深夜図書

書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

対岸の彼女/角田光代~私たちは何のために歳を重ねるんだろう~

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≪内容≫

専業主婦の小夜子は、ベンチャー企業の女社長、葵にスカウトされ、ハウスクリーニングの仕事を始めるが…。結婚する女、しない女、子供を持つ女、持たない女、それだけのことで、なぜ女どうし、わかりあえなくなるんだろう。多様化した現代を生きる女性の、友情と亀裂を描く傑作長編。第132回直木賞受賞作。

 

「八日目の蝉 」でおなじみの角田光代さん。

八日目の蝉 通常版 [DVD]

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「八日目の蝉」の記事を読む。

 

 あぁ深いなぁ・・・と思いました。

何のために歳を重ねるのか

何のために出会うのか

大人になった今、選択肢は子供の頃より格段に多くなった。

逃げることもできる。

見ないこともできる。

助けることもできる。

 

葵とナナコ

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思ったのは、これは桜庭一樹作品の少女たちの未来なのかもしれないということです。

この作品に登場するナナコ

いじめをうけ引っ越した葵は入学式でナナコと出会い仲良くなる。

ナナコはどのグループにも所属しない子で、葵は大人しいグループに入った。

二人は毎晩電話をするほど仲良しだったが学校では他人のフリをする。

そして、夏休みに二人でリゾートバイトをするが帰る日になってナナコが帰りたくないと言いだし二人は逃避行することに。

お金も尽きたころ二人はマンションから飛び降りるが一命を取り留める。

しかし、葵とナナコはもう同じ場所にはいられなかった。

 

おとうさん、なんであたしたちはなんにも選ぶことができないんだろう。父の言葉にうなずきながら葵は心のなかで叫ぶように言った。

何かを選んだつもりになっても、ただ空をつかんでいるだけ。自分の思う方向に、自分の足を踏み出すこともできない。

ねえおとうさん。

もしどこかでナナコがひどく傷ついて泣いていたら、あたしには何ができる?駆けつけてやることも、懐中電灯で合図を送ることもできないじゃないか。

なんのためにあたしたちは大人になるの?

大人になれば自分で何かを選べるようになるの?

大切だと思う人を失うことなく、いきたいと思う方向に、まっすぐ足を踏み出せるの?

 

桜庭一樹の小説ならここで終わってしまうと思います。

二人の逃避行のその後は書かれない。

だけど、この作品にはその後がある。

そして、その後二人は一切会っていない。

 

桜庭一樹の小説ではメイン所になるであろうこの部分は過去になっています。

ナナコは過去にしか登場せず、葵だけが現在も登場しています。 

そして葵はまるで過去のナナコのような性格になっています。

彼女の作った「プラチナ・プラネット」という会社名も、ナナコと19歳になって一人だったらプラチナの指輪を贈り合おうと約束したところから来ています。

 

ナナコとはそれ以来会っていない葵ですが、彼女は何一つ忘れていないし、子供のときに出来なかったことを大人になるまで大切にしてきました。

どこにも行けなかったあの時の二人がどこでも行けるように旅行会社を作ったのではないか・・・。

何のために大人になるのか。

それは、子どもであるが故に選べなかった道を選ぶためなのかもしれない。

 

何のために歳を重ねるのか

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小夜子は人間関係が上手くいかない人生だった。

そして新しく始めたバイトで葵とも仲違いしてしまう。

一体何のために歳を重ねるのか、何のために出会うのか。

小夜子はもう一度葵と向き合うと決めたことでその答えを見つけた。

 

なぜ私たちは年齢を重ねるのか。

生活に逃げこんでドアを閉めるためじゃない、また出会うためだ。

出会うことを選ぶためだ。

選んだ場所に自分の足で歩いていくためだ。

 

人との出会いは疲れる。

知らなくて良かったことまで知るハメになったり、巻き込まれなくていいいざこざに巻き込まれたり、聞きたくない愚痴に付きあわされたり、デメリットを上げようと思えばいくらでも出てくる気がする。

専業主婦になった小夜子は自分から望まなければ外の世界と関わらずに済んだのに、なぜ行動してしまったのかと後悔する。

 

大人になったら出会うことは選ぶことになる。

生活に逃げこんでドアを閉めることも出来るし、周りと一線を引いて深く関わらないこともできる。

そして、その一方で新しい友達を作ることだってできる。

相手が転んだときに駆け寄って手を繋いで走り出すことだってできるのだ。

 

人間関係は楽じゃない。

だけど、出会うことを選ばなきゃ何のために歳を重ねる(生きている)んだろうか。

仕事じゃなくてもいい、近所の付き合いや趣味や、習い事、なんでもいい。

自分の足で歩いていくために、助け合うために、出会う。

 

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解説が森絵都さんで、その中で共感した部分があったので引用致します。

 

恋の話で盛りあがり、ファッションに凝り、気に入らない教師たちを腐しながらも、私たちは常に何かを警戒し、信じられる友達だけを一心に求めていた。当時の友達づきあいをふりかえると、なぜあんなに疎ましいほどに濃密に関係に耐えられたのだろうと怪訝に思う一方、なぜあんなに必要としていたその濃密さを卒業と同時に失うことができたのだろうと不思議にも思う。

 

卒業と同時に疎遠になりますよね。

友達ってなんだろう?と思ったし、それくらいの関係ならいいやと思ってしまい、私には親友が一人と趣味が共通の友達合わせて4人くらいしかいません。

職場でも当たり障りなく過ごして、友達って感じではないです。

 

友達と呼べる人って何かを共有した人なんです。

葵とナナコのような逃避行までいかなくても、部活で一緒に頑張りぬいたとか、同じ夢を追いかけたとか、一緒に頑張ったことがある人。

きっと小夜子と葵は二人でプラ・プラを立ち上げたということで友達になると思います。

それはお互いが逃げなかったからなれた関係。

 

出会うために歳を重ねるのだと思うと、とても前向きな気持ちになれる。

終わりに向かって歳を重ねるのではなく、新しい出会いのために。

対岸の彼女 (文春文庫)

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