深夜図書

毎日23:30更新の書評ブログです。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

【映画】怒り~彼女の名誉と誇りを守るために~

≪内容≫

 ある夏の暑い日に八王子で夫婦殺人事件が起こった。犯人は顔を整形し、全国に逃亡を続ける。そして事件から1年後。千葉と東京と沖縄に、素性の知れない3人の男が現れた。

 

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書評はこちら↓

怒り/吉田修一~悪人と同じくどうにもならない悲しみややるせなさとともに信じるという本質を問う話~ - 深夜図書

 

本で読んだときとはまた違った感想になりますね。

配役が豪華すぎる!!と思いましたがここまでプロ集団を集めなければ映像化出来なかったのかな~と思いました。

森山未來さんがほんっとに怖かった。

 

本では「怒り」よりも「信じる」ことに思考が偏っていましたが、映画では犯人が残している「怒り」というメッセージが伝わってきます。

 

やっぱり映画ってすごいな。

噛み砕いて出してくれるので分かりやすい。

 

 

なんで殺したのか。

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かわいそうとか思ったのがマズイっすよね?
だって他人見下すことでギリ保ってた奴ですよ?
そんな奴、憐れんだら虫ケラ扱いしてるのと同じっすよ。
そりゃ殺されちゃうっしょ。

殺人犯と話したことがある人間が警察に話した内容です。

 

事件当日、犯人は道に迷い民家の玄関先で項垂れていた。

そこに家主が帰って来て「家になにか用か?」と尋ねる。

男は去っていったが、家主は暑い中項垂れていた男を心配して麦茶を用意する。

その行為が殺されるきっかけになったという解釈です。

 

最近よく思うことの一つに、善悪ってほんとうに分割出来ないもので、そこに「理由」とか「原因」とか当て嵌めても何も意味がないんだなってことがあります。

 

真夏の昼間に、自分の家の玄関先に知らない男が項垂れていたら「困っているのかな?」「暑さで急に体調が悪くなったのかな?」と思うのが、いわゆる「普通」だと思うのです。

じゃあその普通がどこから来たかっていうと、教育からです。

 

困っている人を見かけたら助けましょう。

人の嫌がることはしてはいけません。

 

小学校で教わることです。

教材は道徳の教科書やクラスの揉め事が対象になっていたと思います。

ただここで、教わらないのは、人によって困っているの程度は違うし、人の嫌がることが分からない人間もいるということです。

 

当たり前のように先生が言う「みんな、分かるよね?」っていう押し付けが、知らず知らずに呪いになる。

 

この麦茶を差し出した女性は運が悪かったとしか言い様がない。

世の中で、自分と違う正義や道徳を持った人と出会ったら、それはもう「運が悪い」以外に、今の私には言葉が見つからない。

 

だって、差し出しちゃうよ。

「かわいそう」って思ったからじゃなくても、困っている人を見たのに声をかけなかったっていうことが自分の道徳を汚すし、自分の家の前でもし死んだら一生後悔するだろうなと思うし、相手がどんな人間かなんて分からないんだから。

自分の正義や道徳を信じるしかないじゃない。

 

 

なんですぐ信じるかな?

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分かっちゃうんだよねぇ
こう目と目が合うわけじゃん?
そうすっとさ、
あ、こいつオレのことコロっと気に入っちゃうな~とか
見ぬけんの

面白いよなぁ
なんでそんな簡単に見ず知らずの人間、信じちゃえるんだろうな?
お前、俺の何知っててはなから信じられるわけ?

これが「怒り」の元なのかな~と思いました。

人を無邪気に信じる人間への「怒り」。

それを善しとする社会への「怒り」。 

それが理解出来ない「怒り」。

 

私は、コナンより金田一派なんです。

理由は金田一に出てくる犯人の方が同情出来るから。

それは金田一の方が犯人の過去とか最後の独白にページを使っているからでもあるし、犯人の動機が理解の範疇にあるから。

もし自分だったら同じように復讐してしまうかもしれない・・・もし自分だったらもっと酷いやり方で殺してしまうかもしれない、というように「もし自分だったらそうなっちゃうかも」と思う内容なんです。

 

殺人者に対して無意識に「殺しちゃうほど、何かがあったんだよね?そうだよね?だから止むを得ず殺してしまったんだよね?」っていう、ここにも押し付けがましい自分の願望があるんです。

 

信じるってことは押し付けともとれます。

「ね?信じてるからそんなことしないよね?」「君はいい子だから親を悲しませるようなことをしないよね?」とか。

逆に、疑うことが信じることに繋がる場合もある。

東京編の二人のように。

「俺、お前が何か盗んだりしたらすぐ警察に言うからな。」って言葉をどう取るか?

疑われている、と取るか、信じられている、と取るか。

言った本人は疑いの気持ちから言葉にしたのに、受けては信じられていると取る。

こういう話し手と聞き手が、全く噛み合っていないのが本作の特徴で、だけど噛み合っているようにも見える。

これってたぶん、私たちの日常もそう。

 

都合いいようにしか解釈していない。

というか、出来ない。

 

 

誹謗に出会ったとき

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沖縄編の若い二人、ほんとうによく頑張ったな・・・と思う。

上から目線のつもりはないですが、なんというか、若いときにこんな毒塗れの作品に出ちゃってトラウマになっていないか心配になります。

 

一番キツかったのがこのシーン。

米兵にレイプされた泉への誹謗を必死に消そうとする辰哉。

田中を殺してしまったことより、この誰にも見られないかもしれない言葉の方が辰哉にとっては重大な問題だった。

泉は事件以来ふさぎこんでおり、この島にもう二度と来ないかもしれない。

だからこの文字を見ずに一生を終えるかもしれない。

 

でも、それでも消したかった。

彼女の名誉と誇りを守るために。

 

名誉と誇りは目に見えないから、どれだけ傷付けても大したことないと思っている人がいる。だけど命は目に見えるから大切にする。

それって、なんだかすごく間違っているような気がします。

 

「たかが言葉じゃん」っていう考えは罪深いことだと思いました。

「デブ」とか「ブス」とか、そういう悪口がなぜいけないのか。

だって本当のことじゃん!っていう反論に対して「人の嫌がることをしてはいけません」という道徳ではちょっと弱い。

 

だけど、その言葉が「人の名誉と誇りを傷付けるから」と思えばどうだろう?

「本当のことを言っただけ」っていう意識じゃなくて「人の名誉と誇りを傷付けた」という意識の方が罪の意識はより深くなるんじゃないかと思う。

 

泉がもし何も知らずにあの言葉を見たら廃人になるんじゃないかと思う。あれを見て壊れなかったのは、辰哉が必死に消そうとした痕跡が残っていたから。

誰かが自分を守ろうとしてくれたっていう痕が見えたから。

 

言葉ってほんとうに剣なんだよな、って改めて思いました。

今はどこにでも文字が溢れていて、身近過ぎて、使っている本人だって剣を振りまわしているとは思っていない。

 

だけど、それが人に当たれば消えない傷になることだってある。

逆に誰かが振りかざそうとしてる剣をふり落とすことだってある。

 

言葉って当たり前すぎて考えもしないことの方が多いけど、立派な武器です。

だからこそちゃんと扱えるようにならなくてはいけないなって思います。

扱えるようになりたい!じゃなくて、正しい扱い方を身につけなくてはならないものだと考えています。

 

 

最後に新幹線の中で愛子が田代の手を握るシーン。

最初の父から連れ戻される娘から、誰かの手を引いて父の元へ帰るという終わりで、そこだけが唯一「良かったな・・・。」と思えた。

怒り

怒り

 

やっぱり世界のケン・ワタナベはすごい。ああいうおじいちゃんいるもんなぁ。