深夜図書

毎日23:30更新の書評ブログです。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

羊をめぐる冒険/村上春樹~一般論という邪悪な世界~

≪内容≫

あなたのことは今でも好きよ、という言葉を残して妻が出て行った。その後広告コピーの仕事を通して、耳専門のモデルをしている二十一歳の女性が新しいガール・フレンドとなった。北海道に渡ったらしい“鼠”の手紙から、ある日羊をめぐる冒険行が始まる。新しい文学の扉をひらいた村上春樹の代表作長編。

 


私、村上春樹が好きです!!!
このファンタジー感!ふわふわ感!
好きすぎる!

まさか自分がハルキストになるとは・・・
まだ全部読んでいないんでハルキストはおこがましいですね。
ただのファンです。

 

 

 

はんぶんでしか

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「それはあなたが自分自身の半分でしか生きてないからよ」

耳の女性に言われた言葉ですが、たぶんこの台詞が物語の主軸のような気がします。

なぜなら、事あるごとに二つの対比が出てくるからです。

 

・現実的に凡庸なグループと、非現実的に凡庸なグループ
・黒山羊と白山羊
・物体についた名前と役割についた名前

などなど。

 

私は主人公にすごく寄っているな、と思います。
中間で生きるということが苦手で、白黒つけたがる。
まさに「自分自身の半分でしか生きていない」というのがぴったり。
さらに言うと、自分自身の半分を切り捨てている、もしくは気付いていない、という感じです。

 

しかし、世の中にはグレーゾーンで生きている人がたくさんいます。
それが鼠です。あれ?鼠ってグレーゾーンからきた名前?まさか?

 

あとは、子供。

まだ白黒つけないでいい期間。

 

大人になるってことは、自然にどっちかに依るんです。

支配するか、されるか。

利用するか、されるか。

命令するか、されるか。

とか、ね。

 

どんどん、自分の名前から役割の名前に依っていく。

そこに気付かずに生きている主人公への痛烈な一言が、半分でしか生きていないという言葉。

 

私は面倒なことが嫌いです。

筋が通っていないことは嫌いです。

 

だけど文学に触れてから、嫌なことを避けて正しいことばかり選ぶことは半分でしか生きていないことなんじゃないか、と思うようになりました。

 

そうやっていると、この主人公のように大切なものがわからなくなるし、そもそも何が大切なのかもわからなくなる気がする。

 

 

弱さ

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「弱さというのは遺伝病と同じなんだよ。どれだけわかっていても、自分でなおすことはできないんだ。何かの拍子に消えてしまうものでもない。どんどん悪くなっていくだけさ」

 

「何に対する弱さなんだ?」

 

「全てだよ。道徳的な弱さ、意識の弱さ、そして存在そのものの弱ささ」 

 君には分からないだろうね。

そう主人公は鼠に言われます。

 

鼠は羊に支配される前に羊を体内に抱えて自殺したのです。

 

「弱さ」とかね、ほんとうに曖昧だし個人差がすごいじゃないですか。

まず基準がないし、判断出来る兆候?みたいなものがない。

 

ネガティブな人間でも、それが強みの人もいるし、いつも笑顔で明るい人間が実は人に嫌われたくないっていう恐怖が常にあるせいだったりもするし。

つまり、主人公のいうように

「だってそんなことを言い出せば弱くない人間なんていないぜ」

なんですよ。

 

そして鼠の言うように

「何もかもを一般論でかたづけることはできない」 

 のである。

 

人は、揺れる。

ある場面では強くて、ある場面では弱い。

虐待してきた親のようにはなりたくないってずっと思ってきたのに、子供が出来たら手を上げてしまうとか。

親父は金に汚い!と、嫌悪してきたのに、困ったときには頼ってしまう、とか。

 

目の前の大きな力を睨みつける強さと、それに惹かれる弱さ。

鼠にとってはそれが父だった。

そして主人公にとっては、そういう境遇にいなかった。

 

立っている場所が違う。

親の七光りでテレビに出る二世タレントをうらやましく思う人もいると思います。平凡な家庭で育った子供は凡庸の価値に気付かない。

 

強さって凡庸から生まれるのかなって思いました。

平均的で、平凡な場所に立つということは、見なくて済むものがたくさんある。

だから夢や希望が輝くのではないかと。

 

一度、根付いた弱さはなくならない。

そこから腐っていくか、じわじわと一進一退を繰り返すか。

 

 

 

一般論の国の王様

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それはちょうど、あらゆるものを呑みこむるつぼなんだ。気が遠くなるほど美しく、そしておぞましいくらいに邪悪なんだ。

そこに体を埋めれば、全ては消える。

 

意識も価値観も感情も苦痛も、みんな消える。 

 そして、一般論に染まる。

もしくは、誰かの思考に取って変えられる。

つまり、自分が無くなってしまうのに生きているという状態になるということ。

 

主人公は一般論しか言いません。弱さのくだりもそうだし、鼠の世界が良くなると思うか?との質問にも、何が良くて悪いかは誰に分かる?と返答する。

 

自分の嫌なところ、弱いところや、ずるいところ、他人には理解されなくても密かに好きな自分の悪癖とか、だらしない部分や、お調子者な部分とか。

そういうもの全部一般化されてしまったら、どこに自分がいるというんだろう?

 

気が遠くなるほど美しく、そしておぞましいくらいに邪悪な場所。

それは一般論の世界のことじゃないでしょうか。

 

均一化された意見には、辛辣な言葉や侮辱、侮蔑は含まれず、口当たりのいい言葉だけで綺麗に縁取られている。

だけど、そこには顔がない。

誰の表情も分からない世界は邪悪ではないでしょうか。

 

私は思いっきり主人公によっています。

一般論を土台にして、判断したり会話したりしている。

 

だからこそ、この鼠の話がとても胸に響きました。

これじゃ、ダメだなって。

 

もちろん、一般論と自分の意見が合致するときもあります。だけど、それはそれで、ちゃんと自分の言葉で話さなきゃ、と思いました。

 

 

村上春樹さんの作品、とても読みやすいです。

心なしかひらがなが多い気がします。

難しい言葉やひねくれた表現がない。

常にストレートという感じがします。

文学と言えば、やたら小難しく捏ねくりまわしたような表現・・・というイメージがあり、敬遠していたのですが、かなり読みやすいです。

 

バッ!!と突き刺すような言葉や覚醒させるような刺激が無く、静かに降り注いでいるように感じました。

そこに意味を持たせるのは君ですよ、と言われているようで、とても楽しい。

 

 

人気なの、分かるなぁ。

これは・・・ハマるわぁ。