深夜図書

不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

私の消滅/中村文則~中村文則さんの作品を全て読んで思うこと~

≪内容≫

このページをめくれば、あなたはこれまでの人生の全てを失うかもしれない。不気味な文章で始まる手記―これを読む男を待ち受けるのは、狂気か救済か。

 

追いついた・・・!今出てる中村さんの単行本、文庫の中で最新の作品です。

「悪と仮面のルール」くらいから、最後の最後で主人公の気持ちが聞けるような話の流れになった気がします。

私は最初の「銃」~「最後の命」くらいまでの、主人公がひたすら自分の感情と向き合いウジウジしながら生きていく話が好きなので、変わったなぁ・・・と寂しく思ったりします。

 

 

理想の人生、理想の私

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自分は、と小塚は思う。

こういう人生を歩みたかったという、ささやかな願望があった。誰かと一緒ではなくても、どこか静かな場所で、散歩をしたり本を読んだりしながら過ごしたいという願望。

こういう内面を抱えるのではなく、もう少しだけシンプルな内面を持つ人間になりたかったという願望。

 人生をやり直すことって色んな意味で出来ません。

生まれた家庭をやり直すこと、少年時代をやり直すこと、親を選び直すこと、自分の選択を選び直すこと・・・他人の人生をもらうこと。

こういったことは不可能です。

 

しかしそれを可能にするのが「私の消滅」です。

私が空白になれば、用意された「理想の人生」を詰め込める。

平凡な家庭に生まれ、平凡な学生生活を過ごし、それなりに恋をして傷付いたりしながら大人になり、就職し結婚する・・・。

 

中村さんは全ての作品の主人公は僕自身と仰っています。

このこういう内面を抱えるのではなく、もう少しだけシンプルな内面を持つ人間になりたかったという願望というのは、「遮光」の主人公が持ち歩いていた「陰鬱」なんだろうな、と思います。

 

それを全て否定するのではなくて「もう少しだけ」と言っているのが、いいなぁと思いました。太宰治の「女生徒」にある一文

自分の個性みたいなものを、本当は、こっそり愛しているのだけれども

 という感情が私にはあるので、自分のちょっと愚かな部分を全て捨てるのではなくて、少しだけ残したいというところに安心する。

 

どれだけ他人の人生羨んでも、自分が今まで過ごしてきた自分をそう簡単に否定なんて出来ないですよね。

どんな人生を歩もうが、大人になったということはどこかで踏ん張って頑張った過去の自分がいるからだと思っています。

そういう自分を自分で見つけて大事にしたいな、と思う。

 

私は、私を消して理想の人生を歩もうと思えるほどにはなっていないから。

 

 

 

過去が自分を襲っても

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「きみは生まれてきたんだから。生まれてきたんだからこの世界を楽しんでいいはずだ」

 

麻酔で眠らせた彼女の頭に、震える手で電極を当てていく。涙が流れ続ける。

 

「過去が何だというのだろう?そんなものはいらない。そんなものは消えてなくなればいい。ささやかでいい。きみがこの世界を生きていたいと思えるくらいの幸福を」 

「きみは生まれてきたんだから。生まれてきたんだからこの世界を楽しんでいいはずだ」

これに似た言葉が出てきたなぁ。どれだっけ。

「あなたが消えた夜に」かなぁ。

 

たぶん「掏摸」あたりから、人を思う心が強く書かれるようになったな、と思った記憶があります。

「誰かを救いたい」という歪んだ愛も含まれるようになった。

 

救いたいと躍起になっていた女が殺されたり狙われたりして、復讐や報復を企てる。だけど、結局自分も破滅する。

 

「きみは生まれてきたんだから。生まれてきたんだからこの世界を楽しんでいいはずだ」

これは、あなたが誰かにかけるためだけの言葉じゃなくって、自分にも当てはまるんだよ、あなただって生まれてきたんだから、自分のために笑ったり怒ったりしていいんだよって言いたくなる。

 

確かに過去は変えられないし、いつまでも記憶に残る。

いい思い出も忘れたい記憶も。

 

だけど、過去があったって、その過去がどれだけ悲惨でも、どれだけ自分を追いつめても「きみは生まれてきたんだから。生まれてきたんだからこの世界を楽しんでいいはずだ」。

そうでしょう?

過去に押しつぶされるために生まれてきたんじゃない。

 

私たちは生まれてきたんだから、無条件でこの世界を楽しむ権利を既に持っている。

 

 

 

中村さんの作品を全て読み終えて

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明るくなりました。

これは、思いがけない副産物です。

 

もう暗い本読みたくない!!!!って思いました。

それくらい毒のある本でした。

何度も気持ち悪さと吐き気と頭痛に襲われ、悪夢は見るし、どんどん混沌に入っていく自分が分かる。(特に中村文則と村上龍を連続で読むと最高潮に頭痛と吐き気がする)

 

最初は特有の陰鬱さにシンパシーを感じて読み進めていったものの、最後の方に「あ、違うわ。私たぶん根は明るいわ。ここまではもう落ちていけない。」と思いました。

 

それでも中村さんの本はどんどん希望に向かっていくので、ひきずられるように読んでいました。

ショックセラピーみたいだなと思いました。

 

 

余談ですが、私の悪癖の一つに自分を自分で洗脳するという行為があります。

たぶん無意識なんですけど、

「私は暗い人間なんだ」

「人間なんか大嫌いだ」

みたいに勝手に自分で自分はこういう人間だ!!って決めつけた挙句、それを証明しようと一直線に掘り下げていくんです。

 

「人間なんか大嫌いだ」と思っていたときは、当時付き合っていた彼の後ろにずっと隠れていました。

親友以外誰とも仲良くせず、仕事が終われば直行直帰で飲み会などのコミュニケーションは全て断っていました。ちなみに家族とも疎遠を貫き(この当時家族が本当にだいっきらいだった)、彼と二人だけの世界に生きていました。

 

「人間なんか大嫌いだ」の証明は5年かけて「いや、人間めっちゃ好きだわ」に変わりました。

もう、極端に狭い世界を経験したため一気に人間が大好きになりました。

この時の私の変わり様は、職場の上司が「恋人と別れてこんなに楽しそうな人初めて見たよ」という言葉が表す通りだったと思います。

それから、断り続けた飲み会に参加し、さらにはバッティングセンター行こうよ!!と同僚を誘って行ってみたりと、堰を切ったように人といるのが楽しくなりました。

 

この当時、周りの人間に「変わったね」「話しやすくなったよ」「明るくなったね」と本当にびっくりするくらい言われました。

人って変るもんです。

 

 

そして、「私は暗い人間なんだ」というもう一つの洗脳は中村さんの作品によって突き詰められ、「いや、自分明るい人間だった」と証明されました。

この「私は暗い人間なんだ」は中学生くらいから思っていたので、十何年かけて洗脳が解けたような気がしています。

 

まぁこれは中村さんの作品が最後の鍵だっただけで、家族に愛されていたんだってことに気付けたり、いつも私の卑屈さや気分屋なところを「めんどくせーw」と笑ってくれる親友がそばにいたという布石があったからでもあります。

 

 

村上龍さんの「愛と幻想のファシズム」で私の胸にすごく刺さった言葉があります。

それは幼少期に愛されなかった子供は大人になっても渇いている、満たされない、というような言葉でした。

 

私はどうしてか、こういう理不尽な環境に自分が置かれなかったからこそ、そういった立場の人側にいなきゃいけない。というようなことを思ってしまうのです。

そんなこと思ったってしょーもないのに。

 

だから自分が結構良い家庭(普通のサラリーマンと専業主婦の両親で、夫婦仲が良く、母は元気で口うるさく父は娘に優しく、姉がいたために私はやや放任で育ったがダメなことはダメと叱る厳しさもありつつ、娘が高校で組んだバンドのライブにはビデオカメラを持って現れる両親であり、彼と同棲するときは姉がデートをドタキャンして会合に出席するような家族である。)に生まれたことを、当たり前のように感じてはいけないのだ、という気持ちがあった。

 

どこかで負い目というか、愛されて育ったことを否定しなければいけないという気持ちがあった。

そうしなければ平等じゃないと思っていたし、私は誰の気持ちも分かるような人間になりたかった。

 

 

私はかなり愛されている。

そして、愛されているから渇きを持っていない。

だから「渇き」が欲しくて羨ましくてしょうがなかった。

 

無理していたつもりはないし、考えすぎるのは自分のありのままの性格だと思っているけど、もし村上龍さんのいう「幼少期に愛されなかった子供は大人になっても渇いている、満たされない」というのが本当なら、私は永遠に愛される子供であり、永遠に渇くことはないのだと思った。

 

そして、それを受け入れることがとても自然なのだと思いました。

 

愛されることが罪だと思っていました。

それは、小さい頃に友達が一人で帰っているのに自分だけ迎えの車が来たような、友達がアイスを買ってもらえないのに自分は買ってもらえたときのような、そういう感覚に近くって。

 

私の母の方針は自分の娘を迎えに行くなら他の子も乗せて帰る、友達がアイスを食べていないなら娘がどんなにねだっても買わない、という考えでした。

たぶん、それが私の中で根付いていて、愛されていない人がいるのに自分が愛されているのはダメなことなんだ、という思考になったのだと思います。

 

 

中村さんの作品を読んでいて思ったことは、私のこんな考えは邪道だし、誰のためにもならないし、自分のためにもならないということ。

そして、私が暗い人間になろうとしてもそれは人工的なものであって自然ではないということ。

私にとっての自然は、愛されていることを受け入れた上で人生を生きていくことなのだということです。

 

今までは「自分を愛さなきゃ人を愛せないよ」とかいう自己啓発的な言葉に対して「絶対無理!!」って思っていました。

面白くないのに笑えるか!とか、初対面で話すことあるかい!とかね、ひねくれているとは分かっていても、どーしても無理だったんです。

 

だけど、自分は暗くないし愛されてるわ、と思うと、そういう言葉がすらっと受け入れられるようになりました。

 

ちなみに親友にこの話をしたら「何それ!超クールだねw私もテンション合わせていくわーwww」って返信が来ました。

最高にクールな親友です。

 

 

中村さんの作品は、自分との対話っていう感じでした。

ただ単に楽しいとか、悲しいとか、励まされるとか、考えさせられる、とかではすまなくて、もっと大きな「自分とはどんな人間なんだろうか」という人生で最大の難問を突きつけられるような感覚でした。

 

私のこの「私は愛されている人間」というのもお得意のセルフ洗脳なのかもしれませんが、今のところはこの解釈に腑が落ちています。

 もしかしたら、自分の知らなかった自分を知ることになるかもしれない、中村ワールド。全て読むのをおすすめします。

 

しつこいけど、私の一番大好きで愛しく思う作品は遮光。

 ベスト100に入りますな。