≪内容≫
平和な田舎の村に、得体の知れないよそ者がやってくる。彼がいつ、そしてなぜこの村に来たのかを誰も知らない。この男についての謎めいた噂が広がるにつれて、村人が自身の家族を残虐に殺す事件が多発していく。そして必ず殺人を犯した村人は、濁った眼に湿疹で爛れた肌をして、言葉を発することもできない状態で現場にいるのだ。事件を担当する村の警官ジョングは、ある日自分の娘に、殺人犯たちと同じ湿疹があることに気付く…
これは・・・面白い・・・。
韓国の映画ってバイオレンス多くて好きなんだよな。
ピエタはかなり面白かったし、これも相当良かった。
めっちゃ口悪いのですが、癖になる。
タリオは怖いくて面白い。
日本の場合は愛ゆえに憎み切れず自分を追い込んで自死→呪うっていう構図なんですが、韓国は生きてる時に相手を打ち殺す勢いでぶつけまくります。
登場人物と世界観
①平和な村の中で、家族による家族殺しが頻発。
しかも犯人はかなり様子がおかしい。
②時を同じくしてこの村の中で謎のキノコが発生していた模様。
犯人の血液からはこのキノコの成分が検出された。事件現場からも大量に発見された。
③しかし周りは「たかがキノコであんな惨殺が?」とキノコを信じてない。
その代わりに謎の日本人の噂が主人公の刑事・ジョングの耳に入るようになる。
この世界で起きてることをまとめると
・謎の惨殺事件勃発
・幻覚性キノコがなぜか生えている
・犯人には謎の発疹ができ、その後死亡
・村人たち恐怖
・よそ者である怪しい日本人が一人いる
です。
謎の日本人
日本人VS村人ならめちゃくちゃ話は簡単だったと思うのです。
たかがキノコで家族を殺すなんて信じられない(信じたくない)のは、この村が小さな田舎村ゆえにほとんどが血縁関係だからだと思うのです。
自分の親族の殺人の理由は出来るだけ自分も他の村人も納得できるものであってほしい。殺人はもちろん最悪な出来事で取り返しがつかない。でも残された家族のこの村での生活は続くし、狂う前の親族を憎んだり嫌わないためにも、殺人を正当化できる理由があるならそれに懸けたい。
それ故、気味の悪い日本人を悪霊とみなすのは、まあ分かる。道徳とか倫理とか、そういうキレイなものを選べるのは日々の生活が泥臭くない人間だけだと思うから。理想じゃ生きていけないのよね・・・ほんとに。
祈祷師は日本人をモノノケであり、怨霊であると言い
謎の女は悪霊であると言う。
悪名しか聞かない日本人を怪しんでも何ら不思議はない。ジョングは自分の娘を守るため、祈祷師に頼んで日本人という名の怨霊を退治してもらうことにした。
そう、でも終わらないんですよ。
祈祷師と女と日本人は救い主である
祈祷師は悪霊は女であったと言い、女は自分を信じろと言い、日本人は生き返り、冒頭の「ルカによる福音書」をそのまま喋り出す。
人々は恐れおののき霊を見ていると思った
そこでイエスは言った
"なぜ心に疑いを持つのか"
"私の手や足を見よ
まさに私だ"
"触れてみよ
このとおり肉も骨もある"
結局のところ、救世主は一人じゃないと意味ないんですよ。
三人もいるから、迷えるジョングは疑心暗鬼でしどろもどろ。誰を信じればいいのだ?!と見てる側もなるはず。そしてそれと一緒に犯人は三人の内の誰なのか?と思ってしまうと、制作者の罠にかかった気がする。
で、じゃあなんで三人もいるのかっていうと、これは宗教戦争のメタファーなのかなぁと思うのです。神様がたくさんいると、
「私の神はこう言ってる」
「いや私の神はこう言ってる」
「いや私のk・・・」
と結局相容れないわけです。
だって神様って民を守ってくれる存在なんじゃないのかよ、その為になんでたくさんの人が死ぬんだよって誰もが一度は思ったことあるんじゃないでしょうか・・・。なんのための宗教なんだよって・・・。だから三人もいるのにどんどん村人は死んで行きます。ああ無力。
信心へ痛恨の一撃
結局、呪いでもなんでもなくてキノコなんですよ。毒キノコ。
だけどね、人は自分が信じたいようにしか信じない。
メディアが取り上げようが、事件現場にどっさり置いてあろうが、血液検査で発見されようが、犯人が食べたと言おうが、もう呪い一拓なんです。
科学が発展しようが、研究が進もうが、信じないんじゃ意味ないじゃん。科学で証明できることと、科学では証明できないスピリチュアルなものの使い分けというか、それをごっちゃにしちゃったら、誰も幸せにならない。
信じる心は大事。だけど、それによって視界が狭くなるのなら、信じる心は自分を追いつめるだけじゃないのか?それは自分だけじゃなくて愛する家族まで追いつめることになるのではないの?
なんかそういう強烈なダメ出しみたいなのをくらった気持ちでした。
たぶん見る人によって色んな見方ができると思います。長いけど飽きずに観れました。すごいことだ。