べることが出来るのだと思う。

 

覚悟のない手じゃ何もすくえない。

だけど、覚悟があれば少しはすくえるかもしれない。

 

そして、そのすくい方は人それぞれ。

 

大事なのは、すくえなかったと自分を責めないこと。

自分を責められないくらい最善を尽くすこと。

 

 

今回も深い内容の詰まったお話でした。

妖怪アパートの幽雅な日常(2) (YA! ENTERTAINMENT)

妖怪アパートの幽雅な日常(2) (YA! ENTERTAINMENT)

 
妖怪アパートの幽雅な日常(3) (YA! ENTERTAINMENT)

妖怪アパートの幽雅な日常(3) (YA! ENTERTAINMENT)

 

 妖怪アパート、どこかにないかなぁ。笑