深夜図書

不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。※18/9/8ブログ内工事中・・・

また、同じ夢を見ていた/住野よる~正論側のタイミングでやるから上手くいかないこともある~

≪内容≫

友達のいない少女、リストカットを繰り返す女子高生、アバズレと罵られる女、一人静かに余生を送る老婆。
彼女たちの“幸せ"は、どこにあるのか。「やり直したい」ことがある、“今"がうまくいかない全ての人たちに送る物語。

 

 

 

 

 住野さんは三作目ですが、本作が一番自分的には好きでした。

深夜に読み寝落ちしようと思ってページを開いたら最後までいってました。というか途中でガンガンに目が覚めてきてしまって気付いたら・・・AM:2:30。

 

 

 

 

 

 

過去と未来を繋ぐ物語

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人は、悲しい思い出をなくすことは出来ないの。でも、それよりたくさんのいい思い出を作って、楽しく生きることは出来る。

主人公は小学生の女の子で、クラスに友達がいなくて読書好きの賢い少女。

学校に友達はいないけど、外の世界にはアバズレさん、南さん、おばあちゃん、そして猫の彼女が友達。

 

彼女はたくさん読書をしていたから賢いし、正しい。

だけど友達はいない。

 

彼女は自分が賢いことも正しいことも知ってる。

それに加えて度胸があって口が達者だ。

クラスのバカな男子に絡まれてもクールに言い返すことが出来ちゃう。

だから言い返すことのできない人、自分の好きなことに誇りをもてない人のことを「いくじなし」で「弱いやつ」と思ってしまう。

 

彼女は強くて賢くて正しい。

だけど、クラスメイトと仲良く出来ない。

 

 

先日読んだ「ふたご」の冒頭も、友達ができない夏子の話だったんですけど、「正しい」が強すぎると人と距離ができちゃうんですよね。

 

本作の少女は「言い過ぎ」なのですね。

相手の逃げ場を完封するほどに言い過ぎる。

例え相手がふっかけてきたケンカだとしても、そこまでしちゃうと正論故に残酷なのですね・・・。

 

ただこういう距離感を掴むのはかなり難しいと思います。

これはもう経験か、大人からの叱咤や同級生からの制裁という痛みによって習得するものだと思う。

だから、あまり経験がない若い内から口が達者だと本人もかなり孤独だと思います。

しかも辛いのは、本人が間違っていることを言ってるわけじゃないということ。

 

善悪と感情って区別が難しいんですよね。

これって大人になっても個人差がすごく出るし、性格にかなり影響する。

 

大人で言うグレーゾーン、空気を読む、そういったところでしょうか。

大人だって難しいですよね、こういうところは。

もっと違う言い方をすれば「愛嬌」「なぜか憎めない人」「癇に障るヤツ」「付き合いづらい」になりますかね。

 

 

人って正しいことをしてる人を好きになるんじゃなくて、自分をいい気持ちにさせてくれる人を好きになるのだと思う。

 

少女がアバズレさん、南さん、おばあちゃんと楽しい時間を過ごせたのは、彼女が正しいからではなくて、彼女たちを癒すことができたからだと思うんです。

 

世の中で、こうすればいいのに!っていう「良かれと思って」ってことも、結果として良い場合でも伝え方とかタイミングによって全然受け入れられないこともあります。

それは、良かれと思って側のタイミングでやるからなんです。

正論もそうで、正しいことに気付いた人間が自分のタイミングで振りかざすから、反対側にいる人間は心の準備が出来てないところに、いきなり斬り込まれた感じになっちゃうんですよ。

 

いきなり不意打ちでプレゼント貰っても嬉しさより驚きの方が強いですよね。

だけどそれが親友とか、兄弟とかいう関係性があったり、何かのお礼っていう前後関係があればまだ受け入れられるけど、いきなり親しくない人間に「良かれと思って」と言われても眉ひそめちゃう。何この人、何が目的なのかしら?って。

 

良かれ側の中では良い理由がちゃんと理路整然とあるので、あなたは受け取るだけでいいのよ、っていう優しさなり施しなりのつもりかもしれないですが、受け取る側からしたら押し売りみたいなものですからね。

良かれ側の善意は伝わりません。

 

こういうのって感情論だと思うので、人によって解釈は違うと思うのですが、私的にはこう思ってます。

 

 

優しくないのです。

それが正しくても、良かれと思っても、相手のことを思ってやっていたとしても、相手の事情や時期を無視することは優しくないのです。

 

それを小学生のときからロジックに理解してたらかなり老成してると思うのですが、出来てる子っていうのはいて、そういう子は「やさしい子」なり「思いやりがある」と言われてると思います。

大体が天性のものだと思います。理屈は分からずとも何となく肌で感じることができる人っていうのはいますよね。

ここまで言って、ここからは辞めよう、という境界線をひけるのは一つの能力で、素晴らしいものだと思う。

これは勉強云々で理屈は分かっても、自分の感情との折り合いというか調整が上手くいかなければ今度は自分にストレスなので、そんなんなら他人と深く付き合うもんか、という方向に行ってしまうので。

 

別に他人と深く付き合わなくてもいいんですけど、一人で生きていくには人生って長いし、変化のない人生というのは私的には空しいので、何とか自分と他人の境界線の調整をしつつ生きていきたいと思ってます。

 

 

本書の主人公の女の子は小学生ながら、そんな局面に立っています。

この子にシンクロする学生時代を送ってきた人って多そうだなぁと思って読んでました。私は黙っちゃうタイプだったので、こんな論破できるヤツがクラスにいたらびっくりするよ・・・と思ってました。

 

彼女は人を思いやれる優しい少女なのですが、その優しさを相手に届けるためには、それなりの言葉だったりタイミングがあるのですね。

 

 

私はこんなにやってるのに、こんなに努力してるのに周りが分かってくれない・・・と思う人や言う人がいます。たぶん本人は言う通り努力してるのだと思います。だけど、たぶんそれを相手と共有するのが不得意なのだと思います。

人は本質では「理解し合いたい」と思う生物だと私は思ってます。

だから、相手側からしたら「理解したいけど理解できない」→「あいつは頑張ってるかも知れないけどそれだけじゃやってけないよ」という思考回路になり、頑張ってる本人は「こんなに頑張ってるのに分かってくれない」→「人は意地悪だ。あいつらはバカだ。」となってしまって、分かり合えなくなるのかなぁ?と思ったり。

 

そんな思考回路丸出しの人間なんてほとんどいないけど、そう思うことで私は人にやさしくなれるので、相手が理解してくれないとき、「いや、相手も理解したいとは思ってくれてるはずだ!」と強制的に相手をいい人にしてます。

 

強くてやさしい人間になりたい。