深夜図書

不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

【映画】裸足の季節MUSTANG~夢見る季節の先の未来なんてあきらめしかないと思う~

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 昨年の6月に観たいな~と呟いて、半年後にはDVD出てました。びっくり。

 

予告編

www.youtube.com

なんか予告だと爽やか映画みたいになってますが、全然違います。

これはもうしょうがないことかもしれないんですが、洋画って原作と日本版では解釈が変わってしまうような気がします。

日本題「裸足の季節」と原作の「MUSTANG(野生の馬)」では大分雰囲気違いますよね。

日本題「裸足の季節」はまさに松田聖子の「裸足の季節」の大人になるまえの青春特有の爽やかで未来に向かう少女のような印象を与えると思うんですが(予告編もそう感じた)、内容は一生檻の中で暮らすか死ぬかの二択から抜けだそうとする話です。

 

 

 

末っ子・ラーレ

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主人公は末っ子のラーレ。

末っ子故に誰よりも早く檻に閉じ込められ、姉たちの未来を見てきました。

好きな人と結婚した長女。

無理矢理結婚した次女。

縁談が決まり壊れていく三女。

まもなく新たな檻が用意される四女と自分。

 

彼女はタイミングを見て逃げようと密かに叔父の車を運転しようとするが発進しない。

そこで道を通りかかるドライバーに「運転を教えて!」と頼むが「面倒事に巻き込まれたくない」と断られてしまう。

それでも彼女はあきらめない。

私だって危険を冒して頼んでる

必死に頼みこむラーレ。

男と話しているところを叔父や祖母、近所の人に見られたら半殺しではすまないかもしれない。

もう二度と家から抜け出せないかもしれない。

永遠に未来が閉ざされてしまうかもしれない。

 

彼女は何度もやりきれない思いで姉たちを見送ってきました。

自分にはどうにもできない無力さを味わい、姉たちの死んでいく瞳を見つめながら日々を過ごしていく。

 

次女は初夜にシーツに血がつかなかったからといって病院に行き処女検査を受けさせられます。

三女は縁談後に見知らぬ男とカーセックスをします。

四女は叔父に性的虐待を受けている。(多分)

 

一番下のラーレは何も知らず、非力です。

しかし何も知らないからこそ、なぜ姉たちが運命を泣きながら受け入れるのか

本当にイスタンブールまでは行けないのか

この檻から抜け出すことは出来ないのか

そういった「夢見る季節」の中にいます。

 

人は誰しも「夢見る季節」を持っていると思うんです。

それを見送るも、そこで過ごすも自由で、未来には夢見る季節がないわけではありません。

ただ当たり前のように「大人」になるための通過儀礼のように捨ててしまう。

それを持ったままじゃ「大人」になれないとでもいうように。

 

夢見る季節は終わりがくるから未来へと走り出す

 

そんな未来に何があるというの?

そこでは「あきらめ」しか手に入らないのではないか。

祖母がいう「いつか」、姉が言う「慣れる」。

そこに未来はあるの?

 

ラーレと四女は無事にイスタンブールへ逃亡。

冒頭でイスタンブールへ転勤になった先生を訪ねます。

先生は驚きながらもラーレを抱きしめてくれました。

そこでこの話は終わりです。

しかし、それでハッピーエンドなのでしょうか。

彼女達はこれからどうやって生きていくのだろう。

 

危険を冒して飛び込んだ未来は彼女達を受け入れてくれるのだろうか。

 

 

 

本当に欲しいもの

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最後にイスタンブールへ向かうバスの中、眠ってしまったラーレが見たもの。

こっそり5人で抜けだしてサッカー観戦に行ったときの記憶。

前に姉3人がいて、後ろに自分と四女がいる。

いつも前にいた3人はもういない。

この時向かったのはサッカー観戦だったけど、今向かっているのはイスタンブール

本当はあの日の5人のままイスタンブールに行きたかったんだと。

もう二度と戻らない姉妹の季節。

 

大人は少しでも処女じゃない疑いがあると結婚できないといって、結婚こそ人生のように言うけれど。

本当に欲しいものは、自分にとっての人生とは、姉妹5人ではしゃいで遊んだあの日のような毎日だと、誰が分かってくれるだろう。

それを「夢見る季節」というのだろうか。

 

それは大人になったら永遠に訪れない季節なのだろうか。

 

いつまでも子供でいられないことなんて誰にでも分かってる。

だけどそれは大切なものを切り捨てることではない。

大切なものを大切にしたまま新しい扉を開くのはいけないことなの?

 

 

さまざまな大人たち

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彼女達が脱走するたびに檻は頑丈になっていく。

逃げ道を一個一個確実に塞がれていく。

しかし、全ての大人が彼女達を閉じ込めようとしているわけではありません。

 

祖母は叔父の意見も尊重しつつ、彼女達の自由への道も守ります。

女性限定のサッカー観戦に無断で行った彼女達は運悪くカメラに抜かれてしまいます。

家では叔父たちがテレビでその中継を見ようとしたところ。

慌てて祖母は家のブレーカーを壊しますが、他の家では電気が使えているので叔父たちは不審に思います。

そこで祖母は村の送電機に石を投げつけ村全体に停電を起こすのです。

 

また、最後にラーレと四女を助けにきたドライバーも「面倒事に巻き込まれたくない」

 と言っていたのにラーレのSOSに駆けつけます。

そしてイスタンブール行きのバスに乗り込む二人に手を振り別れます。

 

四女が結婚を拒否したとき叔父は怒り狂いましたが、それを制止する声をあげる人もいました。

 

監督のインタビューにありましたが、全ての大人が男尊女卑なわけではないようです。

人それぞれ、といったところのようです。

ただ、それでも小さい頃からの風習とか常識というのは自分で間違いに気付いても覆すのは大変だと書かれていました。

 

 

外国の映画や小説を感じたあと、私はその国のことはなるべく考えないようにしています。

その国の宗教や風習や経済や文化など、そこまでのことを深く知らないし、肌で感じたことがないからです。

ただ知る。

そういうことがあるんだな、そういう考えもあるんだな、というだけ。

 

 

置かれた場所で咲きなさいという言葉がありますが、人は生まれる国も親も環境も選べません。

だからこそどうやって生きるかが大切だと思うのです。

国や親や環境を比べたり、悲観しても何も変わらない。

偏見や差別の感情を持つより、自分はこの国に生まれてこの環境でどうやって生きていくか。

世の中のニュース。

どこかの国で空爆が起きて、テロで何人死んで、地震で何万人避難して・・・

悲しく思うこと、やるせなく思うこと、悔しく思うこと、たくさんあります。

 

今生きている人たちは、みんなが末っ子であり中間子であると思います。

だからこそラーレが捨てなかった「夢見る季節」を持っていると思うのです。

その自分だけの「夢」を捨てた先の未来なんてあきらめと慣れにまみれた生活だと思います。

「夢見る季節」は自分の中で息づいていて、その夢が変わるごとに、春から夏に変わるように、秋から冬に変わるように、変化していけばいい。

自分が捨てなければいいだけのことだから、大切なものを見つけたらそれを大切にしたまま未来に向かえばいい。

 

そんなことをこの映画を見て思いました。

大切なものを大切にしよう。

裸足の季節(字幕版)

裸足の季節(字幕版)