深夜図書

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止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記~散らばれ!もっと孤独になれ!自分の意志を持ち続けろ!~

≪内容≫

12歳だったわたしは、サティアンに一人取り残された。地下鉄サリン事件から20年。オウム真理教教祖・麻原彰晃の後継者ともいわれた「アーチャリー」の人生が、はじめて明かされる。

 

 

 

 オウム真理教の関係者の本を読むのは初めてです。

私はアンダーグラウンド約束された場所で―underground 2 を読んで思ったことがあって、それはオウムに入信した人たちが現実の社会に嫌気をさしたり馴染めずにいたことを原因にしていた割にオウムも結局社会のシステムとそんなに違わなかったんじゃないか?ということでした。

  そのことを解き明かしてくれた本でした。

社会のシステムの中で生きてきた人たちとオウムのシステムの中で育った著者だから見える視点はやはり違うものだと感じました。

 

 

 

 

 

オウムと社会と

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オウムと社会を経験した結果はどうだったのかと問われれば、大差はなかったというのが、正直な感想です。社会はシステムが整備されている分だけ、オウムよりいい、というところでしょうか。いえ、オウムにも多様性が認められたという良い点がありました。やはり総合的に見て、大差がないというのが結論です。

どちらにも100人いれば100通りの考えがあり、100通りの価値観がありました。オウムで「教義ではこれが正しい」という主張があるように、社会では「これが一般常識」というものがありました。

 オウムの中で育った著者は社会で生きていくことを選びました。

社会で育った人の中にはオウムで生きていくことを選んだ人がいました。

 

 オウムの中で高学歴を持っている人と美人は待遇がよくて現実社会と同じじゃないかという意見が、「約束された場所で」に書かれていました。

 結局どこに行っても窮屈さを感じたり、理不尽さを感じたりするのでは?という私の考えを著者は後押ししてくれました。

こればかりはどちらともを経験した人でないと分からないものだと思います。

結局のところ、人間が意思を持ち、集団で生きていくということは誰かを蔑ろにしたり、誰かを弱いところに位置づけることになる気がします。

 

R帝国」では、国の大半が貧困層だとしてもその最下層に難民を位置づけることで、国民の矜持を保つという思想が書かれていました。

「約束された場所で」に書かれていたように、良いやつが集まる集団の中では敵を作らなければならないというのはいじめ問題にも適応される気がします。

 

いじめに対して部外者ってほんとうに蚊帳の外だなぁとしみじみ思います。

ニュースで初めて知る人たちにとってはかなり衝撃的で、客観的に見る立場からしたらめっちゃひどい、あり得ないというような内容なのに、当事者たちはただの挨拶、いじり、と言う風になんてことないように言ったりするでしょう?

 

あれって麻痺というより、なんとなく使命みたいに感じるときがあるんですよね。

私たちはしなければならないことをした」みたいな。

何のために?というのがすっぽり抜けていて、「いや、しなきゃいけなかったから」みたいな。そういう意味も分からず行われてる行為って誰が止めれるんだろう?どうしたら解決されるんだろう?という超難解な問題になるし、もはや心療内科案件だと思ってしまいます。教師や親やクラスメイトが解決できるような問題ではない。

 

 100人いて100通りの考えがあり、100通りの価値観がある中で団結しろというなら絶対に否定される考えがあり、切り捨てられる価値観があるはずなんですよね。

だから「ここでは私を分かってくれる!」って集団を見つけたら、その集団の中では自分は誰かを否定してるってことにはならないでしょうか?

 

 集団を居場所にするってことは誰かを蔑ろにするってこととほぼ同じだと私は思ってしまいます。なので学生生活は辛いものでした。いじめられていなくても、クラスっていう集団にいるだけで、どうしても派閥に巻き込まれそうになることは何回もあるし、文化祭なんて価値観と価値観のバトル、お互いの良いことの押し付けあいだと思っているので、アニメやマンガで見るようなクラス団結!みんなで造り上げたもの!なんて美しいものじゃないと思ってます。

クラスメイト全員がいいと思う出し物なんて一つもなかった。

楽しそうにやる人、従う人、文句を言いながらやる人、しょうがないから適当に楽な仕事をやる人、来ない人。

だけど、物事ってそういう戦いがないと形にはならないんですよね。

リーダーが全員の気持ちを汲もうと、100通りの価値観を大切にしようとすると何も生まれないんです。そういうクラスの出し物は悲惨な結果になった。

だけど、他人から見て立派な出し物と他人からみて悲惨な出し物ってそんなに気にすることかな?って私は今だからこそ思う。

当時は恥ずかしさや他のクラスと比べて完成度低すぎ・・・と思ったりもしたけど、今はだからこそ、そういうクラスのときは目立ったいじめがなかったのかなぁ、とも思う。

  

 

 

 

 

言葉ではなく行動で見なければ分らないもの

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 わたしは自分の未熟さから、わたしの名が母にどれだけ利用されているのかに気づくまで、時間がかかりました。父はどうだったのでしょうか。父は目が見えず、書類を見ることも現場を見ることもできません。父との会話は、父のそばにいる少数の人に「独占」されます。「独占」した人は、「尊師の指示」と言い、下の人を動かしていくのです。

  著者は「アーチャリーがこう言っていた」という風に母や他の人に名前を利用されていたと明かしています。そして父に対してもそうだったのではないか、と。

これが彼女が父を信じたいという一つの理由になっていると思われます。

「尊師の指示だ」「尊師に逆らうの?」と言われて育った著者や、そうして統一されていった信者達。

 

 本書を読むと、ほんとうにこの社会とオウムの何が違うんだろう?と思う。

たぶん大多数の修行をしていた人は穏やかに過ごしていたのだろうと思うけれど、それってこの社会と同じじゃないの?と。

 

そもそもOOの指示、OOの命令に逆らうの?というのは、いじめっこボスの下っ端が使う常套句って感じですね・・・。

 たまに「OOさんがあなたのことこんな風に言っていたよ、ひどいよね」とか言ってくる人がいますが、私はこういうことを言ってきた人間こそ一番汚い奴と思ってます。この行動の卑しさが本人には見えていないんだな、と思う。

どんな美人でも、こういう何気ないところに人間性って出るよな、と思う。

 

 

 

 

 

何もしなければ何も変わらない

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松井先生はときどきおっしゃいます。

「あなたが訴訟を起こして認められることはほとんどない。麻原彰光の子だから。教団と関係があると言われているから。しかし何もしなければ何も変わらない。『そうではない』と言わないと変わらない。自分の意識も変わらない。何回も何回も挑戦していかないと」 と。

 自分の生まれは変えられない。

著者が麻原彰光の子として生まれた事について、どんな気持ちを抱こうが世間の目は変わらない。だけれども、だからといって何もしなければ何も変わらない。

しかも何かをしても認められることはほとんどない。

 

私が著者だったらどうやって生きていくんだろうな、と思う。

同じことが出来るんだろうかと思う。何度も学校に通うためにチャレンジして、そのたびに否定されて、真実とは違う報道をされ、否定された大学に通う・・・。

 

人にはそれぞれ生まれた場所があって、それぞれの事情なり境遇なりがあって、平等じゃないし、ケースバイケースで生きている。

だから言葉はその人によって良い方にも悪い方にもとってかわる。

だけど何もしなければ何も変わらないっていうのは誰にでも当てはまる言葉だなあと思う。

 

「それすることに何の意味があるの?」っていう言葉に何度も出会うと思う。

だけど何もしなければ何も変わらないから、結果として何も変わらなかったとしても、挑戦することは無駄じゃないと私は思う。

 

 

散らばれ!もっと孤独になれ!自分の意志を持ち続けろ!

桜庭一樹読書日記/桜庭一樹

私は孤独に闘う人が大好きです。