≪内容≫
イスタンブールから1000km離れたトルコの小さな村に住む、美しい5人姉妹の末っ子ラーレは13歳。10年前に両親を事故で亡くし、いまは祖母の家で叔父とともに暮らしている。学校生活を謳歌していた姉妹たちは、ある日、古い慣習と封建的な思想のもと一切の外出を禁じられてしまう。電話を隠され扉には鍵がかけられ「カゴの鳥」となった彼女たちは、自由を取り戻すべく奮闘するが、一人また一人と祖母たちが決めた相手と結婚させられていく。そんななか、ラーレは秘かにある計画をたてる……。
邦題「裸足の季節」、原作「MUSTANG(野生の馬)」。
「裸足の季節」はまさに松田聖子の「裸足の季節」の大人になるまえの青春特有の爽やかで未来に向かう少女のような印象を与えると思うんですが(予告編もそう感じた)、内容は一生檻の中で暮らすか死ぬかの二択から抜けだそうとする話です。
檻の中で見る夢の先
舞台はトルコの小さな村。主人公は5人姉妹の末っ子・ラーレ。末っ子故に誰よりも早く家という檻に閉じ込められ、姉たちの未来を見てきました。
・好きな人と結婚した長女。
・無理矢理結婚した次女。
・縁談が決まり壊れていく三女。
そしてまもなく新たな檻が用意される四女と自分。
彼女は幸せになっていない姉たちを見て、タイミングを見て逃げようと密かに叔父の車を運転しようとするが発進しない。そこで道を通りかかるドライバーに「運転を教えて!」と頼むが「面倒事に巻き込まれたくない」と断られてしまう。それでも彼女はあきらめない。
私だって危険を冒して頼んでる
そう言って必死に頼みこむラーレ。
男と話しているところを叔父や祖母、近所の人に見られたら半殺しではすまないかもしれない。もう二度と家から抜け出せないかもしれない。永遠に未来が閉ざされてしまうかもしれない。だけど、それでもやるしかないのです。
彼女は何度もやりきれない思いで姉たちを見送ってきました。自分にはどうにもできない無力さを味わい、姉たちの死んでいく瞳を見つめながら日々を過ごしていく。
次女は初夜にシーツに血がつかなかったからといって病院に行き処女検査を受けさせられます。三女は縁談後に見知らぬ男とカーセックスをします。四女は叔父に性的虐待を受けている。(多分)
一番下のラーレは何も知らず、非力です。しかし何も知らないからこそ、
・なぜ姉たちが運命を泣きながら受け入れるのか
・本当にイスタンブールまでは行けないのか
・この檻から抜け出すことは出来ないのか
そういう疑問を純粋に感じられる「夢見る季節」の中にいました。
ラーレは村を出てイスタンブールへ向かうバスの中で眠ってしまいます。こっそり5人で抜けだしてサッカー観戦に行ったときの記憶。前に姉3人がいて、後ろに自分と四女がいる。だけどいつも前にいた3人はもういない。
この時向かったのはサッカー観戦だったけど、今向かっているのはイスタンブール。本当はあの日の5人のままイスタンブールに行きたかったけれど、季節は少女たちの成長を待たずにやってきてしまった。
もう二度と戻らない五人の季節。
この村の大人は少しでも処女じゃない疑いがあると結婚できないといって、結婚こそ人生のように言うけれど。本当に欲しいものは、自分にとっての人生とは、姉妹5人ではしゃいで遊んだあの日のような毎日だと、誰が分かってくれるだろう。それは「夢見る季節」で現実では見れない季節なのだろうか。
彼女達は初めから諦めていたわけではありません。誰かが脱走するたびに檻が頑丈になっていって逃げ道を一個一個確実に塞がれていったのです。
しかし、全ての大人が彼女達を閉じ込めようとしているわけではありません。
祖母は叔父の意見も尊重しつつ、彼女達の自由への道も守ります。女性限定のサッカー観戦に無断で行った彼女達は運悪くカメラに抜かれてしまいます。家では叔父たちがテレビでその中継を見ようとしていた。慌てて祖母は家のブレーカーを壊しますが、他の家では電気が使えているので叔父たちは不審に思います。そこで祖母は村の送電機に石を投げつけ村全体に停電を起こすのです。
また、最後にラーレと四女を助けにきたドライバーも「面倒事に巻き込まれたくない」と言っていたのにラーレのSOSに駆けつけます。そしてイスタンブール行きのバスに乗り込む二人に手を振り別れます。
四女が結婚を拒否したとき叔父は怒り狂いましたが、それを制止する声をあげる人もいました。
監督のインタビューにありましたが、全ての大人が男尊女卑なわけではないようです。人それぞれ、といったところのようです。ただ、それでも小さい頃からの風習とか常識というのは自分で間違いに気付いても覆すのは大変だと書かれていました。
外国の映画や小説を感じたあと、私はその国のことはなるべく考えないようにしています。その国の宗教や風習や経済や文化など、そこまでのことを深く知らないし、肌で感じたことがないからです。ただ知る。そういうことがあるんだな、そういう考えもあるんだな、というだけ。
人類規模で考えてみれば今生きている人たちは、みんなが末っ子であり中間子であると思います。だからこそラーレが捨てなかった「夢見る季節」を持っていると思うのです。
その「夢」を捨てた先の未来なんてあきらめと慣れにまみれた生活だと思います。「夢見る季節」は自分の中で息づいていて、その夢が変わるごとに、春から夏に変わるように、秋から冬に変わるように、変化していけばいい。
自分が捨てなければいいだけのことだから、大切なものを見つけたらそれを大切にしたまま未来に向かえばいい。
そんなことをこの映画を見て思いました。
覚めない夢の中で生きるんじゃなくて、夢を追いかけるために生きていたい。