深夜図書

不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

動物農場/ジョージ・オーウェル~ほんとうの支配者はだれ?~

≪内容≫

飲んだくれの農場主ジョーンズを追い出した動物たちは、すべての動物は平等という理想を実現した「動物農場」を設立した。守るべき戒律を定め、動物主義の実践に励んだ。農場は共和国となり、知力に優れたブタが大統領に選ばれたが、指導者であるブタは手に入れた特権を徐々に拡大していき…。権力構造に対する痛烈な批判を寓話形式で描いた風刺文学の名作。『一九八四年』と並ぶ。

 

 

カエルの楽園と同じ寓話です。

 ファシズムって今では色んな本や情報から実態が明らかにされていますが
当時はたぶん全く他国には分からなかったんですよね・・・。

本書と同じ時期に村上龍さんの愛と幻想のファシズムを読んでいましたが
やはりシステムになってしまうと初期の純粋な思想は淘汰されてしまうのだな・・・と思いました。

 

 


奴隷は結局奴隷

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残酷な話ですが、人間に反逆し自由を得たのは優秀な豚のみで、その他の動物たちは支配者が人間から豚に変わっただけで奴隷のままです。

だけど、豚は同じ”動物”であるから 平等なのだと思い込んでいます。

 

人間たちを倒すための七戒は巧妙に少しずつ塗り替えられていきますが、それがあまりに微々たる違いなので、動物たちは「おかしいな?」と思っても自分の記憶が間違っているのかと思ってしまいます。


人間と動物を別つのは二本足か四本足かという違いで振り分けていたのに、豚たちは人間と同じように二足歩行するようになり、人間と取引していきます。

 

ここで問題なのは、やはり豚以外の動物たちが文字を読めないこと、自分が頑張ればいいんだと、考えることを放棄したことです。
豚は獰猛な犬を味方につけ恐怖を動物たちに植えつけましたが、動物たちは人間が支配者のときは奴隷だったけど、豚が支配者の今は自由だと思っています。

 

考えることをして何になるんだと思う人もいると思います。
従っている方が楽だし、考えたり責任を持つことは楽ではありません。

 

だけどそれは確実に自分たちに降りかかってきます。
最近、選んでいるわけでもないのに戦争や反逆や政治活動の本に出会うことが多く、今日の北朝鮮問題に対してもっと考えろという啓示なのかな・・・と思うときがあります。

 

今の北朝鮮の問題も私一人が何か考えても何にもならないとは思うのですが、その結果がこの動物農場たちの自分たちを自由だと信じて疑わない奴隷になるのだとしたら、とてもゾっとします。

 

日本は平和な国だ!
っていうのは、もしかして政府の情報操作によってそういう情報しかマスメディアに流せないようにしているとしたら?
もしかしてとんでもない思い込みによって国民が生かされているのだとしたら?

 

考えるのって怖いです。
考えなければ、こんなこと思い付かずに好きなことだけしていられます。

 

私は豚になりたいわけじゃない。
でも他の動物になりたいわけじゃない。
じゃあどんな選択肢があるのか。
それを考えていきたいと思います。

 

 

象を討つ

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私は「動物農場」より他の話の方が面白かったです。

これはルポになるのかな?
オーウェルの実体験の話かもしれませんが、とても興味深いです。

 

植民地の人間ではなく、支配者からみた支配国の印象。
そして支配者は本当は植民地の人間だと気付いた瞬間。

しかし、本当をいえば、わたしは、背後に控えている、この黄色い顔の連中の意思によって、あちらこちらへ振りまわされている、間の抜けたあやつり人形にすぎないのだ。
わたしは、このとき、白人が圧制者となるとき、彼が破壊するのは、自分自身の自由なのだ、ということに気がついた。

SMでもSが支配しているようで、本当の支配者はMであるという話があります。
支配者は支配できる相手にしか通用しないけれど、支配される側はどんな支配者にも適応せざるを得ない。
Mの人間はSの人間が出来ないと降参したなら、新たなご主人様を探すだけ。

 

そういった意味では、指導者や責任者って孤独ですよね。
他者からのプレッシャーや重圧がある人間ほど、ほんとうは自分を生きていない。
生きられない。
死ぬぐらいなら会社辞めればいいのに、が出来ない心理はこれに近いのかな?と思いました。
大企業で勝ち組の人・・・他人からの「すごいね~」はすごい人間でなければならないという重圧なのかしら。

 

人の心理って複雑怪奇。

 

 


絞首刑

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死刑執行の様子と、処刑後の談笑の話。
それまで死刑執行がどんなものか考えてもいなかったが、いざ執行するとなると、今生きている人間を殺すことへの邪悪さと不可解さに襲われる主人公。
しかし、終わってしまえばすぐ近くで死体があってもご飯を食べみんなで笑いあっているのだった。

 

同じ人間を殺す、しかも正当防衛や戦争ではなく、処刑という形で。
これってものすごく不可解なんだろうなぁと最近思うようになりました。

 

それまで特に何にも思っていなかったし、疑問すら感じていませんでした。
「ふ~ん、何か悪いことしたのかな」みたいな感覚でした。

 

それが中村文則さんの作品を読むことで、あれ?人を殺すってものすごいことなのかもしれない、という感情が生まれてきました。
いや、ものすごいことは分かっているのですが、どこか他人事のもっと遠い関係のないこと、考える必要もないこと、の部類にいたんです。
それが急に身近に迫ってきたような感じです。

 

人間が人間を殺すって全く想像つかないです。
現実にニュースでたくさんあるのに、ドラマや映画で見るのに、全然分からない。

すごく簡単なようにも思えるし、すごくおかしいようにも思える。

 

オーウェルさんのルポをもっと読んでみたいと思いました。
昔の人って兵士でありながら小説家でもあったり、二足の草鞋の人がたくさんいますよね。
兵士って死んでしまうかもしれないのに、それでも志願しているんですよね。
今の国を守るより大事なことがある世の中って、昔の人から見たら異質なのかな・・・って思いました。

 

だって国がなかったらやりたいこととか言ってられなくなるのに、なぜか国のことを真剣に考えるのが億劫になってしまう。

 いつだって人間は二通りに分かれる?