≪内容≫
「君はこれから世界でいちばんタフな15歳の少年になる」―15歳の誕生日がやってきたとき、僕は家を出て遠くの知らない街に行き、小さな図書館の片隅で暮らすようになった。家を出るときに父の書斎から持ちだしたのは、現金だけじゃない。古いライター、折り畳み式のナイフ、ポケット・ライト、濃いスカイブルーのレヴォのサングラス。小さいころの姉と僕が二人並んでうつった写真…。
ナカタさん!ナカタさああああああんんん!!!
(´;ω;`)ブワッ
村上春樹作品の中で一番出だしで入り込めなかった作品。
「あれ?大分村上春樹ワールドに馴染んだと思ってたけどこれは・・・汗」と思いつつ読み進めて行きました。
結果やっぱりとても心に残る。
読んでよかった!!!
ナカタさんが悲しすぎる
「ふと思うのですが、このナカタという人間はいったい何だったのでしょう?」
猫と会話できるナカタさん。
猫探しの依頼を受けるときがある。一日の謝礼3000円。成功報酬一万円。中野区在住で都から高齢障害者向けの生活補助をもらって生活。一人暮らし。
なんでもない日にまた猫探しを頼まれた。
名前はゴマちゃん。
道にいる猫に情報を聞くと何やら空地に猫さらいがいるらしい。猫からはアイツに近づくな、と忠告を受けるがナカタさんは自分は猫ではなく人間だから大丈夫だろうと空地で一日中猫さらいを待つことにする。
現れた猫さらいは何とも凶悪な人物だった。
突然の悪との出会いにナカタさんは自分が変わっていくことに気付き、更に今までの自分への違和感も抱くようになるのだった。
ナカタさんは自分が空っぽであることに気付いたのだった。
空っぽということは、空き家と同じなのです。鍵のかかっていない空き家と同じなのです。入るつもりになれば、なんだって誰だって、自由にそこに入ってこられます。ナカタはそれがとても恐ろしいのです。
ナカタさんが空っぽになったのは小学生の頃からでした。
ナカタさんの生涯は損なわれ続けていたように感じました。
初めは親から。そして心を開きかけた担任から。そして親族から。
村上春樹作品って性的な描写が必ずあるじゃないですか。たぶん。長編だと。
それってたぶん生きるっていうことと性欲が≒だからなような気がしました。
というのも、ナカタさんに性欲がないんです。
彼は漢字が読めないし話し方も変なのですが、言うなればそれだけです。
彼が担任から叱咤された理由は、学級全員で山にキノコ採りに行った際に担任の経血がついた手ぬぐいを発見してしまったからでした。小学生ですから、特別な理由はなかったでしょう。しかし担任としては自我を忘れるほど嫌なことでした。時代もありますでしょう。
彼が叩かれたあと集団催眠が起こり、ナカタさんだけがあっちの世界に行ってしまったんですが、そのときに漢字が知識と一緒に性欲も置いてきたのだと思います。
私の解釈で、主人公カフカ少年とナカタさんは≒です。
時代や環境が違っただけで、損なわれる側という点で同じなのです。
ナカタさんはカフカ少年と面識もないのですが、カフカ少年の代わりに彼にかけられた呪いを実行します。
それはカフカ少年を助けたし、自分自身も助けたことになるように思います。
もしもナカタさんがカフカ少年の身近に起きた災厄に出会うことなく自然に亡くなってしまったとしたら、ナカタさんは損なわれたまま、損なわれたことを知らないまま死ぬことになり、永遠に普通のナカタさんになることは出来なかったように思います。
とはいえ、ナカタさんが悲しすぎる。
こういう人は実際にいると思うのですが、こう見えなかったものを突きつけられると胸がえぐられるような気になります・・・。
こんなことがあっていいのか?そう思ってしまう。
ホシノ青年という第三者
この物語は主人公・カフカ少年、悪である父、空き家ナカタさん、悪を放出した佐伯さん、あらゆるものの中間にいる大島さんが主な登場人物です。
しかし悪と対決するのはホシノ青年なのです。
だけど上記登場人物とホシノ青年は一切繋がらない。
このホシノ青年はナカタさんがヒッチハイクしている途中で出会った長距離ドライバーです。ナカタさんに自分の死んだおじいちゃんを重ねてしまい、ついつい助けちゃう、元自衛隊で元不良なホシノちゃん。
まあなんかよくわかんないけど分かった!みたいな青年です。
ナカタさんが探していた石を見つけたのはホシノ青年で、それを教えたのは人間でも神でもないカーネル・サンダーズ。
「うん。石のことが知りたい」
「しかしまず入れ入れをしなさい。話しはそれからだ」
「入れ入れが大事なんだ」
客引きに扮したカーネル・サンダーズ。石のことはもちろん教えるが、まずは女の子を連れてくるから一発やってこいと言う。
これってちゃんと意味があって、たぶん悪と対峙できるのはそれだけの生命力を持った人間だということなんじゃないかな、と思います。
カーネル・サンダーズ的にホシノちゃんを試していたのかな?とも思える。まあこいつなら大丈夫そうだけど一応確認しとこ!みたいな。
まあその後にこれは啓示だ、とカーネル・サンダーズ自ら言ってるんですけどね。
ただ観察する理性から行為する理性へと飛び移ること、それが大事なんだ。
ホシノ青年はそれまでナカタさんについていくだけだったのですが、この啓示を気によりコミットしていくことになります。つまりお前もう逃げられないで!みたいなことですね。
ここで「いや~ちょっと客引きとか。あんた怪しいし。パス。」という理性が働く内はまだ心の準備が出来ていない、もしくはコミットする気がない、ということになるのでしょう。
で、このホシノ青年側にいるのが一般的な人間だと思うんです。
私たちの人生でカフカ少年のような呪いをかけられることもないじゃないですか。
親に「お前は父を殺し、母を犯し、姉を犯すだろう」とか言われないじゃないですか。日々色んなことを考えたり、悲しんだり笑ったりするけれど、ホシノ青年のように、割に真面目に仕事して、ご飯食べて眠る。そういう人生が大半だと思うんです。
だからこの小説の希望は、そういう普通の人生を過ごしている人間だからこそできることがあるよ、ってことだと思うんです。
神の子どもたちに収録されている「かえるくん、東京を救う」で、かえるくんがなぜ片桐さんを選んだか。
片桐さんはかっこよくもないし、華やかな仕事をしているわけでも、仕事ぶりを評価されるわけでも、兄弟の面倒を見ても感謝さえされない、いわば冴えない人。
だけど、かえるくんは、だからこそ片桐さんを信用できる人間だと思ったのです。
他人の目があるところで力を発揮するのではなく、誰からも見られていない場所、誰にも気付かれないと知りつつも自分の正義を遂行できる人間。
本作ではホシノ青年です。
この作品の登場人物は皆縛られています。もしくは損なわれている。
佐伯さんは名声もお金も手に入れたけれど、本当に一番大切なものを失った。
ほとんどの人たちは生きている中で名声もお金もそんなに手に入らないでしょう。
だけど、だからこそ自由な部分があり、だからこそ強い部分があるのだと思います。誰かに発見されたり、評価されることは常に他者がいないと成立しない。
本当の強さというのは、対自分なんだと強く思う。
ただ自分が思う正義や、自分が感じた恩、自分が感じた情を信じる。
自分を信じることが誰かを助けることに繋がると思うのです。
ホシノ青年はこの壮大なストーリーの英雄であるにも関わらず、また日常の中に戻っていくことでしょう。感謝してくれるかもしれないナカタさんはもういないし、むしろ自分が誰かを助けたことも巻き込まれていたことも知らない。
意外に自分が知らないところで、誰かの助けになれてたら嬉しいですよね。
たぶんあると思う、こんなに壮大なことじゃなくても。
些細な物語、電車内での一コマ、朝のコンビニでの出来事。
忘れないことは難しいけれど
ほとんどすべてのものごとは忘れ去られていきます。あの大きな戦争のことも、取り返しのつかない人の生き死にのことも、すべては遠い過去の出来事になっていきます。日々の生活が私たちの心を支配し、多くの大事なことが、冷えた古い星のように意識の外に去っていきます。私たちには日常的に考えなくてはならないことが多すぎますし、新たに修得し覚えなくてはならないことが多すぎます。新しい様式、新しい知識、新しい技術、新しい言葉・・・。
ほんとにね。
その中でほんとうに大切なものってなんなんだろうな?って思ったりしたりして。
あれもしたい、これもしたい、これも欲しい、あれも欲しいって、生きてるだけで、必要最低限のものだけで生活は出来るのに、どんどん欲張りになっていく気がする。
面白いコンテンツがたくさんあるし、未来に向かって生きているので、振り返ることは中々簡単なことじゃないとは思う。
でも・・・
読書と歴史って面白いよ!!!!
来年は聖書→ドストエフスキーの順番で挑戦したいと思います!