深夜図書

書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

「帰還兵はなぜ自殺するのか」を読んで

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≪内容≫

ピュリツァー賞作家が「戦争の癒えない傷」の実態に迫る傑作ノンフィクション。内田樹氏推薦! 

本書に主に登場するのは、5人の兵士とその家族。 そのうち一人はすでに戦死し、生き残った者たちは重い精神的ストレスを負っている。 妻たちは「戦争に行く前はいい人だったのに、帰還後は別人になっていた」と語り、苦悩する。 戦争で何があったのか、なにがそうさせたのか。 2013年、全米批評家協会賞最終候補に選ばれるなど、米国各紙で絶賛の衝撃作!

 

本書に出てくる帰還兵はイラク戦争の帰還兵でした。

アメリカは徴兵制がないから100%志願兵ということになります・・・よね?

自分で望んだのに、どうして病になるんだろう?

そう思った自分がすごくひどい人間に思えました。

 

『あんたは軍隊に入る誓約書に署名したときに、どんなことになるかわかってたんだから、あたしは気の毒だなんてぜんぜん思わない。』

 

帰還兵の妻の言葉・・・この本を読了するまで、私もそう思ってた。だけど、読み終えた後では、とてもそんな気持ちにはなれなかった。

 

イラク戦争とその志願兵

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 イラク戦争は、イラクが大量破壊兵器を隠しているという理由でアメリカがイラクに進行したことから始まった。二〇〇三年の三月のことである。その裏には、9・11以降のアメリカの不安と、石油問題や宗教問題があったと言われているが、国家の威信を守るために直接戦地で戦ったのは、大半が貧困家庭出身の若い志願兵だった。第十六歩兵連隊第二大隊の兵士の平均年齢はニ十歳だった。

 

ここでサリンジャーの言葉を思い出してほしい。

 

「ああいう大きくてたくましい若者たちが」

 

ーそこで父は頭を振ったー

 

「決まって前線に配置されて、きまって真っ先に殺された、つぎからつぎへとまるで波みたいに前線に押し出されて」。

そういって父は片手を広げて手のひらを外に向け、寄せる並みのように前に押し出した。

 

「我が父サリンジャー」の記事を読む。

 この本に登場する帰還兵はだからもちろん若い。

若い妻、そして生まれたばかりの幼子。夫の収入で上手くいくはずだった人生が崩れてどんどん追い込まれていく家族。辛いのは、帰還兵だけでなくその家族全員であり、戦争を経験した人間を受け入れるというのは、戦争を引き継ぐことでもあるのだと思いました。

 

 戦場から離れて家に帰っても、彼の戦争は続いてて、だから彼のいる場所は戦場になる。彼と共に生きることは、自らも戦場に身を置くことと思っても間違いじゃないと思う。

 帰るまでが遠足と言うけれど、戦争はそんなに簡単なものじゃないですね・・・。

帰っても終わらない。どこに行っても戦場と化してしまうなら、どこに行けば?何をすれば?どうしたらいいのだろう?

 そんな場所が現実にないと思うから、死を選んでしまうのだろうか・・・。

 

戦争に勝ち負けはあるのか

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自分は生きるのか、死ぬのか、無傷のままか、ばらばらになるのかと。やがて耳鳴りがし、心臓が激しく鼓動し、精神が暗闇に落ち、目にときおり涙があふれてくる。彼らにはわかっていた。わかっていたのだ。それでも毎日戦闘に出かけ、戦争がどのようなものかわかってくる。勝者はいない。敗者もいない。勇壮なものなどない。ひたすら家に帰れるまでがんばり、戦争のあとの人生でも、同じようにがんばりつづけなければならない。

 

我々は頑張るために生まれてきたのだろうか?

頑張らなければ生きてはいけないのだろうか?

 

 戦争を考えるとき、いつもまとまらない怒りのようなものが沸いてくる。

 私は戦争の時代に生まれていないし、両親の祖父も戦争から帰還してその話を聞くこともなかったし、両親も特に祖父と戦争の話をしたことはなかったそうだ。だから戦争に対して自分から手を伸ばさないとすごく遠い場所にある気がする。

 だから、この意味の分からない感情は怒りではないのかもしれない。もしも、怒りが当事者や親近者だけのものならば。

 

 強いタフな男になりたかった、と帰還兵は言う。

 たぶんそう思う人ほど、肉体に傷を負わずに帰還した自分を理想とは真逆の弱い男だと否定してしまうのかもしれない。

 

 がんばって、がんばって、がんばりつづけて・・・どこかでポキっと折れてしまうのかもしれない。がんばることが通常なら、がんばれなくなったときは普通よりも下になってしまう。そうしてがんばることで立っていられる場所が現実なら、頑張れなくなったらあの世・・・と思ってしまうのかもしれない・・・。

 

戦争がもたらす異常事態

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「ときたまイラクの警察が死体を運んできた。あるとき警官が、死体をニ体トラックの荷台に投げ込んで、クソみたいな扱いをして運んできた。そのとき、ちょうど俺たちは派兵されたばかりで、みんなトラックに駆けよって写真を撮った。わかるだろ?ひとりの男は首が切断されていて、体は膨らんで糞まみれになっていた。汚水溝の中にずっと置かれていたからだ。それでいま、そのありさまが頭から離れないんだ。でもその当時は、こんなふうだった。うわー、すげえ、こいつはクールだ。俺たちは何を考えていたんだろな。なぜあんなクソを見たいだなんて思ったんだろうな。なあ?」 

 

 この本を読んだあと、戦争映画を二本見たのですが、現実だと思えないんですよね。

 

「俺たちは目にした死体に自責の念なんか感じなかった。そんなこと気にもならなかったからだ」 

 

 と他の帰還兵も言うのですが、今までいた場所とあまりにもかけ離れた場所に行くと、そこで起きてる出来事を今までいた場所の価値観で見ることが出来なくなるのではないでしょうか?

 

 そもそも戦場にいながら自責の念なんか感じていたら全く戦えないと思うし、我々の社会の根底にある道徳や常識を持ったままじゃ生きられない場所が戦場だと思ってしまう。

 戦争の映画はどうしても綺麗に見えてしまう。

 はたして本当なのだろうか?本当だとしてどこまでが本当で、どこからが願望なんだろうか?と思う。

 

 生きている人間として、道徳と常識の上に立っている人間として、どんな場所においても思いやりを忘れず、仲間を大切にできる人間を求める気持ちは分かる。

だけど、それならなんで戦争なんて起こるんだろうな?って思うのです。

 

 戦争に限らずですが、こういう本や映画を見て分かった気になることが一番怖い。全てのコンテンツは幾千もの情報の中の一つでしかない、と私は思う。WEB上で、映像で、書籍で語られていること以上に語られていないことが世の中にはあるのに、語られたことだけが、賞を取ったり有名になったものだけが全てであり真実になってしまうなら、語ったもん勝ちの世界になってしまう。

 

毎年ニ百四十人以上の帰還兵が自殺を遂げているという事実は(自殺を企てた者はその十倍と言われている) 、限りなく重い。なぜ、帰還兵は自殺し続けるのか。

 

 アメリカだけでなく、イラク支援に派遣された日本の自衛隊員も帰還後に二十八人自殺したことが「クローズアップ現代」で取り上げられたとのこと。

はたして投薬や医療施設が彼らの命を救えるのかは、分からない。