≪内容≫
1992年5月、高層住宅の11階から飛び降り自殺し、24年の短い生涯を閉じた“カルト漫画家”山田花子。死後六年を経過した現在も“信者”とも言える熱狂的なファンを増やし続けている彼女が、死の前日まで記していた日記が存在した。テレビ、新聞、雑誌などを賑わせた「自殺直前日記」が、完全版となって登場!96年刊行版に、新たに発見された「日記」の未発表部分を追加した完全版!読者からの手紙も併せて収録。
赤裸々に書いてあった。分かるところも分らない部分もあった。
だけどこの本に触発されて私も自分の事を曝け出してみる。
この本に辿り着いた時、私は病んでいた。
もう生きていたくない、今まで何故のうのうと生きてこれたのか
これからどうやって生きていけばいいのか
将来両親も亡くなって姉も亡くなってそして私は結婚出来なくて
一生独り身で昨年生まれたばかりの姪に面倒を見させるのか。
何故姉の様に結婚して子供を産むという事が出来ないのか。
何故みんなみたいに普通の事が出来ないのか。
都内に溢れる幸せそうなカップルを見てどうして恋愛に幸せを見出せないのか
自分だけが人でなしのような気になってくる。
それといって特別可愛い訳でも才あるわけでもないし、料理も嫌だし。
こんな奴誰が好きになってくれるんだよ私だって嫌だ!
という気持ちだった。
家の両親は計画的かつ心配症なので、もう自分たちの墓の準備までしている。両親の目下の心配は私の結婚である。
20代後半の私は母から再三「あんたなんかもう生き遅れなのよ!」「いつになったら結婚するの?まさか姪っ子に看取ってもらうつもりなの?」と責めたてられている。惨めだ。
「私だって好きで結婚しないんじゃないよ」というと「わかってるけど・・・」とばつが悪そうにする母。
母にこんな顔をさせる為に生まれてきたんじゃないっ
好きで一人でいたいんじゃないっ
でも・・・現実は両親に心配をかけてるだけの存在。
一人暮らししてるだけマシだけど、もし何か事故にでも遭って一生動けなくなったら?それこそお荷物でしかない。
話した人の中には「家族なんだからそんなに気にしないでいいんだよ」とか、「家を出ていかないのは親孝行。親の為に居てあげている(家賃等は入れない)」とかいう人もいたし、家庭のルールや有り様は様々だから何が正解はないと思ってるけど、少なくとも家は違う。私は自立こそ親孝行であり、親が子に求めているものだと思っている。
そして結婚とは親がいなくても子が生きていけるように(親族の印が必要な時などに一番が夫になる)、出来れば自分達が生きてる内に結婚してもらい悩みやらなんやたアドバイスして助けてやりたいと思っているんだと思う。
だからこそごめんなさいと思う。
親不孝な娘でごめんね。孫を見せてあげられなくてごめんね。高給取りでもない普通の仕事でごめんね・・・。
同級生だった子達が結婚して子供を産んでいること、時々子どもと帰省していること、そういうのを母が悪気なく話すのを聞いて更に落ち込む。
「そーなんだー可愛かった?」声は沈んでないだろうか。
ごめんね、皆みたいに普通の事出来なくて。厭味ったらしい気持ちが沸々。
私に落ち込む資格なんてないよ。
だって人を好きになれないんだもん。
世界中で同性愛がタブーになってて(認めてる国もあるけど)、その事を苦に自殺してしまう人もいて・・・なんでなんだよっと思う。自分の事じゃないのに泣きたくなる。
こんな誰も好きになれない私なんかより、同性だろうが他人を愛せるなんて素晴らしく人間らしい人がなんで死ななきゃいけないんだ。
私はバイでなはい。男性しか恋愛対象に見れない。その事が時に凄く嫌だ。
私は普段、男性と知り合っても中身のない会話(「俺とこいつさっきそこで会ってさー」とか、「あ、そういえば本当は俺達XX歳なんだよね。今日誕生日でさー」)とかが大嫌いで、苦痛タイムと思っている。
大体真剣に聞いてもほとんど嘘や出まかせなのが多いから。もっと本音で話したいのに初めから話してくれる人がいない。
こっちから「趣味は?」とか聞くと「面接かよwウケるw」とか言ってくる。そうして当たり障りない地元トークとか冗談だか本気だか分かんない会話に窒息しそうになり俯いてしまう。そして場の空気を悪くするのであった。
そうやって本音で話し合いたいと、その人の本質を知りたいと思ってるのに、同性を恋愛対象に見れないというのは自分が性的にしか恋愛を捉えてないんじゃないかと思える。もう10年以上一緒にいる素晴らしき人格者の親友にどうして恋愛感情を持てないんだろう。優しくて、頼りになって、癒し系な彼女・・・。彼女が男だったらいいのに・・・と中学の時から思っている。何故女じゃダメなのか?
ボーダーレスの人はなんて純粋な魂なんだろうと思う。私も男女を超えて人間として好きになれたら・・・
そもそも友達の好きと恋愛の好きって何で違うの?もーわかんないっ
とりあえず、恋愛しなきゃと思って出会いの場に行ったり、街歩いてる人見たりして
全然ときめかない。恋愛はしたい。幸せそうなカップルが本気で羨ましい。
クーラーつけて抱きしめあって眠りたい。もういっそ添い寝カフェ?的なのに行こうかな。どうして風俗はあるのに、女性の為のはないの?もしかしてあるのかな。
でもそんな事したらもっと孤独になりそう。もっともっとさみしくなって「あー私って誰からも愛されないんだな」って少しの希望もなくなりそう。
だって抱き合ったら少しでも「可愛いな」「愛しいな」と思ってもらいたい。
あぁ、私って人にしてもらいたいばっかり。自分は人に何をしてあげられる?何もしてあげられないよ。何かしてあげられるなんて思いあがりも甚だしい。
じゃあ誰が好きになってくれるんだよ!自分も好きになれないのに!
山田花子さんは24歳にして「24才にもなって自分の生き方が分らない&今の自分から脱出したい」と書いてます。
まだ24歳じゃんかと思います。というか30才になろーが、40才になろーが分かんないままの人だってたくさんいるんじゃないかなと思います。
でも人の心は見えない。
電車の隣に座ってる人、実は今日リストラされたかも。
前の席で大口開けて寝てる人、電車の中でしか安眠出来ないのかも。
電車の中でいちゃつくカップル、二人とも心の中では別の事考えてるかも。
自分が落ち込んでる時、絶対そんな事ないのに周りの人全てが人生上手くいってるように見える。
私以外の人は悩みとかあっても幸せそう。「しょーがないよね」って魔法の呪文を簡単に使える。こんな時の私は卑屈でしかない。
そうして仕事以外何もしない生活をしようとして一週間で終わる。
仕事。食事はお弁当。後はお風呂とか必要な洗濯とかでもう寝る。
そんな生活してたら健康になれるどころか悪化していきました。
そして落ち込んで落ち込んで落ち込んで
終わりました。
私は生きることに絶望してみたりするくせに、死のうとは思いません。
絶望するくせに
「だってまだオーロラ見てないし」とか「だってまだ世界旅行してないし」とか「死ぬなら猫飼ってその猫と死にたい」とか地味に希望があるのです。滑稽・・・
最後にそうかも・・・と思った文。
[予定調和の法則]
「公平」というのは建前で、現実は理不尽で不公平な「予定調和の法則」で成り立っている。強い方から弱い方へ順番にいじめてうっぷんを晴らすことで、世の中の調和が保たれている。もし「自殺は悪くない」ってことになってると、今度は、もういじめる相手がいない最底辺から順番に自殺してしまい、社会が成り立たなくなってしまうので、この世は「自殺は罪悪」という「常識」を作っている。この常識を世間に広め弱者に押しつけることで、社会の調和が保たれている。(90年「11月)
アメリカとソ連が自分達の思想を押しつけて代理戦争したように。
押しつけた側は自分の気持ちは空っぽな癖に誰かの受け売りで正論翳してくる。
空っぽな癖にあたかも本気で考えてますみたいな妄想にとり付かれている。
建前の常識は一応掲げといて自分の思想はきちんと育んでかなきゃ
それを捨てたら私は退屈に殺されそう。
だけど常識的には結婚して子供を産んで他人に迷惑かけず家族間で人生完結させなきゃ人でなし。
個人の思想なんて誰にも必要とされてない。