深夜図書

不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

リング/鈴木光司~おまえにとって最大の敵は、その貧弱な想像力だ~

≪内容≫

同日の同時刻に苦悶と驚愕の表情を残して死亡した四人の少年少女。雑誌記者の浅川は姪の死に不審を抱き調査を始めた。―そしていま、浅川は一本のビデオテープを手にしている。少年たちは、これを見た一週間後に死亡している。浅川は、震える手でビデオをデッキに送り込む。期待と恐怖に顔を歪めながら。画面に光が入る。静かにビデオが始まった…。恐怖とともに、未知なる世界へと導くホラー小説の金字塔。

 

 

怖い。

でも、映画とちょっと違いました。

といっても映画は怖くてほとんど目を瞑っていた記憶。。。

私のイメージだと、テレビ画面から貞子が出てくる映像だったんですが、それがなかったし、映画よりロジカル。

問題は解決していないけど、理由が分かると恐怖心は薄れる。

そして、次回が気になる!!!

 

 

 

 

未知VS人類の叡智

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「だいじょうぶ、この中にはなにもねえ。おまえにとって最大の敵は、その貧弱な想像力だよ」

 引用文は主人公である浅川がビデオテープの呪いに立ち向かうべく助けを求めた竜司の言葉です。

 

ホラーの怖さって未知への恐怖だと個人的に思っています。

幽霊が怖いのはそれが「見えないもの」であることが前提で「見えない=存在していない」と思っているからだと思うのです。

そしてそれにプラスして意思疎通が出来ない

 

本作で言えば、山村貞子が何のためにこのビデオを世に産み落としたのか

それが分かれば怖くないし、それが分かる手立てが確実なら必要以上に怯えなくていい。

 

そもそも人類の歴史は恐怖の克服だったと思うのです。

そして生まれたのが哲学であり科学。

竜司は哲学科の講師です。

彼の存在というか言葉、思想、精神が浅川を助ける。

なあ、よく考えてみろ。オレたちの将来にはなあ、確実なものなんて何もねえんだ。常に、あやふやな未来が待ち構えている。それでも、おまえは生きていくだろ。あやふやだという理由だけで生命活動を停止することはできねえ。

 浅川と竜司はタイムリミットである7日目を超えるために、仮定だけを頼りに動く。

しかしその仮定はあやふやで確実ではない。

このビデオの存在理由や願望は誰にも分らない。答えのない呪い。そして生まれたばかりの恐怖。未知との遭遇。

 

不確かな希望のために動くなら、あきらめて家族と残された時間を過ごすべきなのではないか。何かやり残したことはないか。残された家族はどうなるのか・・・いや、このまま自分が死ねば、ビデオを見てしまった妻と娘も死んでしまう。

 

どうすればいい?どうすれば・・・

そんな極限の浅川の心理がびしびし伝わってきます。

それ故に読者にとっても竜司の存在は心強いと思う。

 

間違いなくカルトホラーなんだとは思うけど、サイエンスホラーっぽい感じもありました。ちょっとブラッディ・マンディの恐怖感も近いかも。

 

 

霊的なものだけじゃなくて、そこにウィルスが介入することの怖さ。怖いよ。怖い×怖いじゃ怖くないわけないじゃないか。泣

 

 

 

 

強い意志が生むもの

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よくある言葉でイメージトレーニングというのがあるじゃないですか。

いわば想像ですよね。成功者は成功しているイメージをしてる、アスリートは勝利のイメージをしてる、そういうの聞いたことありませんか。

 

想像というのは形のないものですよね。

浅川が確実な答えを求めたように、人は見えないものや形のないものに対して懐疑的です。

 

ならばは?

もっと言えばは?

 

感情は見えないじゃないですか。

それでも私達は心や魂の存在を何とも無しに認めてる。

それは「人間は肉体という器に心が入っているもの」という集団心理が作用しているのではないかと私は思います。

だがな、生命の誕生を考えた場合、魂なるものの存在を仮定したほうがすんなりいくような気もする。(中略)なあ、オレはなあ、誕生の瞬間には、もと全く違うタイプのエネルギー、というよりもある種の意思が働いたと思う 

 「リング」はホラー小説なのですが、このように哲学的な会話が盛りこんであり、とても読み応えがあります。

 

誰でも一度は「我思う、故に我在り」という言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか。私は「我思う、故に我在り」という思考に行くより先に五感が答えを出してしまうタイプのようで、自分が自分だということに疑問を持ったことはありません。

 

ですが、私の友人は「あなたがあなたであるということをどうやって証明できるの?」と言います。友人と私がちょうど4月頃に交わした会話が、本作にありました。

 

友人が竜司で私が浅川。

友人は肉体が死んだら魂はどこに行くんだろう?と言いました。

私は浅川と全く同じで「死ねばそれで終わりなんじゃないの?」と言いました。

友人は竜司と同じ「死んだことあるの?」と返し、「どうして死んだ後のことが分かるの?」と聞きました。

 私は「だって、先人達が天国とか地獄とか言ってるじゃん。」と言うと、友人は「でも、死んだらどうやって生きてる人たちにそのことを伝えられるの?」と言いました。

 

そこで私と友人はうーむ・・・と考えこみました。

そして私が思い付いたことは、もしも「人間は肉体という器に心が入っているもの」であるとしたら、なぜ心だけではダメだったのか?ということです。

 

私は友人に「思考や感情は心が司るなら、なぜ肉体が必要なのかなぁ?」と聞いてみました。

そして二人がその一日という限られた時間で出した答えが「肉体というのは、意志疎通の媒体として生まれたのではないか」というものでした。

 

「我思う、故に我在り」は肉体がなくても可能だけれど、それを他人に開示する。いわば魂につけたラベルが肉体なのではないか。

そこからどんどんラベルのカテゴリーが増えた。男女とか国籍とか。

 

そう考えると本作のキーパーソンである山村貞子は、カテゴライズのない一番最初の型なのではないだろうか。その最古ともいえる型と人類によって滅ぼされたウイルスの融合。

 

なぜ、心が肉体を欲しがったのか。

それが意思疎通をしたいという強い意志から生まれたのなら。

意志疎通のために生まれた肉体は増殖し、さらに効率化を目指したくさんのカテゴライズが生まれた。

まだカテゴライズされていない肉体は、カテゴライズ済みの肉体より意思疎通を強く望むのではないか。

 

なぜ、このビデオが生まれたのか。

それはまさしく強い意志というエネルギーに他ならない気がする。

 

目に見えないものの本質的な恐怖を描いた物語のような気がします。

 

 

だから嫌なんだよジャパニーズホラーって。無差別だし、土着的だし・・・。何より怖すぎるんだ・・・。(でも読む)