深夜図書

書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

壁を破る言葉/岡本太郎~OASISで一番好きな曲はWONDERWALL~

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≪内容≫

出口を探している、すべての人へ。
なぜ、創るのか。なぜ、生きるのか。
岡本太郎から強烈な一撃!
ベストセラー「強く生きる言葉」に続く第2弾。

 

壁って色んな表現が出来ますね。

破るとか乗り越えるとか壊すとか。

wonderwallとか。

ワンダーウォール

ワンダーウォール

 

この壁は自分の前に立ちはだかる壁じゃなくて、自分を守る壁です。

壁=人間ともとれます。

 

言葉シリーズ

愛する言葉

強く生きる言葉

壁を破る言葉

 

無いものに奪われる

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人間というものは、とかく自分の持っていないものに制約されて自分のあるがままのものをおろそかにし、卑下することによって不自由になっている。

自由になれないからといって、自己嫌悪をおこし、積極的になることをやめるような、弱気なこだわりを捨てさらなければ駄目だ。 

 

 自分の持っていないものに制約されて自分のあるがままのものをおろそかにし、卑下することによって不自由になっている。

そうなんです・・・。

悲しいくらいそう。

 

自分の持ち物がポンコツにしか見えなくて、他人が持っているものが輝いてみえてしょうがない。

 

まぁそれはしょうがないとして、ダメなのは積極的になることをやめてしまうこと。ですね。

こういうループでどれだけのことをやめてきただろうって思う。

自己嫌悪からやめようと決めたくせに、後からもっともらしい言い訳をつけて自分も周囲の人にも何も言わなくさせる。

「才能がないから」「お金がないから」「時間がないから」・・・。

恥ずかしい。

 

明石家さんまさんの言葉で、俺は絶対落ち込まない、落ち込む奴は自分を過大評価しているから。っていうのがあって、それを知ってから少し楽になりました。

 

「才能がないから」⇒あると思ってた。

「お金がないから」⇒あると思ってた。

時間がないから」⇒あると思ってた。

思ってたことが違ったから落ち込む。

 

無いものを勝手に持っているような気になって、結果無いものに奪われる。

 

無いのが前提。

あってたまるか。

あってたまるもんかー!!!

 

認められようと思うな

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人に理解されたり、よろこばれようなんて思うな。

むしろ認められないことを前提として、自分を猛烈につき出すんだ。

 

岡本太郎のすごいところは、私のくせである「分かってるけど・・・」を一蹴するところです。

そんな気になる瞬間もなく、「・・・よし!」と思わせる。

本人は自分の生き方なり信念を言っているだけなのでしょうが、聞き手にはすごい薬になります。

ただの言葉ですが、効果は絶大です。

 

分かって欲しい、認められたい、誰かの救いになれたら・・・そんなことは普通に思いますが、それは壁の中でなら有効であり、壁を破るならその感情を乗り越えなければいけない。

 

壁は破るものってわけでもないですし、壁の中は比較的安全圏なので破るも留まるも自由なわけです。

 「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」の記事を読む。

ただ、人ってあまのじゃくなので、「笑わせたる!」って芸には意地でも笑いたくないって気持ちになるし、「喜ばせたい!」っていうのが見え見えのプレゼントとかは、喜ばなくてはならないという負担になる。

なんにせよ、相手を操ろうとする行為なり考えは絶対に望んだ結果は得られない。

 

人が自然に引き寄せられるのって、負荷がかかってこないものです。

自分に何にも関係ないもの。

芸術作品もスポーツも観客のためのものではなく、選手や芸術家が己と戦った姿なり作品なりに強く惹かれます。

"認められないことを前提として、自分を猛烈につき出すんだ"っていうのは、まず自分を猛烈につき出す前段階の予習みたいなものが、認められないことを前提とする勇気

 

誰のためでもない、自分のため。

それが一番難しくて、一番かっこいい。

 

焦るな

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焦るな。

人のために美しいものをつくるというよりも、生命のしるしを、自分に確かめる。 

 

 生きるって一言で言っても、人によって全然答えが変わってくると思います。

生まれたから生きるのか、好きな漫画の続きを読みたくて生きるのか、家族を養うために生きるのか、世界旅行したいから生きるのか・・・色んな考えがあると思います。

 

人は人間になるために、労働を背負った。

労働の対価でお金を得るようになった。

それがいつしかお金を得るために働くようになった。

 

芸術とお金はすごく遠いものだと思います。

芸術、つまり自分の命を注ぎこんだ分身みたいなものに対して価値を与えるのは侮辱的なことのように思うからです。

 

そうなると芸術家は食べていけないか、裕福な家庭の人間だけの特権になってしまうように思います。

だから無償であるべきとは思いません。

だけど一般的な労働の対価としてのお金と芸術の対価としてのお金は全く別物のように思います。

 

私たちはお金がないと生きていけません。

だから、芸術的なことは少し浮世離れしていると感じます。

音楽の趣味なり、美術館に行くなり、そういうことをやっていると「へぇーすごいね!」と言う人が多いし、「そういう学校に通っていたの?」という会話もありがちだと思うのですが、本来は誰もが芸術と繋がっていると思いました。

 

繋がっているのだけど、ある時を境にサラリーだけを目的として生きるか、サラリー半分芸術半分で生きていくか、芸術だけを求めて生きていくか、という選択を皆がしていたのではないかと思います。

 

「お金のためじゃない」という言葉は綺麗ごとだとか言われたりしますが、本当にお金のためじゃないことが世の中にはあって、ただそこにお金という物体がついてきた・・・それは、食糧なり新しい道具なりと交換できる道具だった・・・みたいな感覚だと思ったし、そうでなければ芸術では有り得ないのだと、本書を読んで思いました。

 

なので自分にとっての"ほんとうの芸術"を見つけるのは、雑誌でも広告でもなくて、自分自身なのだと思いました。

 

たぶん誰でも焦る。

これじゃ食べていけないぞ、これじゃやっていけないぞ、これじゃ人間失格だぞ、働かなきゃ、正社員じゃなきゃ、結婚しなきゃ・・・

焦る場面なんて探せばいくらでも出てくる。(哀しい)

 

だけど、焦っちゃいけない。

人のためじゃなく、自分の生命で感じるべき。

結局、生きるということは永遠の中の一瞬であり、その大きすぎる流れの中でどれだけ焦ろうが大きなことにはならないのです。

 

乗り越えよう破ろうって思ってる壁は自分自身なんですよね。

今夜は壁に話しかけてみようかな・・・。