深夜図書

毎日23:30更新の書評ブログです。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

ほんとうの花を見せにきた/桜庭一樹~ウォーキング・デッドは吸血鬼?それとも人間?~

≪内容≫

少年「梗」を死の淵から救ったのは、竹から生まれた吸血鬼バンブーだった。心優しきバンブーと、彼に憧れる梗との楽しくも奇妙な共同生活が始まる。だが、バンブーにとって、人間との交流は何よりの大罪であった。

 

桜庭一樹の何が好きっていうと、女とか男とかじゃなくて人が人を愛するっていうところです。

「私の男」で花の淳悟に対しての、男であり、父であり、息子であるような感覚。

本書での息子で親友で恋人で・・・と表現されている「ちいさな焦げた顔」。

 

愛する人に対して、男とか女っていう性的なところだけじゃなくて、母性本能が芽生えたり、威厳を感じたり、保護欲が芽生えたり、母に甘えるような感覚に陥ったり、そういうのが「特別に人を好きになる」って気がするんです。

 

それがなかったら世の中好きな人がいっぱいすぎて、誰が特別なのか分からない。

カッコイイとかカワイイとか仕事が出来るとか頼りになるとか、そういう外面的なものはみんなもっていると思う。

問題は自分の方で。その人に対して自分の感覚が揺さぶられるような、恋のドキドキだけじゃなくて、自分の中から色んな感情が溢れてしまうような、自分でも知らなかった感情が芽生えるようなときに「特別に人を好きになる」ことが出来る気がするんです。

 

桜庭一樹の話はいつだって人×人なんです。

男×男でも少女×少女でも兄×妹でも、キャラクター達が持つ愛は多種多様で特別なのです。

特別って、例外ってこと。

自分にとって例外な人に出会うには、自分も相手も心を開かなきゃ分からない。

人に合わせてちゃ例外にはほど遠い・・・。

 

 

命という火

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いつか、それぞれの火が、自然と消えるときがくる。

その日、平和の空に、飛んでいったなら。

年を経たいま、ぼくはそう信じたくなっていた。

そうでなければ取り返しがつかなすぎるだろう。

失ったものが愛しすぎるだろう。

かつても、いまこのときも、ぼくはこうやって失い続けてるから。だから。

私たちは生きていく中で色んなものを失っていきます。

自分から捨てたり、誰かに奪われたり、自然に消えていたり。

その中には失いたくなかったものも、苦渋の選択の上で捨てたものも、一生忘れないものもあるでしょう。

 

人間はいずれ死ぬ。

絶対に火が消えるときがくる。

その時までに自分から火を消してしまいたくなる瞬間は誰にでもあるだろう。

風に吹かれて、故意に消されそうになって、揺れて消えかけてしまった時もあるだろう。

そんな風に消えてしまった友達や、大切な人がいるかもしれない。

失くしたものを数え始めたら、悲しみで火が消えてしまうかもしれない。

 

そして"僕"は今、目の前で大切な人の火が消えるのを見てる。

平和の空で会える日を信じて。

 

 

神さまは悪を懲らしめてはくれない

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恐怖から解放されたい!

最後まで逃げろ、運命に抗え、生きるために死に物狂いで戦えと命じる人間の本能とやらに走らされるのはもうたくさんだった。

どうせ最後には、負けて、死ぬのに。

ゴールは同じなのに。

戦え、抗えというのか。

そんなことを命じる神様は考えなしの駄々っ子だ。

子どもが一人では絶対生きていけないような治安の悪い地区。

家族を惨殺された生き残りの梗ちゃん。(♂)

男たちが最後の生き残りである自分を探してる。どうせ人はいつかみんな死ぬ。だったらこの恐怖からすぐに解放されたい。

目の前に現れたバンプー(竹から生まれた吸血鬼)に身を明け渡すと、バンプーは梗ちゃんを抱いて空へ飛び立った。

 

神様は信じるものは救うかもしれないけど、悪を懲らしめてはくれない。

善良な市民たちばかりが死んでいく世界で、バンプーは半不死身かつ強い。

梗ちゃんは人間の弱さを目の当たりにしてバンプーに仲間にしてくれと頼むが頑なに拒まれるのだった。

 

この吸血鬼の葛藤はトワイライトとかが有名所でしょうか。

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 ただこの話は男と少年なんです。

恋愛的な愛じゃない。

それでも一人占めにしたい、離れたくない、そういう感情が自然に描かれています。

バンプーにとって最大の罪である人間との同居。

それを少年には隠して育て続ける二人のバンプー。

 

少年にとっては命の恩人でヒーローであり両親だった。

少年は死にそうだったところを助けられて、それでまた死にそうになって、それで二度目の家族との別れを経験し、結婚し、子供を作り、歳をとった。

 

かつてバンプーと過ごした家へ帰ってきた梗ちゃんの元に、大好きで愛しくて憎らしいバンプーが姿を現した。

この善良なバンプーが死ぬために戻ってきたのだ。

 

本作では善き人たちが殺されていき、罰を受けます。

これって遠い国の話でもフィクションでもなくって、現実に起きていますよね。

善き人達の良心に甘えたり、それを利用したりして、ゴネたり面倒な人には丁寧に接したり特別扱いをする。

 

死にそうだった梗ちゃんを助けた二人は罰を受ける。

社会とは法律とは何を誰を守っているの?

この三人の構図はこの映画を思い起こさせます。

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この話もいつか書きますが、もしこの「ほんとうの花を見せにきた」が気になる人は「チョコレートドーナツ」も観てみてください。

 

悪人をあの世で苦しめたって何になるんだろうか。

あの世で悪人が苦しもうが地獄に行こうがそんなことはどうだっていいことだ。

大切なのは今で、救ってもらいたいのは今の世界なのに。

もし私が天使なら神さまにそうプレゼンしてやる。

 

 

ぼくのバンプー!

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ははっ、じゃ、それまでしばしのお別れだな。

梗ちゃん、ほんとうにありがとう。俺たちのところにきてくれて。

俺と洋治を、あのころ、あんなにも幸せにしてくれて。

素晴らしい火を見せ続けてくれて。

凍えてた俺を、毎日、温めてくれて。

ぼくのバンプー、なんて呼んでくれて。

じゃあ、元気でな。梗ちゃん。

俺もな、おまえのことが大好きだったんだぜ。

なにしろお前は俺の、息子で、親友で、恋人で、さ・・・

 

つまり、ただ一人の人間だったのさ 

 息子だから、親友だから、恋人だから、そういう肩書で愛したわけじゃなくて、全部ひっくるめて一人の人間として愛していた。

愛するってそういうことじゃないのかって思います。

 

愛するって、一つの面だけじゃなくって多面的に見ること。

なにか見返りを求めるでもなく、その人の火が赤々と燃えているだけで周りはその明るさに温かさに癒されるのだ。

本人は何もしていないって思うだろうけど、周りにとっては何をしたかではないんですよね。

これは歳をとってから分かるようになったことです。

意味もなく実家に帰ったり、お土産話もケーキもなく家に入り浸ったって別にいいんです。何か用事がなくても電話してもいい。

そういうことって迷惑かなって思っていたけど、相手にとっては何でもないことなんですよね。

ただ一緒にいる、その人を感じる。

そのことでどれだけ心が温かくなるだろう。

いることが当たり前すぎたから、何かをしなきゃって意味のあることだけに価値を置いていた。

大切な人が生きているだけで、それだけで、自分の火も元気になる。

そういうことが最近分かるようになってきたから、この話がキレイゴトにならずにとても胸に沁み入る話と感じられた。

 

 

 

どんな金持ちもハリウッドスターもお医者さんも

つまりは、ただの一人の人間なのさ。