深夜図書

不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

何もかも憂鬱な夜に/中村文則~人間に備わっている一番の能力は想像力~

≪内容≫

施設で育った刑務官の「僕」は、夫婦を刺殺した二十歳の未決囚・山井を担当している。一週間後に迫る控訴期限が切れれば死刑が確定するが、山井はまだ語らない何かを隠している―。どこか自分に似た山井と接する中で、「僕」が抱える、自殺した友人の記憶、大切な恩師とのやりとり、自分の中の混沌が描き出される。芥川賞作家が重大犯罪と死刑制度、生と死、そして希望と真摯に向き合った長編小説。

 

 死刑について考える。

考えても答えの出ないことを考え続ける。

 

 

死刑における差別

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遺族感情は、大事にしなきゃ駄目だ。それは当然だ。だけど、遺族感情を考えてそいつに厳しい判決を出すようになると、結果的に、殺しても遺族がいない、たった一人で生きてきた人間を殺した時と、量刑が変わってくる・・・。それはやっぱりおかしいだろ?

一人で生きてきた人間は、浮かばれないってことになる。

同じ命なのに。 

 先進国で死刑制度が残っているのは日本とアメリカだけ。

ただアメリカは17州で廃止されている。

 

死刑制度・・・私は賛成派です。

死刑制度を廃止しても、犯罪の増加が見えないという検証を知っても。

 

死刑を何のために行うかって、犯罪防止のためではないですよね。

見せしめの意味が少なからずあったとしても、日本では1人殺しただけでは死刑にならないんだから、そこでストップしてしまえばいい。

 

死刑は遺族を守るためにあると思うけれど、相手を死刑にしたら心は晴れるのだろうか。私は、自分の大切な人が殺されたら憎くて、死刑にしてほしいと切実に願うと思う。

 

人は平等じゃない。生まれた場所も環境も選べない。

悲惨な環境に育った人間が犯罪に走ることを甘んじるなら、それはその人を憐れんでいることにはならないか。

時代や世間の動きで死刑の判断が変わるのは、死刑制度がある限り仕方のないことだと思う。

文学史には「失われた世代」という言葉があります。

日本では芥川龍之介さんが有名かな。

20代の青年期を第一次大戦に蹂躙され、戦死したり、生き残ったが社会生活に支障を来たす負傷をした者も多い。40代に当たる1930年代には世界恐慌に遭遇し、50代を第二次大戦に蹂躙されるという、「貧乏くじ世代」であったとも言える。(wikipediaから抜粋) 

 小林よしのりさんの「島の卑怯者」では、隊長は窮地に陥った悲惨な戦場で「これが我々の役回りなのだ」と隊員に告げる。

 時代や環境のせいにすることは誰にも出来ない。

そのことをくみ取って判断する裁量が人間にあると思うことが間違いなんだと思う。

ケースバイケースで人の命を判断していったら不平等や差別が起こるのは予想出来たことではないか。

 

もしも、時代や環境や事件内容で判断することを辞めさせたいなら、死刑を廃止するしかない。

どんな場合でも、自分が誰かの命の値を決めることは出来ない。

それは理性がある内は理解出来ても、理性が壊れてしまえば、そういった倫理感は何も役に立たない。

 

どんな時代だろうが、環境に生まれようが、人間の世界で、社会で生きていくためには、絶対に間違ってはいけないことがある。

それは人の命を奪うこと。

私は戦争にもこの考えは適用すると考える。

 

死刑が意味するのは罰です。

罪を犯した人間に罰が下るのは子供でもわかること。

だから、死刑を廃止するなら新たな罰が生まれるべきだと思う。

 

犯罪者がどれだけ後悔しようが、泣こうが、暴れようが、殺された人は帰ってこないし、傷付けられた傷は元には戻らない。

それなのに、「彼は反省している」ってだけで認めちゃうの?

人の心は見えないのに、何を根拠に信じろというのだろう。

 

 

刑務官の言葉

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「お前は屑と言われてる。大勢の人間に死ねと言われてる男で、最悪かもしれない。でも、お前がどんな人間だろうと、俺はお前の面倒を見る。話しを聞くし、この世界について色々知らせる。生まれてきたお前の世話を、お前が死刑になるまで、最後までやる。お前の全部を引き受ける」

 他人を尊重することはいつ覚えて、いつ当たり前になるのか。

この屑と言われている死刑囚・山井は、他人を尊重することが分からなかったから、人を殺してどうなるかなんて考えていなかったと言う。

そして夫婦を殺害したのだ。

見ず知らずの夫婦を何度も包丁で刺したのだ。

 

主人公の「生まれてきたお前の世話を、お前が死刑になるまで、最後までやる。」というのが、なんだか暖かく感じた。

「何も知らずに育った可哀相なお前」ではなく「生まれてきたお前」というのは、この世に生まれたってだけで生きていく権利があるのだと聞こえたから。

 

例えば生まれても、親から「お前なんか産むんじゃなかった」とか「死んでしまえ」とか言われたり、他者から「死ね」とか暴言を吐かれたり、いじめられたりしたら、生まれたってだけじゃ生きている価値はなくって、生まれた結果として、誰かの役に立ったり、誰にも迷惑をかけないで生きていけるなら、自分が生まれたことに意味を見出せるように思うのではないかと思う。

 

別に特別説明する必要もない、いわゆる一般家庭に生まれた人間も「自分はなんで生まれてきたんだろう?」と生きている意味を問いたくなるときがあると思う。

 

ほんとうは、生まれてきた命はそれだけできっと価値がある。

意味は後付けで探すものじゃなくて、生まれたっていう結果がすでに意味を持っているのだと思う。

 

 

考えることでどうにでもなれる

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「考えることで、人間はどのようにでもなることができる。・・・世界に何の意味もなかったとしても、人間はその意味を、自分でつくりだすことができる」 

 考えることや思いを巡らせることは、自分を守る盾になる。

考えなければ、一番最初に誰かから教わった意味をなぞることしか出来ず、なぞれない事柄に出会ったとき混乱してしまう。

 

私は人間に備わっている一番の能力は想像力だと考えます。

想像することで、世界はどこまでも拡がっていく。

逆に言えば、想像出来なければ世界は見たままの大きさでしかない。

 

世界の広さはきっと、人によって違う。

小さな世界で生きている人、遥かなる大地を目指す人、大いなる自然を感じる人、きっとみんな違う景色を見ている。

 

悩んでも悔やんでも、過去はやり直せない。

それでも考えることで、想像することで、また違う景色が顔を出す。

その中で、昨日とは違う気持ちが芽生えることもあるだろうし、世界がそっくり変わったようにも感じるかもしれない。

 

世界が閉ざされているように感じても考えつづけることで、もしかしたら閉じているのではなく、ずっと門の前にいたことに気付くかもしれない。

後ろを向けば大きな世界が待っていることに気付くかもしれない。

 

 

世界が何の意味も持たないハリボテの作りモノだったとしても、生まれたことに意味があるから。

 何もかも憂鬱な夜は、想像してみよう。