深夜図書

書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

血と暴力の国~血が流れなくても暴力がなくても、世界は血と暴力の国である~

≪内容≫

ヴェトナム帰還兵のモスは、メキシコ国境近くで、撃たれた車両と男たちを発見する。麻薬密売人の銃撃戦があったのだ。車には莫大な現金が残されていた。モスは覚悟を迫られる。金を持ち出せば、すべてが変わるだろう…モスを追って、危険な殺人者が動きだす。彼のあとには無残な死体が転がる。この非情な殺戮を追う老保安官ベル。突然の血と暴力に染まるフロンティアに、ベルは、そしてモスは、何を見るのか―“国境三部作”以来の沈黙を破り、新ピューリッツァー賞作家が放つ、鮮烈な犯罪小説。

 

 「血と暴力」と聞くと、ギャングの抗争が頭に浮かんで、麻薬がらみだしメキシコだしマフィアかな・・・みたいな事前妄想で読み始めたら・・・これはもっと本質的な「生きる」ということを描いていてかなり奥行があった。

 

 映画でも小説でもこういった作品はすごく好きで、その理由が少しだけ分かった気がします。

 

 

「血と暴力の国」とは

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 眼は魂の窓だとよく言うだろう。すると魂のない人間の眼はなんの窓なのかおれは知らないしどちらかというと知りたくない気がする。しかしこの世には普通とは違う世界の眺め方があってそんな眺め方をする普通とは違う眼があってこの話はそういうところへ行く。

  これは冒頭にある保安官ベルの言葉ですが、文字通り「この世には普通とは違う世界の眺め方があってそんな眺め方をする普通とは違う眼があってこの話はそういうところへ行く。」のです。

 

 主な登場人物は

  • 追われる男・モス
  • 追う男・シュガー
  • 保安官・ベル
  • モスの妻・カーラ・ジーン

です。

 

 血と暴力の国、が指す"国"とはメキシコのことではありません。いわばこの世界全体です。一つ一つの国では目に見えるほど多くなくても世界全体で見ればこの世界は血と暴力の国です。いつもどこかで戦争していて、そのたびにたくさんの人が暴力をふるったり受けたり、血を流したり止めたりしています。

 

 それは我々の日常と何が違うのか。ベトナム戦争から帰ってきたモスは再び平穏な日常に戻ってきたはずだった。しかし、彼は再び命をかけた戦いに参加することとなる。

 

 

モスはなぜ追われることになったのか

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 彼は金を盗んだ。だから追われた。確かにそうである。

しかし盗んだ時点では誰にも気付かれていなかったのだ。死者を除いて誰にも。

そのまま逃げればモスは追われることはなかっただろう。

しかしモスは戻ってきてしまった。その戻る道を選んだ時点でモスの世界は決まっていた。

もっと違ったふうになりえたと言うことはできる。ほかの道筋をたどることもありえたと。だがそんなことを言ってなんになる?これはほかの道じゃない。これはこの道だ。 

  ここからは完全に私の空想ですが、モスはベトナム戦争からの帰還兵です。すなわち血と暴力の真っただ中にいながら命を落とさなかったのです。それは運かもしれないし、モスの実力なのかもしれない。とりあえずモスは我々が思う非日常から我々の生きる日常に戻ってきた。

 

 戦場よりは平和であろう世界で出会ったのが麻薬密売人の銃撃戦の残骸であり、残された大金だった。

 もしもあんたが悪魔で人間をひざまずかせる道具が何かないかと考えたとしたらたぶん思いつくのは麻薬だろう。実際悪魔があれを思いついたのかもしれん。

  悪魔は非日常だけでなく、日常にも潜んでいる。モスは一回目の非日常はクリアした。しかし二回目の非日常で引っかかってしまったのだ。

 

なぜか?

 

 私が思うに、戦争という強烈な血と暴力を目の当たりにした後では、日常の風景は例え銃撃戦の末の死体がたくさんあっても、そこまで恐怖を感じなかったのではないだろうか?と思う。もし見つかったとしてもバレなければいい。例えバレても逃げ切ればいい。

 日常には抜け道がたくさんある。戦場は命のやり取りという緊張感に包まれていたが、ここは日常である。警察もいるし、家族もいる。車も、銃も、食べ物も。しかも逃走資金としての金も十分にある。

 

 そう思ったのではないだろうか?

しかし、ほんとうのところは世界全体が「血と暴力の国」なのであって、戦場やマフィアやギャングの抗争だけが「血と暴力の国」ではなかったのだ。

 

 

 血が流れなくても暴力がなくても、ここは血と暴力の国である

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口ではどんなふうにも言えるが要するにそういうことなんです。おれは死ぬべきだったのに死ななかった。もう一度あそこに戻りたいという気持ちはおれの中で消えたことがない。でももう戻れないんです。人が自分自身の人生を盗んでしまうことがあるものだとは知りませんでしたよ。盗んだ人生なんて要するに泥棒が盗んだ品物と同じ値打ちしかないってことを知らなかった。おれはできる限りよく生きてきたつもりですがそれでもそれは自分の人生じゃなかった。自分の人生だったことは一度もなかったんです。

  原題「 No Country for Old Men」は「老人のための故郷はない」になるのかな。

引用文はベル保安官の言葉で、彼もまた帰還兵でした。「Old Men」とは単純に年齢的な老人の意味合いとは別に、ある意味青春とも言える自分が生き生きしていた時代が過ぎてしまった人のことだと私は思う。

 

 戦争とは自国にとって良い結果をもたらすため、よりよい国、よりよい世界のために行った、というのが大義名分であり多くの戦士たちの信念だったと思うのです。戦争が終われば始まる前より良い国になっているはずその世界に帰れるはずだと思っていた。

 

 しかしいざ帰ってみれば、そこはすでに自分の故郷ではなかった。

ベル保安官の言葉から推測するに、彼の故郷は彼以外の全ての兵士が死んだあの戦場になってしまった。例え帰還して元の国に戻っても、彼の心は戦場に残されている。

この世界に楽園はなく、どこに行こうが誰と居ようが、全体で見れば血と暴力の世界なのだ。私はそう思う方がこの世界は素晴らしいと考えるよりしっくりくる。