深夜図書

書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

小島信夫の「馬」を読む/表現の冒険

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≪内容≫

既成の通念を乗り越えようとする果敢な試み―言葉の生命力を生かして、新しい文学表現の可能性を追求した十二篇。

 

ずっと気になってた「馬」。

村上さんの本ですでに読む準備が自分で出来ていたのか、すらーっと自分なりに噛み砕くことができました。やっぱり好きだ、こういうコミカルに狂ってる感じ。

「若い読者のための短編小説案内」の記事を読む。

 

馬のあらすじ・登場人物

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解説より、あらすじを紹介します。

 

「恐妻家」の「僕」の家に、相談もないまま新しく増築工事が始まる。家計をひねり出しているいるのは「僕」の働きに違いないが、それを行使する権限は完全にトキ子に牛耳られている。それを詰ろうにも、彼はかつて「愛情の告白」によってトキ子を射止めた弱みがあるために彼女に頭が上がらない。むしろ心配でならないのは妻の愛情が自分以外へ向けられることである。

 

  主な登場人物

  • 家の主人である僕

  • 妻のトキ子

  • 馬の五朗(人間の言葉を話す)

  • 増築工事の職人(僕は影の正体を棟梁だと感じる)

 

 子供のいない僕とトキ子の日常に起きた変化は、大きな増築工事だった。僕に相談もなしにトキ子は勝手に増築工事を決定していたのだ。トキ子は馬を引き取り、その馬のために増築工事をしようと決めた。もちろん、何の相談もなしに。しかもお金を払うのはトキ子だと言う。天涯の孤児であり働いていないトキ子なのに。

 

これはそもそも僕がトキ子との結婚に入るさいに、愛の告白をしたときからはじまっている。僕は義理がたい男なので、もう十数年のあいだ、この貴重にして悲しむべき言質を一旦とられてしまったために、(残念なのは、思い出して見るに、トキ子が直接僕に愛の告白をしたことは一度もない。彼女は映画に誘ったり、ケーキを御馳走してくれたり、淋しそうにしていた僕に接吻を許したりはしたけれども)以来、僕はトキ子に云いたいことがいっぱいあるにもかかわらず、いつもトキ子の方が僕に云い分があると思っているのだ。 

 

  これは冒頭の僕の言葉です。

以来、僕はトキ子に云いたいことがいっぱいあるにもかかわらず、いつもトキ子の方が僕に云い分があると思っているのだ。

っていうのは、僕が一方的にトキ子に接触するのではなく、トキ子からもあゆみよってほしいということだと思います。

 

 

会話というのはキャッチボールに例えられますよね。

一人よがりじゃ成り立たないものです。

だからこそトキ子から答えが欲しい。

愛の告白を返してほしい。

 

トキ子はなぜ愛の告白を返さなかったか

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結論から言うと、返してるんですよね。

 

(残念なのは、思い出して見るに、トキ子が直接僕に愛の告白をしたことは一度もない。彼女は映画に誘ったり、ケーキを御馳走してくれたり、淋しそうにしていた僕に接吻を許したりはしたけれども)

 

という部分でトキ子は返してるんです。たぶん。

 

 

好きでもない人を映画に誘ったり、ケーキを御馳走したり、接吻を許したりしないでしょ?政略結婚なら尚更、映画に誘うとかケーキを御馳走するなんてする必要ないじゃないですか。

相手が奢るからって云ったってついていくのはせいぜい高校生~大学生までくらいだと思います。ましてやこの時代の天涯の孤児で働いていない女が相手に御馳走するなんて愛以外の何がある?

 

だからトキ子としては、「僕はトキ子に云いたいことがいっぱいあるにもかかわらず、いつもトキ子の方が僕に云い分があると思っているのだ。」という僕の態度に対して悩んでいたんじゃないかな、と思います。

 

なので、馬を引き取り、増築したんだと思います。

馬の引き取りも増築も、映画に誘ったり、ケーキを御馳走したり、接吻を許したりの延長なんだと思うんですよ。

 

映画に誘ったり、ケーキを御馳走したり、接吻を許したりで伝わらないから、馬の引き取りや増築っていう大きなスケールに移行したんだと思います。

あら?あれくらいじゃあの人には伝わらなかったのかしら?と。

 

このあたりで、あんな二階のある家がどこにあって?あなたがいやなら私が出て行くわ・・・ 私はホントはあなたを愛しているのよ。

 

このあたりで、あんな二階のある家がどこにあって?

とかいじらしいじゃないですか。

あげたいんですよ、返してるんですよ、トキ子なりのやり方で。

 

私はホントはあなたを愛しているのよ。

って部分は、私の考察では僕=五朗=影(棟梁)なんです。

 で、僕はトキ子が僕よりも五朗を愛しているのだと思って、更には新しい家に住むのは僕ではなく棟梁に似た影であり、これから出てくるかもしれない男たちなのだと感じ、家を出ていこうとする。

 

トキ子としてはありのままの僕を好きなのだけど、トキ子がどんなに返しても気付いてくれないし、僕は激務でほとんど家にいないから他に愛の返し方が分からない。

 

そこで出てきたのが、ずっとそばにいてくれる僕(五朗)であり、男らしく自分の意思を汲み取ってくれる僕(棟梁)なのだと思います。

だからトキ子は一貫して僕を愛しているのだけど、僕が勘違いして出ていこうとしたので、思いがけず僕が望んだやり方で愛を返すことが出来たのです。

 

僕ははじめてトキ子の妙な「愛情の告白」をきくのだ。 

 

なんでこんな絡まってしまったのかというのは、トキ子が天涯の孤児であるという部分にあるのかな、と思います。

そこのとこは全然掘り下げられていないので想像ですが、生きていくために必要なのは言葉じゃなくて行動ですよね。

食べるもの、眠る場所、そういったものが無ければ生きていけない。

だからトキ子からしたら「愛してる」って言葉よりも、そばにいるとか、ご馳走するとか、接吻を許すとかの方が重大な告白だったと思うのです。

その最上級の愛情表現が、二階建ての家なのです。

 

私は村上さんの考察とはだいぶ違う感想を抱きましたが、それが出来て良かったな、と思います。怖いのは、誰かの書評や感想を見ることで自分のフラットな意見が消えてしまうことだから。

小説のほんとうに素敵なところは正解がなく自由なところ。

私的にすごく切ない物語でした。

本書に収録されている、安倍公房の「棒」もすごく好き。半村良の「箪笥」の怖さもいい。戦後って大分昔に思うけど、文章が全然古くなくて内容も面白くてやっぱり小説って面白いものは残るんだなあと痛感しました。