深夜図書

不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

魍魎の匣/京極夏彦~問題はどう表現するかではない。どう理解されるかです~

≪内容≫

匣の中には綺麗な娘がぴったり入ってゐた。箱を祀る奇妙な霊能者。箱詰めにされた少女達の四肢。そして巨大な箱型の建物―箱を巡る虚妄が美少女転落事件とバラバラ殺人を結ぶ。探偵・榎木津、文士・関口、刑事・木場らがみな事件に関わり京極堂の元へ。果たして憑物は落とせるのか!?日本推理作家協会賞に輝いた超絶ミステリ、妖怪シリーズ第2弾。

 

 

やっぱり面白い、百鬼夜行シリーズ。

すっごい長いのですが、気になって気になって読んじゃうんですよね・・・。

猟奇的な事件と魍魎、匣に憑かれた男と閉じ込められた少女。

 

 興味をそそられないわけがない。

民間伝承ものが好きな私は 百鬼夜行シリーズの大ファンです。

 

 

心霊とかペテンとか占いとか

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身近なところで言うと、厄祓いとか。

信じますか?

というかやったことありますか?

 

私、占いはしてもらったことないですが、厄払いはあります。

厄祓いとか、大殺界とか、まぁ占いなりおみくじなりの結果とか運勢とか、そういうものって当たるか当たらないかってことに重点が置かれると思うんですが、これってあまり意味がないと私は思っています。

 

問題はそれによって自分が前を向けるか否かだと思うんですね。

 

私が厄祓いをしたのは、確か19歳だったと思います。

そもそも厄祓い自体うさんくさいと思っていたし、やる気なんて全然ありませんでした。

そんな私でしたが、藁にもすがる思いで厄祓いをしてもらいに行きました。

 

きっかけは18歳くらいから痴漢とか通り魔に頻繁に遭遇することが増えて、それ以外にも道端で出会った人に文句を言われたり、謎の暴言を吐かれたりする日が出てきたからです。

 

例えば知らない人にいきなり「ショッピングモールの入口どこや!?怒」と、キレられ、怖々ながら「あっちですよ」と言ったら、何分後かに戻ってきて「違ったやろがー!!!怒」とキレられたり(私、店員じゃないんですけど・・・。)

そもそもショッピングモールの入口なんてたくさんあるだろうが!!なんで分かんないのさ!!

 

道を歩いてて普通にはじっこを歩いていたのに、「最近の若い奴はほんとに道を譲らんね!!」とかおばーちゃんにキレられる・・・とか。

 

自転車のサドルを盗まれたり、盗撮された挙句追い回されたり・・・という日々が18歳から19歳になっても続き、私は20歳までに殺されてしまう・・・と本気で悩んで、本気で引きこもる一歩手前でした。

 

それを知人に話したところ、「それさ厄じゃない?厄祓いしてみたら?」と言われ、厄祓いに行ったのです。

 

正直、自分でも対策していたし(スカートをはかないとか早足で歩くとか変な人を見つけたら即退散を心がけるとか20時を超えたら即タクシーとか)、厄祓いの効果がどれだけあったかは分からないのですが、それ以降は無くなったんです。

 

人生において、辛い時期なり、思い出したくない時期ってあるじゃないですか。

自分では原因が分からずにもがいたり苦しんだりした日々って、原因不明だからこそ苦しむしかなかった。

だけど、厄祓いなり大殺界っていう考え方があれば、不必要に自分を責めなくて済むと思うんです。

「あ~そういえばあのとき厄年だったからなぁ」とか「あんなに辛かったのは大殺界だったからなんだ」という風に。

 

私は、そういう目に頻繁にあったとき

「私の何がいけないのかな?」

「私が人の悪意を引き出しているのかな?」

「どうしたらいいのかな?」

「私ってそんなに攻撃したくなる人間なのかな?」

っていうように自分に原因があるんだ、という風にしか思えなくなっていました。

だって、同じ厄年でもそんな目に遭わない子だっているんだもん。

 

そういう心の隙間を埋めたのは、確かなことではなくて、不明瞭なものだったのです。

「そうじゃないよ。仮令どんな手を使おうが、それによって救われる人間がいる限り、それはそれで良いのだ。心霊術とはそう云うものなんだ。苦情が出るのは、やり方が下手だからで、人を救うことが出来ない霊能者が増えた所為だ。人を救えない限り、どんな霊能者も凡てペテンなのだ。だから部分的に論ってペテンだと騒ぎ立てるのは間違いだ。ペテンで当然なんだからね」 

 救われる人間もいるし、救われない人間もいる。

だけど、救われない人間がいたからって総じてペテンだと考えるのもナンセンス。

 

この世に絶対はないんだと、百鬼夜行シリーズは教えてくれる。

 

 

 

魍魎と匣

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魍魎ってお化けとか妖怪のことだと思っていたんですが、本書がいう魍魎は人間の意識のことだと思われます。

そして匣は色んなものを指しています。

「いいかね。関口君。箱と云うものはね、蓋を開けて中を確認しなければ価値がないと云うものじゃない。中に何が入っているかなど、そう重要ではないのだ。箱には箱としての存在価値があるのだよ」

科学は何も入っていない箱だ。

それ自体にどんな価値を見出すのかは、それを用い、使うもの次第なのだ。

「青木君。罪悪感だの人情だので、この男を推し量ってはならないのだ。そう云うことをするから後味が悪くなる。それがー魍魎だ。」 

 人間も匣の一つです。

中身は意識。

そういう考え方から生まれたのが箱詰めの少女でありました。

 

この物語のショッキングなところは、箱詰めにされた少女達の四肢という、誰もが疑問や不快感を抱く言葉に何も意味が付与されていないところだと思います。

 

あまりネタバレしたくないので言いませんが、読者が興味を抱くショッキングな事件は事件でさえない、といったようなところです。

 

そもそもどこからが人間で、どこからが死で、どこから物体になるのだ?

私たちは共通意識としてそれを明確に分けているだろうか?

愛し合うとは、分かり合うとは、何をすれば証明できるのか。

 

 

京極堂の「箱と云うものはね、蓋を開けて中を確認しなければ価値がないと云うものじゃない。中に何が入っているかなど、そう重要ではないのだ。箱には箱としての存在価値があるのだよ」という部分がすごく共感出来ます。

 

人間にはそれぞれ己としての存在価値があって、自分の中の自分で許せない部分や直したい部分があって葛藤していたとしても、まずは自分が生きている=人間として存在価値があるのです。

相手に対しても、その人の過去や苦しみや悲しみの蓋を開けなくても、それは重要なことじゃない。

 

生きていく中で、差別感情や憤りや盲信に出会うこともあると思いますが、それが魍魎を生むのだと思います。

魍魎は不幸です。

誰もが背負っていて、でも死に至らしめるようなものではない小さな魍魎です。

京極堂は言います、その魍魎をそれぞれの持ち主に返しなさい、と。

 

それは人間はそれくらいの不幸を背負っても生きていけるだけの強さがあるからだと思えるし、それがなければ新たな魍魎が生まれるだけの話のような気もします。

 

 

 

 

呪うも祝うも言葉次第

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「呪うも祝うもそれは言葉次第。あなたの気持ちなど関係ない。たとえ発する者に嘘偽りがあろうとも、一度発せられた言葉は勝手に相手に届き、勝手に解釈されるのです。問題はどう表現するかではない。どう理解されるかです」

 呪うも祝うも漢字そっくり!

 

日常生活でありますよね。

そんなつもりで言ったんじゃないのに。

ということ。

 

でも京極堂の言う通り、「一度発せられた言葉は勝手に相手に届き、勝手に解釈されるのです。問題はどう表現するかではない。どう理解されるかです」なのですよね。

 

やっぱり人間素直が一番だと思う。

 

恥ずかしくて言えない

訳分からんプライドが邪魔して謝れない

つい嘘ついちゃった

まぁ分かってくれるだろう

・・・とか。

 

更に言うと

私素直じゃないから

ツンデレだから

あまのじゃくだから

・・・というのは、無意識に他人に負荷をかけている且つ本音が宙に浮いた状態になるのであまりよくない気がします。

 

人間関係なんて真実言ったって言葉通り理解されることのほうが珍しいのに、真実言わなかったら大変なことになっちゃうよーとこの年になってつくづく思います。

 

若いときは、そういう部分を「かわいいなぁ」「素直じゃないんだからぁ」なんて良く見れるだけの時間も環境もあったけど、大人になったらね、まず時間も相手がツンデレで言っているだけかどうか判断する環境もほぼ皆無ですからね、まあ誤解は増えますよね。

 

 

このブログは趣味でやっているので、相手にどう理解されるかより、自分が何を言いたいかにかなり寄っているんですが、これも生業にしようとしたら逆転しなければ生業にはならないよなぁ・・・と思っています。

 

 

 

 すっごい長いので、一冊のものより上中下で分かれているものの方が通勤時に読みやすいのでおすすめです。