深夜図書

書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

トーマの心臓Lost heart for Thoma/森博嗣~オスカーはロンギヌスの槍?~

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≪内容≫

ユーリに手紙を残して死んだトーマという美しい下級生。ユーリを慕っていたという彼は、なぜ死を選んだのか。良家の子息が通う、この学校の校長のもとに預けられたオスカーは、同室のユーリにずいぶんと助けられて学生生活を送ってきた。最近不安定なユーリの心に、トーマの死がまた暗い影を落とすのではないか。そんな憂慮をするオスカーの前に現われた転校生エーリク。驚くことに彼はトーマそっくりだったのだ――。愛と孤独、生と死に苦悩する若者の内面を、森博嗣的世界観で描いた傑作。

 

森博嗣といえばスカイクロラシリーズ全てがFになるシリーズだったり、作品あり過ぎて全然読み切ってないのですが読んだ中で一番好きなのは「喜嶋先生の静かな世界」なんです。

喜嶋先生の静かな世界 The Silent World of Dr.Kishima (講談社文庫)

喜嶋先生の静かな世界 The Silent World of Dr.Kishima (講談社文庫)

 

この何とも言えない世界観がね・・・すき。

 

さて!

本作はオスカーが主人公となってます。

どーにも器用貧乏そうなオスカー少年を主軸に書かれたお話です。

器用で友達思いで誰とでも仲良くなれるけど、本当は誰よりも弱いオスカー。

トーマ、エーリク、ユーリは強いです。自分の意思が強いから。そのせいで縛られたり悲しむことはあっても自分で自分の道を切り開ける。

ジョーカーを持っているオスカーより何も持たない彼らの方が自由で、問題児の様な彼らよりオスカーの方がよっぽど迷い続けてる。

 

オスカー

 

これまで適当に生きてきたけれど、そろそろ決めなければならない。たとえば、卒業して就職をするのか、それとも、さらに上に進学するのか。自分は何がに向いているだろう?他人が何に向いているかは、わりと分かる方だと思う。本人よりも僕の方が的確に把握していることだってあるだろう。でも、自分のことになると、さっぱりわからないのだ。これはみんなそうなのだろうか?

 

こんな少年です。

他人の事が見えるとほっておけないんですよね。気付かなきゃほっとけるのに。気付いてしまったら何とかしてあげたいとか、見守るにしたって心配してしまうし。気付かない振りだって出来るし、そのことで傷付けられることはないのにね。

本当に器用貧乏なんだよなぁ。。

 

それに比べてまっすぐに育ったエーリク

 

外出するのに、備考ってのがわからない。外に出るのに、わざわざ理由が必要かな。どちらかというと、帰ってくる理由の方が大事なんじゃないかなと思うな。

 

 

そうかなぁ・・・。束縛するような身内は鬱陶しいけれど、信頼していて、自由にさせてくれる人だっていると思うな。そういう人は、ずっと一緒に居なくても良くて、でも、どこかにいてくれる。生きている、というだけで、嬉しい。そういうものじゃない?

 

 このときオスカーは素直にまったくそのとおりだと思ってますが、私だったら純粋過ぎてイラッとくるかもしれません。

 だって、この発言でエーリクがこれまでどれだけ愛されてきたのかがわかる。

 たった一年しか年も変わらないのにエーリクは真っ白なままで自分はどんどん汚れていってるような。どんどん色んなものに巻かれて自分の意思なんてどこに置き忘れたかもわからないものをエーリクは大切に持っていて。

 自分の意見を言うことで自分が嫌われることなんて全く気にしなくって、しかも実際エーリクは皆に愛されてる。先生からも愛されてる。ユーリからも・・・。

なんてね。思春期の私だったらこんな思いになりそう。

 

ワーグナー教授

オスカーにとって唯一となった肉親。オスカーの母は父に銃殺され、父は寄宿舎に彼を置いて旅立って行ってしまった。今はもう亡くなっているだろうと推測されている。

 

あいつは、私に示したのだ。妻は自分のものだと。男として立派だったと思う。結局私は負けたのだ。しかし、では何故、息子を私に預けたのか。君は、何故、オスカーという名前なのか。君の髪の色、目の色は、彼女がハーフだったからだが、それにしても・・・

 

 ワーグナー教授とオスカーの父は互いにオスカーの母ヘレネーを愛していたが、ワーグナー教授は研究に没頭している間に二人は結婚。

 しかしヘレネーが妊娠出来ないと相談に来た時におそらく行為に及ぶ。ヘレネーは夫との子としてオスカーを育てるが父にはワーグナーとの子だと分かっていた・・・という感じで原作に書かれていた気がします。

 「訪問者」を読んだ方がより分かりそうな気がしますがまだ読んでいないので・・・。

訪問者 (1) (小学館文庫)

訪問者 (1) (小学館文庫)

  • 作者:萩尾 望都
  • 発売日: 1995/08/10
  • メディア: 文庫
 

「訪問者」の記事を読む。

 

君は、何故、オスカーという名前なのか

 調べたところ、オスカーとは神の槍の意味があるそう。神の槍といえばかの有名な「ロンギヌスの槍」ですね!でこの槍とはかの有名なイエスの脇腹をさしたことで知られています。=キリストの受難。

 なので父からワーグナー教授への「この子の存在によって肉体的にも精神的にも苦しみを受けたよ。」の意味なのかなぁと。父にとってオスカーという存在は「聖槍」そのもの。ということは名づけたのは父ということになりますね。

 母を殺してから旅に出てる間、父は優しかったというのできっと父もオスカーを愛したかったんでしょう。愛してるから一緒に居るのが辛い、でも幸せになってほしいから素直に愛してくれるであろう実の父であり親友のワーグナー教授に託したのだと思います。

 まぁ、全部大人の都合ですのでオスカーは本当に振り回されっぱなしですが・・・。

 

オスカーのことをね、かわいそうと片付けたくないんです。

彼は三人の事情を理解して、自分の感情も理解して前を向いているから決してかわいそうな少年ではないのです。受難の先へ彼は自分の足で一歩一歩歩み出しているのです。

 

ユーリ

 

生きていくためには、排除しなければならないものがある。それがどんなに価値のあるもの、美しいもの、掛け替えのないものであっても、取り除かなければならない。でなければ、自分が破滅してしまう。そうだろう?自殺することは許されない。だったら、障害物を取り除いて進む以外にないじゃないか

 

ある時を境に変わってしまったユーリ。親友のユーリを何とかして助けたいオスカー。

ユーリの傷を手当したマリア先生に何があったのか教えてほしいと聞くと。

 

いいかい?救うなんてことは考えない。そんなのは綺麗事だ。綺麗な言葉で自分を誤魔化しちゃいけない。君は知りたいだけだ。そして、もし知れば、今度は君が苦しむことになるだろう。友達の苦しみを、自分の苦しみとして感じることになる。でも、それでも、ユーリの苦しみは、少しも消えることはないだろう。苦しみを背負ったつもりでも、何の役にも立っていない。結局は、そういうことまで、君は知ることになる。(中略)傷口を見ても、傷の痛みはわからないんだ。真の痛みは心が受けるもので、真実はそこにある。でも・・・そんなものが言葉になると思うかい?言葉を聞いたところで、知ったことになるのか?理解したいと君は言ったが、理解なんてできるはずがないじゃないか 

 

 オスカーのいいところは素直に聞き入れる事が出来るところ。

「俺がアイツを救うんだ!」みたいな人は正論を言っても逆ギレすることがある。しかも「冷たいひと!!」とか「同じ痛みを分かち合うんだ!それは親友(恋人)の役目なんだ!」みたいな。まぁ基本思考が違うんだなと思うしかないんですかね・・・。

 

そして待つことにしたオスカー。

神父の道を選んだユーリは自分が救われたいから人を救いたいと言っています。

 マリア先生がオスカーに言った「君は友達に支えられている」とは、彼が周りの友達の問題を救うことで彼もまた救われているからだと思います。

 エーリクの無邪気さの影でユーリが苦しんでいる。ユーリの苦しみに当てられてエーリクもまた苦しんでいる。そうやってオスカーの周りには常に誰かのSOSがあったからオスカーも自分の無自覚のSOSを消化出来ていた。

 もしも、オスカーの周りの友達が何不自由なく、幸せな家庭で夢に溢れて、希望に満ちていて、少年らしく苦悩も知らずにお茶会を楽しみ輩ばかりだったら今のオスカーはいないだろう。

 

 オスカーもまた神父さんになれそうですよね。お堅い神父はユーリに任せて、ちょっとくだけたフランクな神父さんになれそう。アリなのかはわからないけど、オスカーに「大丈夫ですよ」って言われたら救われた気持ちになるだろうなぁ。

 

 奪われた純潔

子供から大人になる・・・。大人と子供の違いとは。

よく子供は無邪気ゆえに残酷だーとか、素直だとか、希望に満ちているとか、言われますがじゃあそれらをいつ失ったのか、全員が失うものなのか、持っていては生きていけないのか。

 

ただ、ユーリの躰には、まだその傷が残っているかもしれないし、たとえそれが綺麗に消えても、彼の心は、元どおりの期待に満ちた少年のそれではもうない。人間を信じられた無邪気な子供には、もう絶対戻れないのだ。それは・・・僕にとっても同じだった。

僕は、暗いベッドで、あの銃声を聞いたときから、もう、それ以前には戻れないことを知った。

 

 それは自立した時ではないかなと思っています。

 いつかは誰もが自分の足で立たなければならない。だけど自ら立つのと奪われて立たなくてはならなくなったのでは大分違いますよね。

 思春期というのは環境によって自立の有無が発生する時期だと思います。大学まで子供でいていい子もいれば中学になれば自立を求められる子もいる。

 早ければ小学生でも求められている子はいるでしょう。

 父が母を撃ったという事実によってオスカーは人間の男女の複雑さや愚かさを見た。ユーリはサイフリートからのリンチによって凶悪な人間がいることや、人と関わることで深く傷つくということを知った。

 そうして、純粋に人を信じるとか無条件に人を愛するとかそういうことが怖くなる。

 そんな自分にどこかで悲しんでいるんだと思う。だって人を疑いたくないし、人類みな愛したいもん。

 子供の時はそんなの簡単だって思ってたのに、思っていられたのに、大人に近づくにつれてどんどん世界の歪みに呑み込まれちゃう。泣きたいのに、助けてほしいのに優しい人はもういない・・・。

 

 

 オスカーもユーリもトーマも自分の存在とは何か、何が出来るのか、何の為に生まれてきたのか、そんな局面にいち早く立ったのでしょう。

 そして三人それぞれの答えを見つけた。

 だからこそこんな悲しみや苦悩が詰まった果てに光が見える。トーマの答えもユーリの受けた傷もオスカーの苦悩もこれで良かったんだって思える。

本当に皆が天使に見える。そんな作品でした。

もちろん本作だけでも楽しめるとは思いますが、個人的には原作ありきの作品なので 是非本作読んでから読んでみてください。

 

もしかしたらどこかに置き忘れた翼に出会えるかもしれません。

トーマの心臓 Lost heart for Thoma (文庫ダ・ヴィンチ)

トーマの心臓 Lost heart for Thoma (文庫ダ・ヴィンチ)

 

 原作はこちら↓

トーマの心臓 (小学館文庫)

トーマの心臓 (小学館文庫)

 

「トーマの心臓」の記事を読む。