深夜図書

書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

日本人とユダヤ人/山本七平~親子な日本人、養子縁組なユダヤ人~

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≪内容≫

「日本人は安全と水を無料だと思っている」──ベンダサンの警告は今なお新しい。「日本人とアメリカ人」「日本人と中国人」を併録

 

山本七平さん=イザヤ・ベンダサンらしいのですが、それで山本さんはユダヤ人なのですかね?

もしもユダヤ人(ユダヤ教徒?)でないなら、なぜこんなに詳しく書けたのだろう?と思う。勉強すれば辿り着ける視点、と思うには遠すぎる気がしました。

 

農耕民の日本人、遊牧民のユダヤ人

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日本人の大きな特徴の一つは牧畜生活を全くしなかったこと、遊牧民と全然接触しなかったこと。従って遊牧民的思考と牧畜民的行き方が全く欠如していることである。その一例としてあげられるものが奴隷制度と宦官がなかったことであろう。「確かに宦官はなかったが人身売買はあったし、今もある」という人があるかもしれない。だが、人身売買と奴隷制度は関係がない。奴隷とは人身ではないからである。これは家畜であって、家畜の中に牛や馬や羊がいたようにヒトもおり、家畜が売買されると同様に奴隷も売買されたのであって、これを不思議と思う者がいるわけがなかった。

 

本書は「日本人とユダヤ人」「日本人と中国人」「日本人とアメリカ人」の三篇が収録されているので、日本人との対比に三つの国の人たちが登場するのですが、「日本人とユダヤ人」が断トツでおもしろかったです。

 

 なぜかというと、「日本人と中国人」に関しては自分が中国史をほとんど知らないためについていけず、「日本人とアメリカ人」に関してはなんとなく想像がつく内容だったためです。「日本人とユダヤ人」は引用文にあるように、「!!!???」という内容が盛りだくさんでした。

 

 人身売買と奴隷制度は関係がない。奴隷とは人身ではないからである。

とありますが、読み進めて行く内に分かったのは、これは人権がないとか、借金を永遠に返せないとか、そういうことではないということでした。

 

口蹄疫という病気がある。これがひとたび侵入すると家畜は全滅するから、この病気にかかった家畜はすぐ殺して焼き捨てねばならない。

(中略)

とすれば、もしヒト家畜の中に、奇妙な「思想」というヴィールスをもった家畜がいると思われた(または誤認された)場合はどうなるか。その電線を防ぐためヒト家畜を全部焼き捨てるのが当然の措置であろう。

これから先は、ユダヤ人である私には、書くのが苦痛だが、アウシュビッツとはまさにそういうものであった。だから、このユダヤ人という、伝染病にかかった家畜は殺されて焼かれた。 

 

日本人として生まれるということは、やはりどれだけ他国について勉強しても、DNA的に遊牧民の記憶がないわけですから、人間と家畜を同等かもしくは、人間の方が動物よりも価値がないと見ることに疑問を抱くと思うのです・・・。

 まあ今現在に生きるユーラシア大陸の方たちも時代とともにヒト家畜という概念は薄れていったと思いますが・・・。

 

 でもどうなんだろうな、昔は日本でも差別戒名とかあったようですし、その当時に生きていた人たちの感覚というか、時代の流れというか、そういうものを今の感覚に持ち込んで判断するなんて愚ですしね。

 

 

 この遊牧民的思考と牧畜民的行き方の欠如、すなわち農耕民的行き方が日本人の日本人たる所以であるという話が何度か出てきます。

この本、ちょっとほんとうに面白いです。

 

日本人は全員一致して同一行動がとれるように、千数百年にわたって訓練されている。 

 

 キャンペーン型稲作の話は現代にも続いているように思います。

 

日本人は日本教という宗教の信徒

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日本人が無宗教だなどというのはうそで、日本人とは、日本教という宗教の信徒で、それは人間を基準とする宗教であるが故に、人間学はあるが神学はない一つの宗教なのである。

 

この話すごく「あるある」と思って読んでました。

 というのも、人と会話してるときや、人に好意を持つとき、「人間臭い人だなぁ」とか「人間味あるなあ」とか「人間ができてる」とか言ったり聞いたりしませんか?

 逆に批判されたり悪口って「人間味がない、ロボットか。」とか「人間らしくない」「人でなし」とか、なんかすごく「人間」ってワードが入るなぁ、と。

 もちろん人間だから、感情もあるし、匂い?もあるし、ロボットなわけないじゃないですか。なのに今更「人間だよね」的なことを言われるって文字にするとほんと謎なんですが、これが感覚的にマイナスな意味ではないんだなと分かるんですね。嫌な意味で言ってるのではないんだなーってことは分かるんです。

 でも「人間臭い」を説明しようとすると難しい。説明できないのに、会話が成り立っている。通じあっている・・・これは何か、DNA的なものを感じる!と思ったら、こういう本に出会いました。

 

川端康成氏がハワイの大学で言ったことをお忘れなく。日本では「以心伝心」で「真理は言外」であるのだから。従って、「はじめに言外あり、言外は言葉と共にあり、言葉は言外なりき」であり、これが日本教『ヨハネ福音書』の冒頭なのである。

 

 説明できないもののはずだなぁ。

これは説明して共感し合う類のものじゃないってことですかね。

なんでもかんでも白黒つけたがる、明確な答えや意志を欲しがる、クリアな会話を求めるっていうのは、日本教的にはかなり難しそうですね。

  昔はなんでも知りたかったけど、今はこういう曖昧な会話も素敵だなぁと思ったりして、年齢を重ねるごとに日本教が強くなっていってる気がします。笑

 

 義理と人情ってあるじゃないですか。

これもねすごく日本教って感じがするなーって調べたら「日本の社会に固有な生活規範。」って言葉が出てきました。納得。義理人情に関しては「菊と刀」に詳しく書かれています。

 

ユダヤ人ってなんでユダヤ教にこだわるの?

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 宗教に関してこだわる、こだわらないっていうのは全く的外れな言葉かもしれないんですが、無宗教(日本教らしいけど)の私の率直な言葉です。すみません。

「アンネの日記」の中でアンネも書いていたんですが、ユダヤ教の中に選民思想というのがあって、彼らの中ではやはり自分達は選ばれた人間である、という特別感がある気がするんですね。

増補新訂版 アンネの日記 (文春文庫)

増補新訂版 アンネの日記 (文春文庫)

 

「アンネの日記」の記事を読む。

 ユダヤ人と言ったら選民思想とお金に厳しい、というイメージがあり、それが他者から迫害される理由なのかな・・・と薄ぼんやり思ってるんですが、この思想を解説してくれているお話がありました。

 

旧約聖書に記されているように、「神はイスラエルを選んで自分の民とした」ということは、多くの民の中から選ばれて「養子」にされたことで、養子になるには当然、さまざまの契約があったわけである。この「選び」をユダヤ人の選民思想というが、選民思想という言葉を、エリート意識と誤解してはならない(日本の解説書ではよくこれが混同されている)。 

 

 つまり、養子契約の中に「俺が神(父)になったから、お前は他の神を父としてはならない」というのがあって、それを破ったら養子縁組は解除されてしまう、ということです。

 なので、神(養父)の契約を破れば、子としての権利が失われてしまう。

 だから彼らは厳しい戒律を守るんですね。ユダヤ教徒とお金に関しては本書の一番最初の項目に説明されていました。

 

 なんか難しいな。

 普段普通に?というか、当たり前に日本で生まれて日本で暮らして日本人だから、国がないということが想像しようと思っても全然出来ない。

 もし自分の国の歴史がずーーーっと流浪の民でずーーーーっとここ!っていう国、母国がなかったら、アイデンティティはやはり宗教になる気がします。

 母国がなくて唯一繋がっていると思える自分の国の神様(養父?)と契約が切れたら、自分はどこの誰なんだろう?という状態になってしまう気が・・・する。

 

 生きていて、天照大神のこととか考えないし、家族っていう最小のコミュニティがあればまあいいかなーみたいな感覚なんですが、当たり前すぎてありがたみに気付いてないだけな気も・・・してきた。

 

 あとパレスチナ問題が民族の争いでも土地の争いでもないという項目があり、そういう面に関してもかなり知識がないなあ自分・・・と思いました。知らないことが多すぎるな。

日本人とユダヤ人 (山本七平ライブラリー)

日本人とユダヤ人 (山本七平ライブラリー)

 

それと、前からちょっと謎だったのが満州なんですが、「日本人と中国人」はかなり興味深かったです。私の知識の無さゆえに書評出来なかったので、今年は中国史も掘って行きたいと思います。