深夜図書

毎日23:30更新の書評ブログです。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

土の中の子供/中村文則~それを見ることができるのなら、何をしてもいいような気がした~

≪内容≫

27歳のタクシードライバーをいまも脅かすのは、親に捨てられ、孤児として日常的に虐待された日々の記憶。理不尽に引きこまれる被虐体験に、生との健全な距離を見失った「私」は、自身の半生を呪い持てあましながらも、暴力に乱された精神の暗部にかすかな生の核心をさぐる。人間の業と希望を正面から追求し、賞賛を集めた新世代の芥川賞受賞作。著者初の短篇「蜘蛛の声」を併録。

 

「教団X」がアメトークで紹介されたということですごい人気になってますね。

「アメトーーク!」で大絶賛!教団Xの著者・中村文則の作品まとめ - NAVER まとめ

私もそれで中村文則さんを知ったのですが、まさかこんなに暗い話だとは思ってなかったです。

でもなぜかページが進むんです。

主人公に全然共感出来なくて、誰にも感情移入出来ないのにどんどんどんどん惹きこまれていく。

恥ずかしながら「純文学」って何か知らなかったのですが、あぁこれか・・・と思いました。

私が感じたことを書いていきます。

 

 

転がり続けた先に

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その先に、そいつがどうなったのか。

何ていうのかな、人間の最低ラインってどこなのかっていうかさ。

どこまで行けるものなのかなって

主人公その先にあるものを求めている。

圧倒的な力で自分を虐げてきた他者と、それを乗り越えてきた自分。

お前らの思う通りになるものか。

彼は施設で育ちますが、そのときに「トク」という少年がいました。

彼は「不幸な立場が不幸な人間を生むなんてそんな公式、俺は認めないぞ。それじゃああいつらの思う通りじゃないか」と主人公に言っていました。

そんな明るく、人なつっこい少年は20歳を越えた辺りに自殺していた。

主人公は27歳。

何度も恐怖と対面してきた。

自ら選んだ恐怖にも巻き込まれた恐怖にも。

自分を踏みつける暴力にも理不尽にも恐怖を感じないようになれば私は打ち勝つことができる。

この世界に。

虐待の果てに「なぜ?」と問うことではなくて、圧倒的な暴力に打ち勝とうと戦い続ける主人公の話。

内容はとても暗いですが、本質はとても力強いと思います。

 

 

優しさはどこに

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ただ・・・優しいような気がしたんだ。

これ以上ないほどやられちゃえばさ、それ以上何もされることはないだろう?世界は、その時には優しいんだ。驚くくらいに

 何もされない先に優しさがあるのではなくて

自分が傷付いた果てに優しさを見出す主人公。

この表現がとても痛くて胸が苦しくなる。

しかし、何が「当たり前」で何が「日常」かというのは人によって違う。

昨今、虐待の末に子供が死ぬという事件が目につくようになったと思う。

彼らにとっての「当たり前」や「日常」は、この主人公と同じだったのではないか?と思う。

最後に主人公は身の回りにある「優しさ」に目を向けることを決意して過去と決別し、前に進むことにした。

 

一人の人間の壮絶な戦いを見せつけられたような気持ちです。

一見「死」に向かう話かと思いきや、誰もが目を背けたい「恐怖」に進んで向かう話です。

その先には死があったかもしれない。

それでも戦うことで得たものが彼にあったのだと思う。

 

この本で驚いたのは「こんな考えがあるんだ」ということ。

ありきたりな感想ですが、結構本は読んで来て「大体こういう考えかな」とか予測がつかなくても「なるほど」と思える話がほとんどだったのですが、この本に関しては胸がドキドキするような表現がたくさんありました。

 

うわ、すごいな、この人の本を全て読んでみたい、この人が読んできた本を読んでみたい。

新たな考えとの出会いです。

共感も不快もなく、ただ静かに染まっていく感じです。

 

 

蜘蛛の声

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その隠れているという状態が、その行為が、たまらなく快感だったんだ。この刺すような緊張、やり過ごす、という喜び、そして何より、自分が今隠れているという意識それ自体が、お前を酷く興奮させたんだ。そして、お前は気がついた。

こうしていれば、自分を引いていくものから逃れることができると。

面倒で不快だった日々を、やり過ごすことができると思ったんだ。

お前に関わり合う全てのものから、その煩わしさから、逃れることができる。

 「土の中の子供」とは別の短編「蜘蛛の糸」です。

逃げ続ける少年と、少年に入り込んでくる蜘蛛の話。

この蜘蛛の出現は夜。つまり地獄からの使いという風にも思えますね。

彼は悪魔の声に動揺する。

まるで、悪魔の言っていることが真実かのように思えてくる。

自分が目を背けていた部分に悪魔が浸け入ってくる。

 

自分を引いていくものとは、自分の意思とは無関係に流れていく社会の流れ。

そこから逃げてきたけど、逃げるのではなく断ち切らなければならないと思ったところで本作は終わっている。

 

人間関係は否応なしに繋がっている。

その繋がりは正しさを示し、そこから逃げ出すもの、その繋がりから除外されたものをひそやかに否定する。

最後に「この生活を続けるために、自分に追し迫ってくる全てのものを、ありったけの力で切り落としてやるのだ」となっています。

自分を支配しようとする糸を切り落とす。ということだと思います。

彼はそんな糸から逃げてやり過ごせていると思っていたのに、蜘蛛の言葉でその糸はまだ自分を掴み強く引いていることに気付いた。

 

「私は何かを、ナイフのように使わなければならない」という「何か」というのは「言葉」や「行動」なのかもしれない。

それこそが他者から放たれる一方的な糸を切り落とすナイフ。

 

純文学の面白さというのは、学生のころは全く分からなかった。

「で?」という感想に至るのが常だった。

「あ・・・うん。」みたいな。

だけど今では、ここまでたくさんの言葉を使ってきて、それでもなお答えを読者に考えさせるのはすごいことなんじゃないかと思う。

作者が自分はこういうことを伝えたくてこの話を作りましたと提示するのは簡単なのかもしれない。

それは読者にとって「腑に落ちてスッキリ」「そういうことね」「なるほどね」「そういう考えもあるのね」と考えなくとも答えがあるようなものだから、自分と向き合う読書にはならない気がしてきた。

もちろん「自分だったらどうするか」とか自分を軸にして考えることで見つめ直すことにはなっても、そこから自分でも知らなかった自分というものは見つからないんじゃないかなと思う。

 

書評を書くにあたって純文学という答えのないもの、というか読んで自分でも迷ってしまうような作品を読んだときはとても書くことがない。

書いてる内に「あれ?こうかも」「やっぱ違うかも」「でもそうかも」とか、迷走しまくっている。

 

一気に盛り上がるような興奮はないけれど、静かに、でも確実に積もっていく雪のように感じました。

純文学をずっと読んでいたら、いつの間にか積った雪で外の世界と隔たれてしまうかもしれない。

今はそれがちょっと怖いから、純文学は5回に一回くらいの割合で読もうと思う。