深夜図書

書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

その女アレックス/ピエール・ルメートル~人々の手段として通過され続けたアレックス~

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≪内容≫

おまえが死ぬのを見たい―男はそう言ってアレックスを監禁した。檻に幽閉され、衰弱した彼女は、死を目前に脱出を図るが…しかし、ここまでは序章にすぎない。孤独な女アレックスの壮絶なる秘密が明かされるや、物語は大逆転を繰り返し、最後に待ち受ける慟哭と驚愕へと突進するのだ。イギリス推理作家協会賞受賞作。

 

三部作の中で一番入りこめた作品。

この作品だけでも楽しめるのでわざわざ一作目を見なくても楽しめるけれど、アレックスからイレーヌに行くにはネタバレが過ぎているので、もしかしたら前作も読みたくなるかも・・・その際にネタバレは絶対嫌!という人は「悲しみのイレーヌ」から読むが吉です。

 

あと、ちょっとミレニアム感がありました。

「ミレニアム」の記事を読む。

 

ヴェルーベン警部補シリーズ

悲しみのイレーヌ

その女アレックス

傷だらけのカミーユ

 

本作は語るのにネタバレ不可避なので未読の方はお気をつけ下さい。

知ってしまうと、スリルが減ります。わくわくが減ります。

 

 

 

 

なぜ私なの?

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板の間隔が広い木箱のようなものが写っている。木箱は吊り下げられていて、なかに女が閉じ込められている。若い。三十くらいだろう。汚れた髪がべたりと髪に貼り付いている。全裸で狭い箱のなかに無理な姿勢でうずくまっている。

(中略)

「これはフイエット(少女)ですね」ルイが横から写真をのぞいて言った。

 

「なんだと?どう見ても三十は超えてるだろうが」

 

「いえ、女性じゃなくて檻のことです。フイエット(少女)というんです」

 

第一部から引用しました。

最後まで読んで一部に戻ると割と一部に色んな事が書かれています。

この檻のことは、カミーユがルイが頭が良すぎてフイエット(少女)という拷問器具を思いついただけで犯人は別にルイ十一世時代の拷問器具を模範したわけではないと言っています。

 

アレックスを誘拐した男は、アレックスが殺した男の父親だったので「なぜ私なの?」と犯人に問うこともおかしくはないけれど、心当たりはありそうな感じです。

 

このフイエット(少女)という拷問檻と「なぜ私なの?」というのは、アレックスの人生そのものとも言えると思います。

 

アレックスの人生そのものが拷問檻の中の出来事だとも感じました。

そのことを具現化し、示唆したのが一部です。

 

 

女は被害者の喉に硫酸を流し込んだ

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「いずれにせよ、理由がフェラチオであれなんであれ、女にはなにか喉につかえることがあった、そういうことですね」 

 

 さて、アレックスが殺した男がある家の土の下から掘り起こされました。被害者は喉に硫酸を流され殺されていました。

 

カミーユは犯人が性被害者で男に恨みを持っている、と推理するが、それならばなぜ性器に直接かけないのか?という疑問が残る。

 

最近イギリスでアシッドアタックが流行っているというようなニュースを見ましたが、タイムリーですね。ここはフランスですが。

 

硫酸は一般人が手に入れることはありません。

アレックスは硫酸を作り出していました。

さてアレックスはなぜ硫酸の作り方を知っていたのでしょうか?

 

アレックスの喉につかえていることとは?

 

アレックスは洗面台に向かい、できるだけ全身が映るように体を離して立った。真剣な、あるいはやや厳粛な面持ちの全裸の女。

アレックスは自分を見つめた。なにをするでもなく、ただじっと見た。

 

要するにこれがアレックス。これが自分のすべてだ。

人は本当の意味で自分自身に向き合うとき、涙を流さずにはいられない。アレックスのなかでなにかにひびが入り、そこが崩れてアレックスをのみ込んだ。鏡の中の姿はあまりにも強烈であまりにも悲しかった。

 

アレックスは第一部で閉じ込められた檻から脱出することに成功し、着々と目的を果たしていました。

そして、フイエット(少女)から出ようともがいていました。

実際に、旅立つ準備も念入りにしていました。檻から出るために全てを捨てていました。

それは少女だった自分を捨てることと同じです。

あの頃の自分を救うのではなく、捨てて、アレックスは新しい人間になろうとしました。

ですが、裸の自分と向き合ったとき、その決意は崩れてしまったのです。

 

アレックスという手段

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醜いやせっぽちの少女だったアレックスの姿が浮かび、涙が出た。

あの日記の拙い文字、がらくたのような品々、そして彼女の人生・・・そのすべてがカミーユの胸を締めつける。

 

だが突き詰めてみれば、自分もあのアレックスを取り巻く人々と変わらないのではないだろうか。

自分にとってもまた、アレックスは一つの手段だったのではないか。

自分はその手段を利用しただけではないのか。 

 

アレックスがうけた拷問がひどすぎてとても書くことができません。

アレックスは真実を親友や先生に話していました。

しかし誰一人アレックスを助けようとはしませんでした。

 

カミーユも監禁から助けることも、フイエット(少女)から救いだすことも出来ませんでした。

しかし、カミーユ自身はこの事件のおかげでイレーヌの死を乗り越えることができ、前に進むことができるといった心持ちになった。

 

アレックスを取り巻く人々はアレックスを傷付けたり、損なったり、見捨てる一方で、大切な家族を持ったり、仕事を持ったりするようになっていった。

まるでそれを手に入れるための手段かのように、アレックスを通過していたのだ。

 

死んだあとに救いがあるのか?と思うとはっきりとある、ないとは思えないのですが、最後のカミーユたちの選択は彼女の尊厳を守る行為のように感じました。

誰からも庇ってもらうことがなかったアレックスを悼んでいるように感じました。

 

「悲しみのイレーヌ」の時点で、この作者は悲しい結末を厭わない人だなと感じていたので、でしょうね・・・っていう感じでしたが、カミーユを出来る警部みたいに書くなら誰か一人くらい救ってくれよ!!!と思ってしまう。

 

二作通して犯罪が起こることは分かっているのに、未然に防ぐことも出来てないし、大切な人も、苦しんでいる人も助けることが出来ていない。

なんか後手後手って感じがどうしても拭えない。

 

世の中にはこの作品やミレニアム、itと呼ばれた子、に出てくるように親とは呼べない親がいるんですよね。

子供を何かの手段として扱う親が。

自分のストレス発散の手段、対コミュニケーションの手段、特定の人物に気に入られるための手段、利益の手段、性的欲求の手段・・・などなど。

 

だから親が子を無条件に愛するのは当たり前のことだとは思わないし、親子関係がうまくいっていない人に対して有り得ないと思うことはありません。

よく「友だちっていっても裏切る人もいるからね、いざってときに本当に頼れるのは親と兄弟だけだよ」って言う人がいますが、そういう人はなんだかんだ頼れる人がいるんだなぁ、家族関係が上手くいっているんだなぁ、もし私の家族関係が最悪だったらどうするんだろうなぁ、と思います。

 

アレックスは自分を汚した人間をどんどん処理していきました。

だけど、母と兄の喉にだけは硫酸を流し込むことが出来なかったのです。

 

それは大人になった今でも二人が恐ろしいからなのか、心のどこかで愛して欲しいと思っているのか、幸せになって欲しいと思っているからなのかは分かりません。全然分かりません。

 

ただ分かるのは悲しすぎるということだけです。

アレックスの人生が悲しすぎる。

生きてたら誰でも意図せず誰かの手段になってしまったり、誰かを手段にしてしまうことがあるかもしれないけど、手段になったり、手段にしたりする分には失って取り戻してプラマイゼロになるかもしれない。

だけどずっと手段にされるばかりなら、いつかゼロになってしまう。

もしもアレックスが誰にも助けを求めていなかったなら、まだ希望が持てたのに、助けを求めたのにその声が無視されたってことが、すごく悲しい。絶望しかない。