深夜図書

毎日23:30更新の書評ブログです。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

1973年のピンボール/村上春樹~お宅だけがみんなと違った信号を出すとするとね、これはとても困るんだ~

≪内容≫

さようなら、3(スリー)フリッパーのスペースシップ。さようなら、ジェイズ・バー。双子の姉妹との<僕>の日々。女の温もりに沈む<鼠>の渇き。やがて来る1つの季節の終り――デビュー作『風の歌を聴け』で爽やかに80年代の文学を拓いた旗手が、ほろ苦い青春を描く3部作のうち、大いなる予感に満ちた第2弾。

 

 

私、村上春樹が好きかもしれない。

「風の歌を聴け」といい本書といい、なんだか雰囲気が好き。

意味はないけどスモークカラーが好きな感覚に似てる。

 

 

入口と出口

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後足を針金にはさんだまま、鼠は四日めの朝に死んでいた。彼の姿は僕にひとつの教訓を残してくれた。

物事には必ず入口と出口がなくてはならない。

そういうことだ。

 たぶん、入口と出口の間にいるようなお話なのかな、と思いました。

喪失の話。

直子という恋人を愛していたこと、彼女がもう死んでしまったこと。

それは恋人になったときが入口なら、彼女を永遠に失ったときが出口だったのかもしれない。

でも主人公はまだ出口に辿り着けていない。

出口に向かっているのかも、出口を見つけたいのかも分からない。

 

 

ピンボール

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しかしピンボール・マシーンはあなたを何処にも連れて行きはしない。リプレイ(再試行)のランプを灯すだけだ。

 

リプレイ、 リプレイ、リプレイ、・・・、まるでピンボール・ゲームそのものがある永劫性を目指しているようにさえ思える。

永遠を望む無意識と、一刻一刻と確実に進んでいく現実。

そういうものを本書に感じました。

ここにいたい、と思っても景色や周りの人間はどんどん変わって行ってしまう。

 

何か特別に悲しい風景や、言葉があるわけじゃないのに、笑っているのに心は冷めているような、そんな感覚になる小説。

 

村上春樹の本って「そうそう!!」みたいに興奮することがない。

静か。

誰の感情も爆発したりしないし、淡々と過ぎていく。

だけど、じゃあ淡々としているってことは感情が乏しいのか?というとそうじゃない。

淡々としているほど染み込んでくる。

 

双子に囲まれて眠る主人公やピンボールが並ぶ倉庫や配電盤を池に葬る光景・・・どこかコミカルなようにも感じる。

好きだなぁ。

 

 

双子の姉妹

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「寿命が切れたのね」

「つんぼになったのよ」

双子の姉妹が好きです。

いきなり現れて、いきなりどこかへ帰っていく。

 

双子が片方ずつ、同時に主人公の耳掃除をしていたとき、主人公がくしゃみをする。

それから主人公は耳が聞こえなくなってしまい病院に向かいます。

 

原因は耳あかがつまったことで、女医は主人公の耳の穴が他人よりずっと曲っているという。

 

このシーンでの耳の穴が他人より曲っていることが示すのは、主人公の心なんじゃないかなぁと思いながら読んでいました。

この瞬間、一度再生したのだと思いました。

だから、双子の姉妹は帰って行った。

 

物語は出口もなく終わるのですが、この一冊まるまるとモヤっとしているのが好きです。

双子はねじまき島~に、直子はノルウェイの森に出るようなので、これからの作品の紹介作ってなものでしょうか?

 

村上春樹の書評って書くことないんですよね。

いつもの半分くらいしか言葉が出ないんですが、私はかなり気に入っています。

もしかしたらもっと作品を読んでいけば気付くことや、そうか!と思えることもあるのかもしれません。

 

 

何かを失くしたような主人公が、とても印象深い。

 ねぇ、誰かが言ったよ。ゆっくり歩け、そしってたっぷり水を飲めってね