深夜図書

不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

ドリアン・グレイの肖像/オスカー・ワイルド~肉体は死に向かっても、魂は常に生まれ変わり続けている。~

≪内容≫

舞台はロンドンのサロンと阿片窟。美貌の青年モデル、ドリアンは快楽主義者ヘンリー卿の感化で背徳の生活を享楽するが、彼の重ねる罪悪はすべてその肖像に現われ、いつしか醜い姿に変り果て、慚愧と焦燥に耐えかねた彼は自分の肖像にナイフを突き刺す……。快楽主義を実践し、堕落と悪行の末に破滅する美青年とその画像との二重生活が奏でる耽美と異端の一大交響楽。

 

 

人ってほんと出会う人によって変わる。

もしも私が10代の内に、内なる悪を賛成してくれる人と出会ったらドリアンのようになっていたかもしれない。

私の意思は私のものだけど、その意思が生まれるまでに色んな人の思想に影響を受けているから、100%私だけのものなんて何一つない気がしてくる。

 

 

 

他人に影響を及ぼすということ

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他人に影響を及ぼすというのは、自分の魂をその人間に与えることにほからならないから。

いちど影響を蒙った人間は、自分にとって自然な考えかたもしなければ、自分にとって自然な情熱で燃えあがることもない。 

美徳にしても本物でなく、罪悪だってーもし、罪悪などというものがあるとしての話だがーそれだって借物にすぎない。

 

その人間はだれか自分以外の人間が奏でる音楽のこだまとなり、自分のために書かれたものではなく役割を演じる俳優となる。

ヘンリー卿は会ったばかりのドリアンにこのような自分の考えを話します。

「あなたはバジルが言うように悪い影響を与える人なのですか?」という問いの答えとして。

 

善→バジル(画家)

人間→ドリアン(美貌という天才)

悪(思いやりに欠ける)→ヘンリー卿(バジルの友人)

 

バジルはどこまでもドリアンを信じていました。そしてヘンリー卿はドリアンの中にあるエゴイズムを開拓する楽しみを覚え、ドリアンは自己の内にある善と悪の境界線が分からなくなっていきます。

 

確かにヘンリー卿の言う通り、影響を受けるということは自分の内から生まれたものではなく外部から取り入れたものであると思います。

だけど、人間にとって外部から取り入れることこそ自然なのだと私は思います。

全てが自分の内から生まれるなんてことは人間、もしくは自分への過信にしか過ぎないと思う。

自分の内が分からないから理性があるのではないの?とヘンリー卿に言い返してやりたいのですが、こんなことは二晩くらいもんもんと考えて出た反論で、ヘンリー卿のように即答でこんな思想を語られたらひとたまりもないな、と思います。

 

ヘンリー卿を悪と書きましたが、ヘンリー卿は別に悪でもないんですよね。

ただ、思いやりに欠ける。人がどうなろうと関係ないといった感じで、情より好奇心がすこぶる高い。

自分の好奇心を満たすためなら他の人物がどうなろうと「それは君が決めたことじゃないか」と言える人間だと思いました。

 

そして私はどちらかというとヘンリー卿寄りの人間であると思います。

人のエゴイズムを育てようなんて思いませんが、誰が何と言おうと決めたのは自分自身でしょ?と言う考えです。

だからこそ、こういう人間は言葉を選ばなければいけない、と強く思っています。

 

人には、ここまでなら言ってもいいかな?っていう相手を毒さない(傷付けない)ラインがあることは分かるのですが、そういうものがあるのを分かっても、そこがどこに引かれているのか分からなくて、いつもそこを踏み越えてしまっている気がしてしまうのです。

悪気があればきっと傷付けることを予測できると思うのですが、悪気がないのが質が悪くて、相手を傷付けるし、自分も悪意がないのに恨まれる・・・という災難しかありません。

 

それだけ他人に影響を及ぼしてしまうことは恐ろしいことなのだと思います。いい影響として「こう言ってくれたこと悩んでるときとか思い出したりするんですよ」とか「メモるからもう一回言ってくれる?」とか「あなたに相談すると上手くいくんです。なぜか。」と言われることもあって、嬉しいこともあるけれど、それだけ言葉の影響力の強さを感じます。

 

私たちは影響を受けたり与えたりしながら生きている。

それは一方通行ではありえない。

ずっと昔から、人間は生活の中で魂の一部を与え、貰い生きてきたんでしょ?それが出来るからヒトから人間になったんでしょ?それがあるから文化が生まれ、芸術が生まれ、経済が発展していったんでしょう?

と、物語に入り込んでヘンリー卿に口答えしたいいいいい!!

 

 

 

 

 不変に美はあるのか?

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「悲しいことだ!やがてぼくは年をとって醜悪な姿になる。ところが、この絵はいつまでも若さを失わない。

きょうという六月のある一日以上に年をとりはしないのだ・・・・ああ、もしこれが反対だったなら!いつまでも若さを失わずにいるのがぼく自身で、老いこんでいくのがこの絵だったなら!

そうなるものならーそうなるものならーぼくはどんな代償も惜しまない。この世にあるどんなものだって惜しくない。

そのためなら、魂だってくれてやる!」 

文字通り魂をくれてやった瞬間から破滅までのドリアンを描いた話です。

 

私も最近まで思ってました。劣化したくない!シワやシミが怖い!ベストコンディションのままでいたい!!!と。

身体も顔もこのままで魂だけ成長しないかな、と。

 

そんなこと無理だし、いつどういう経路でこの固定観念から抜け出せたのかは分からないのですが、やはり周りの影響だったように思います。

 

私は「歳をとりたくない」と思っているけど、周りの友達は「ステキな30代になりたい」とか「30からが女の真骨頂」とか言ってたり、先輩が30代でも若々しく素敵だったので、なんだかそこまで今の自分に固執する必要を感じなくなったように思います。

 

アイドルも女優もロックバンドのメンバーも、みーんなをとる。成長する。

だけど、若さっていう無防備さや無邪気な時間を過ぎた先には色気とか大人っぽさが到来して更に魅力的に感じる。

 

もしも季節が永遠に春のままなら、春を待つかな?桜が散らずに永遠に咲いていたら、お花見の文化は生まれたかな?

 

老いが怖いのは、その先に死があるから。

多くの人がその恐怖を感じて、その度に誰かに導かれながら歩いてきたんじゃないかな、と思う。

だからこそ人生の後輩がその先を恐れて泣いているなら、「いやー案外こっちも楽しいぜ」と手をひくことができる先輩になりたい。

 

私を見て、「あいつ歳とっても楽しそうだから、まぁ歳とったら歳とったなりに楽しいことあるんじゃね?」みたいに思ってもらえたらすごい嬉しい。

 

身体はやっぱり否応なく、歳を感じさせます。

だけど魂は成長するごとに若返っていく気がするんですよ。知ることで、更に好奇心が生まれて、その好奇心がまた新たな好奇心を産む。

 

肉体は死に向かっても、魂は常に生まれ変わり続けている。

若く見える人って、そういう生き方をしているように思います。YOSHIKIとか。男性声優の吉野裕行さんとか39歳で歌手デビューして、ほんとかっこいいと思います。それまでの活動で人気声優だったからとはいっても、39歳で若い人たちに囲まれて新しいことに挑戦しようって、すごく・・・すごいなって思う。 

 

 

 

人は変われると思う。

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私はドリアンのことをそこまで悪い奴だと思いません。

人が自分自身の力で出来ることなんて、すごくちっぽけだと思っていて。やっぱり環境とか身近な人の思想とか、コネとか、元々資産があってやりたいことができるとかが8割くらいは決めているんじゃないかな~って。

 

ドリアンは資産があってやりたいことができる環境にはいたけれど、魅力的な人間や、彼の固定観念をほぐすことのできる人間がいなかった。

そこが悲劇かな・・・と思います。

 

美青年だから起こった悲劇じゃない。

私も悪だとは分かっていてもどうしても納得できないことがたくさんあった。

20歳になったときに年金を払いたくなくて。

そのときフリーターだったんですがバイト先の人が大半払っていなかったから、なんで私だけ払わなきゃいけないのよ!!と母に文句を言っていました。

母は根気強く払わなければダメなのだと、国民の義務なのだと、将来貰えるかなんて確かに今は分からないけれど、これは日本に生まれ日本で暮らすなら守らねばならないルールなのだと私に言い続けました。

 

20歳というのはとても若くて。(私だけかもしれませんが)

いきなり20歳から大人ですよ、これ払ってね、というのについていけなくて。しかも周りが守っていないルールをなぜ私だけ守らねばならないのか?という他人の影響をモロに受けた思考回路が私を占めていました。

 

母が「じゃあ好きにすれば?」と投げだしていたら、今の私ではなかったと思います。それはただ年金を払う、払わないというだけじゃなくて、他のことも人がやっていないルールは自分も守らなくていい、という他人のものさしを一番にする道を進むことになっていたんじゃないかと思うのです。

 

人は何歳を過ぎると変われないという言葉も見るけれど、全てが変われないんじゃなくて、そりゃ変われないものもできちゃうだろうけど、変われる部分だって絶対あるはずだって思います。

 

 最後は良かったねって、思いました。もう苦しまなくていいんだよって。ドリアンは色んな人を傷付けた。だけど、誰ひとり彼をほんとうの意味で傷付けた人はいなかった。彼を傷付けていたのはいつも自分自身。傷付けても、何も反応のない世界で彼は自分自身で自分を傷付けるしかなかった。

誰も傷付けられるくらいの距離にいなかったから。