深夜図書

不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

パン屋再襲撃/ 村上春樹~風が吹いても吹かなくても、僕らはそれぞれ生きていく~

≪内容≫

堪えがたいほどの空腹を覚えたある晩、彼女は断言した。「もう一度パン屋を襲うのよ」。それ以外に、学生時代にパン屋を襲撃して以来、僕にかけられた呪いをとく方法はない。かくして妻と僕は中古のカローラで、午前2時半の東京の街へ繰り出した……。表題作のほか「象の消滅」、“ねじまき鳥”の原型となった作品など、初期の傑作6篇を収録した短編集。

 

 

すごい!

よく分かんない!!笑

全編すべて何かのプロローグっていう印象を抱きました。

「パン屋再襲撃」は読んでいたので飛ばしましたが。

 

そんで私ずっとねじまき島と思っていたのですが、ねじまき鳥でした。

トウとドリって似てますよね。

ずっと孤島の話かなぁ?と思っていたので、なんだか再出発という気分です。

 

短編集っていいなぁって思いました。

なんか、サラっとしてる。

 

 

 

象の消滅

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「いちばん大事なポイントは統一性なんです」と僕は言った。「どんな素晴らしいデザインのものも、まわりとのバランスが悪ければ死んでしまいます。」

 街のお荷物的存在だった象と象の飼育員が一夜に消えてしまった話。

その理由はもちろん、行方もどうやって消えたのかもどこに行ったのかも分からない。

主人公は象と飼育員の最後の目撃者であった。

彼が見たのは、象と飼育員の大きさのつりあいが縮まり、ふだんのバランスを崩していた奇妙な光景だった。

そして彼はこの事件以来、彼の内部で何かのバランスが崩れてしまい、いろんな外部の事物が奇妙に映るようになった。

 

街の統一性のために象と象の飼育員は消えてしまったのか?

統一性とは?

自分が動こうが動かなろうが、世の中は統一されていく。

まわりとのバランスが悪い人間は死んでしまう。

 

そして象と飼育員が二度と戻ってこないように、まわりと調和出来ない人間もまた二度と戻ってこないのだ。

そして彼らはすぐに忘れ去られて消えてしまう。

 

 

 

ファミリー・アフェア

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「あなたはものごとの欠点ばかりみつけて批判して、良いところを見ようとしないのよ。何かが自分の規準にあわないとなるといっさい手を触れようとしないのよ。そんなのってそばで見てるとすごく神経にさわるのよ」 

 妹とルームシェアしているお兄ちゃんの話。

それなりに仲良く暮らしてきた二人だったが、妹が結婚したい人がいると兄に話すことで兄妹の関係は変わっていく。

今まで仲良く暮らしてきたのに、妹は兄にしっかりするよう求めはじめる。

そんな妹の変貌と、他人が入ってくる感覚に居心地の悪さを感じる兄だった。

 

結婚とか、結婚にならなくても真剣な恋愛なら、お互いが歩み寄らないといけませんよね。いいところ取りは出来ないし、呪いも一緒に引き受けなくてはならない。

自分の生き方だけを貫くのではなく、相手と擦り合わせていく時も大事になっていく。

 

妹が兄に「あなた」って言うのがなんだか不思議な感じでした。

私は姉のことを「おねえ」か「おねーちゃん」と言います。君とかあなたとかは言いません。なんだか「あなた」ってすごく親密か、師弟関係のような強い糸を感じるのですが、思いこみすぎでしょうか。

 

 

 

双子と死んだ大陸

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「細部は変る、設定も変る、役柄も変るーでも結末はいつも同じなんだ。そこにはガラスの壁があって、僕には誰かに何かを伝えることができない。」

1973年のピンボールの双子が再び登場。

本作で一番好きなお話。

端的に言うと失われたなにかを思い出すことは出来なくて、私たちが確信を持てるのは失われていることに気付いた日時だけなのだという話です。

 

失われたなにかに声をかけても、音は死んでいて。

手を伸ばしても入口は見つからない。

 

私たちは失っている最中には何を失っていて、何が消えようとしているのか気付くことは出来ない。

音が死んで、入口が見つからなくなって初めて失ったことに気付く。

そして何かが失われてしまったことに気付くことは出来ても、その何かが果たして何なのか、いつからなのか、そういったことは分からない。

 

 

 

ねじまき鳥と火曜日の女たち

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「あなたってそういう人なのよ」と妻は言った。「いつもいつもそうよ。自分では手を下さずにいろんなものを殺していくのよ」

ねじまき鳥クロニクルに関わっているようです。

「双子と死んだ大陸」と「ねじまき鳥と火曜日の女たち」は村上春樹の失う物語って感じがして親近感がありました。

 

いつも主人公は失ったり、妻やら彼女やらから結構辛辣なことを言われているのですが、果たして主人公はその言葉通りの人間なのか、言っている側が繊細過ぎるのか、私にはまだ分かりません。

分からないから村上春樹を追いかけているのだと思います。

 

なぜかと言ったら、私も「自分では手を下さずにいろんなものを殺しているのかもしれない」と思う節があるんです。

というのも、主人公の自分は自分、他人は他人っていう線引きに思い当たる節が数えきれないほどあるからなのです・・・。

 

出来るなら失いたくない、だから持たない。

そういう気持ちが私の中にあるんですよね。

裏返すと失うくらい所有している、ということにもなります。

それは自分から望んで所有したのか、気付いたら所有していたのか、所有してと言われたから所有していたのか・・・

 

失ったときも分からなければ所有したときだって分かりません。

失ったときや所有したときを知りたいとは思いません。

だけど出来るなら人を傷付けずに生きていきたいとは思います。

 

それがどういうことなのか、もっと村上作品や他の作家さんの作品を読みながら自分と対話しながら探していこうと思います。

 

 

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