深夜図書

毎日23:30更新の書評ブログです。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

されど"服"で人生は変わる/齋藤薫~服にはその人の人となりが表われるのかもしれない~

≪内容≫

「面白くって役に立つ!」と大評判。人生の岐路に、危機に、停滞に効く、オシャレの処方箋。大人気エッセイが新書版で登場!

 

この人のコラムが好きです。

結構ばっさりと斬るので。

この本も最初から「愛されるってそんな簡単なことじゃないでしょ」と仰っています。

安易に「こうすれば愛されま~す」という本じゃないので好きなのです。

 

ぶっちゃけ私は服ってあんまり興味ありません。

何が好き?と聞かれると分からないけど、ゴスロリ系やギャル系は自分が着るなら絶対嫌だし、なんとなく下半身はゆるっと、上半身はピタっとしたのを選んでいたり、チェック柄が好きだったり、興味ないなりにこだわりがあるらしいので、ちょっと読んでみました。

 

 

オシャレするほどヒマそうに見える

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たとえばだけれど、ネイルアートに凝りまくれば、それだけで"ヒマしてる女"に見えてしまう。髪型がいつもめまぐるしく変わる人、いつもやりすぎなくらいスキのないオシャレをしている人って、やっぱりいろんな意味で"ゆとり"ありすぎの女に見えてしまう。 

 

もちろん"自分に手間をしっかりかけること"を揶揄するつもりなどない。でも、美容ばっかりしている女には見られたくないだろう。オシャレばかりしている女には見られたくないだろう。

それは同時に"何も考えてない女"をイメージさせ、同時にちょっと"退屈な女"をイメージさせてしまうから。

正直分かる。

美容とオシャレに熱心な人は結構空っぽなことが多い。

これは生き方の問題でもある。

私の職場の先輩は、昼は私たちと同じ職場で働き夜はホステスをしている人がいる。

お金を貯めて自分の店を開きたいとのこと。(ヨガやエステ)

この時点もし私だったら最低限の生活費、ホステスをやる上での美容費(肌、髪)以外は貯蓄に回すと思う。

しかし先輩はホステスを始めてから大きなヴィトンのバッグ、ティファニーの眼鏡など、とりあえず何でもかんでも名だたるブランドもので身を固めているのだった。

・・・というように、オシャレや美容が一番大事でリフレッシュ要因になっている人が実際にいます。

私からすると、ヴィトンです!っていうロゴが散りばめられたバックを持っている人にオシャレ感を見たことないし、むしろ恥ずかしい・・・と思っています。

なぜか、めっちゃキメてるオシャレって良くは見えない。

無造作感の方がよっぽど知的に見える。

というか女性も男性もスタイルが良いと何着てもオシャレに見えると思っているので、オシャレって筋トレと明け透けなブランド物持たないことだと思う。

 

もし恋人がとんでもなくオシャレでイケメンでもバカだったら絶対嫌いになる。

本書では「男はデキそうな女が好き」って書かれていますが、女だってそうだと思う。

ここでいう"バカ"とは会話にならないことを言います。

会話にならないというのは知識ではなくて、キャッチボールが出来ないことです。

私の中ではこういう人が一番バカだと思っています。

学歴とか仕事内容とかより、人の話を聞くってことが出来ない人が世の中には本当にいるんです。

 

 

カジュアルがうまい女は人間的なセンスが光る女

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女としての欲が露骨に出てこない、しかし女として屈折もない。つまり"女性性"と"男性性"のバランスが見事にとれている女は、必ずカジュアルをうまく着こなしている。たぶん肩の力が抜けていて、生きることに無理がない、そういう意味での落ちつきが、カジュアルを選ばせるのではないか。

服って何のために着るんでしょうか。

見栄のため?自分へのご褒美?裸じゃダメだから?

服って、その人の精神状態を表している気がするんですよね。

相手にちょっとでも好かれたいって気持ちがあれば自分がよく見えるようなコーディネートをするし、行く場所とかTPOに合わせてズボンとかスカートとか変わりますよね。

開放的な人は露出度高めだったり、内気な人はタートルネックにひざ下スカートだったりする気がします。

その人のイメージというのがあるから「なんか今日違うね!」という言葉が飛び交ったりするし。

夏に思いっきり谷間も脇も開放的な服を着ている子を見ると、同じ女性でも「うお」って見ちゃいますし、「この子大丈夫かな・・・」とか思っちゃいます。

服の趣味ってその人のイメージ像に大きく影響しますよね。

人は見た目って服装も入りますよね。

髪質や肌は体質によってどうしても荒れたり収まらなかったりするけど、服はその人が自分で選んだもの。

だからこそ、服にはその人が表われるのかもしれません。

 

 

スタイルがある人とは

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男たちに「どんなファッションの女性が好き?」と聞くと、じつはこういう答えが多く返ってくる。

 

「その子に似合っていれば、どんなファッションでもいい」

 

(中略)その人に似合っている・・・それこそがスタイルがあるってことなのだ。人とファッションが一緒になって作りあげる、人を惹きつけるオーラ。まさに耳に残るメロディみたいに人を心地よくし、魅了し、忘れさせなくする。それがスタイルなのである。

冒頭にあった愛されること→可愛いこと→愛される方法→愛され服とか全く意味なくね。

雑誌の「これが愛され服!」「モテ★服」の無意味さよ。

というか雑誌のこういう煽り文句ってビッチ向けなのかなって思う。

不特定多数の男性から愛されたい。求められたい、そういう人向けというか。

だって、本当に好きな人がいて本当に好きになってもらいたかったら服でどうこう出来る問題じゃなくないですか。

私は一目ぼれする方じゃないから分からないだけかもだけど、人を好きになるときとかもっと知りたいなって思うときとか、そう思ってもらいたいときって会話しかないと思っている。

モデルとか、ショップ店員同士なら「これOOの服ですか?」とか高度な会話に発展するかもしれないけれど、一般の人がそのブランドの歴史とか型紙についてとかそこまで掘り下げて服に愛を持っているとは思えない。

だったら自分が興味を持っていること、日々感じていること、どうやって生きていきたいかとか何が好きとかそういうところで知ってもらうしかなくないか・・・と思う。

 

最後の最後に

もうひとつだけ。

スタイルがある人は、朝、服選びやコーディネートにあまり悩まない。服の買い物もスムーズで、無駄な服もあまり買わない。従って、多くの女性が毎朝のように抱え込むストレスをためないのだろう。いつも穏やかな幸せそうな顔で生きられる。だから、その分だけよけいに人に愛される。オフィスでも恋愛でも。

その結果、もっと幸せになる。

そして人生がぐるりと丸ごとうまくまわる・・・。

それこそが、スタイルの力なのである。 

 結局"服で人生は変わ"らないじゃん!!

生き方じゃん!

服に惑わされるなってことじゃん!!!

 

と思いましたが、じゃあどんな服が負担にならないかとか、穏やかな人は柔らかい素材を選んでいるとか、こういう服は相手にどう見えるかとか、結構勉強にはなりました。

こんだけ「オシャレ」を押しておきながら「毎日ちがう服じゃなくてもいいじゃん」とか言ってるんでこの本ほんと好きです。

 

ほんと、その人に似合っているだけでそれだけでいいんですよね。

興味ないならないなりに無難でいいし。

好きって気持ちが溢れてるロリータも、むきだしのギャルも、自分では絶対やらないけど、好きなことしている人ってやっぱ見てて気持ち良いもの。

どんな"服"や"ファッション"が正解っていうのはなくて、生き方によって変わっていく。

オシャレもそこに哲学が見えたら決してヒマには見えない。

ココシャネルなんてすごく素敵。

それは彼女の哲学と確固たる意志がそう見せる。

シャネルを着たらその哲学や意思が受け継がれるわけではない。

ブランド物っていうのは、女性が地位の高い男性の妻になったことで自分も偉くなったと思いこむような錯覚と似ていると思う。

過程が空っぽな結果は相手には滑稽にしか見えない。

世間的に価値があるものを持つことはお金を出せば出来る。

けれどそこに便乗したところで自分の価値は上がらない。

ブランド物というのは誰でも持てるけど、人を選ぶと思う。

 

服って真剣に向き合えば、結局自分と向き合っていることになると思います。

そういう意味で自分に似合う型や色を探すのは、自分を探すのと同じです。

"服"単体で人生は変わらないけど、服を通して自分と向き合うことは人生を変えることに他ならないと、そう思いました。