≪内容≫
『モモ』『はてしない物語』などで知られるファンタジー作家ミヒャエル・エンデが日本人への遺言として残した一本のテープ。これをもとに制作されたドキュメンタリー番組(1999年放送/NHK)から生まれたベストセラー書籍がついに文庫化。忘れられた思想家シルビオ・ゲゼルによる「老化するお金」「時とともに減価するお金」など、現代のお金の常識を破る考え方や、欧米に広がる地域通貨の試みの数々をレポートする。
ファンタジー作家であるエンデはファンタジーに対してこんな言葉を残しています。
「ファンタジーとは現実から逃避したり、おとぎの国で空想的な冒険をすることではありません。
ファンタジーによって、私たちはまだ見えない、将来起こる物事を眼前に思い浮かべることができるのです。
私たちは一種の預言者的能力によってこれから起こることを予測し、そこから新たな基準を得なければなりません。」
本を読むときに何を考えてる?
エンデは日頃、現代人は大人から子どもまで「この本は何をいいたいのかという質問」にとらわれてしまったと嘆いています。
陳腐な決まり文句や、簡単なメッセージに置き換えることが、一冊の本を理解することだとするのは時代の偏見であり、本を読むことは豊かな体験であって、作者と読者の個別的な関係を築いていく行為だというのです。
「この本は何をいいたいのかという質問」
これって小学校の国語の時に先生から教わったことです。
「さて、作者は何が言いたかったのでしょう?」と先生は言います。
それを考えることが答えだった。
だから自然に答えが本の中にあると思っている。
答えを見つけることが理解だと思っている。
作者と読者の個別的な関係を築いていく行為
これは純文学とかにあたるかなぁと思います。
作者が考えたことを鵜呑みにするのではなく、疑問を持ったり、自分ならどうするか考えてみたり、本の中身は変わらないけど自分が変化するにつれて関係も変化していく。
純文学や哲学書って作者も迷いの中にいるのかなって思うようになりました。
昔は「で?結局何が言いたいの?」と思っていたな。
読書の本質が作者との対話だということに気付いたのは最近のことです。
選んだ本が、全く違う内容のものを選んだつもりでも繋がっていると感じるのは、自分が求めているからなんですね。
運命の一冊は偶然じゃなくて、自分が引き寄せたものなのです。
地域通貨イサカアワーの誕生
アメリカ合衆国のニューヨーク州トンプキンス郡イサカという町で誕生した「イサカアワー」
いまやアメリカの多くの企業がグローバル化することで、もはやアメリカの企業とは呼べないような現実をつくりだしている。
これらの企業はアメリカの資源と労力を使いながら彼ら自身の利益のためにのみ働いている。
それでいて雇用を海外に輸出しているのだ。
賃金の安い中国やインドにアウトソーイングすることで、アメリカでは失業者が大量に生まれていた。
そこで自分を自分で雇うという発想の元にイサカアワーが生まれた。
イサカアワーの流れ
①まずイサカアワー委員会に申込用紙と1ドルを同封し申し込みます。
②名前と自分がしたいビジネス(何を売るか、何がしたいか)が地域の新聞に掲載されます。
③2アワーが送られてきます。
④このアワーを使い、また新聞から誰かが連絡をくれれば稼ぐことができる。
何をビジネスにするかというと、自分が育ててるハーブを売るとか、犬の散歩とか芝刈りとか、些細なことも新聞に掲載してくれるのでなんでもビジネスになります。
イサカアワーのメリット【直接交渉】
イサカアワーで、地域の人同士のコミュニケーションが広がります。
自家製のパンを売っているAさん。
そのAさんに問い合わせてきたBさんはピアノのレッスンを行っている。
AさんはBさんに娘のレッスンを頼む。
レッスン料とイサカアワーの額が折り合わない時、自家製のパンで不足分を補うことが出来る。
これはAさんとBさんの直接交渉になります。
イサカアワーのメリット【起業の初期費用が1ドル】
陶器や自分の作品を売りたいとき、イサカアワーなら地域新聞に1ドルで広告を載せてもらえる。
簡単だからやってみようかな?と軽い気持ちで始められる。
試すことが簡単に出来るので、思いがけず収入が入りそのお金で収入がなければ買わなかったものにも目が向くようになる。
イサカアワーのメリット【職人を守る無利子の貸出】
地元の木材を使って独自の美しい家具を作る職人は一つの家具を仕上げるのに一年かかる。
しかし不況でなかなか売れない。
自分の作品にロゴを焼きつける焼きごてを買うためのローンを委員会に申し込んだところ、ローンが職人に支払われた。
イサカアワーに入ったことで、職人の家具をイサカアワーで買いたいという人が現れ、更に家具作成の授業を行う様になったり、職人が職人のまま生きていけるように援助を行っている。
まだまだあるのですが、かいつまめるものだけ書いておきました。
自分のビジネスがやりやすくなると同時に地域の中での繋がりが強くなることが大きな特徴のようですね。
イサカアワーが使われるとき、必ず人々は対話しています。
なぜなら私たちは似通った考え方をしていて決してどこに行くとも知れないようなドルをただ消費するために使っているのではないからです。
私たちはこの通貨に大きな価値を見出しているのです
世界では想像もつかない程のお金が動いていますよね。
日本では1062兆円の借金があると言われています。
お金はシンプルに、さんま一匹とりんご3個の物々交換だったはずなのに必要以上のさんまをとって、必要以上のりんごを収穫して、それと引き換えに大量のお金を貰う。
モモの世界での時間銀行は現実問題では銀行です。
「モモ―時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語」の記事を読む。
私たちは今を生きているようで、目に見えない未来の為に今を台無しにしているのではないでしょうか。
灰色の男たちにそそのかされて、あくせくと働く余裕のない大人たちは私たちそのままではないでしょうか。
お金があれば豊かなのか
99%の人々がお金の問題を見ようとしない。
科学もこれを見ようとしない。
経済理論もそうだし、「存在しないもの」として定義しようとさえする。
われわれが貨幣経済を問題としないかぎり、われわれ社会の、いかなるエコロジカルな転換の見通しも存在しはしないのだ
便利なものとしてお金を生み出した人間が、お金の奴隷になっている。
何も疑問に感じずにお金を使っている。
お金は生きるためには必要ですが、必要以上のお金は、各国をハイパーインフレに陥れ、戦争を呼び、貧困を招きます。
そのことを歴史が証明していてもなお、世界は変わりません。
私がこの本の中でとても感慨深く感じたのは、古代世界でのエジプトの話です。
現在エジプトは発展途上国ですが、古代では最先進国だったそうなのです。
その秘密は減価するお金のシステムにあったようです。
ちょっと長いですが引用いたします。
当時、農民は穀物を収穫すると、それを穀物装備倉庫にもっていきました。そこで保管してもらうのです。
その代わりに、納入した穀物量と引き渡し日が焼きこまれた陶片を受け取ります。
この陶片は穀物の受領を証明するものですが、同時にお金としても使われました。
これは倉庫に収められた穀物によって担保されるお金だったのです。当然、穀物はネズミなどによる食害や保管費用がかかります。
したがって、その担保物の減価率をそのお金にも反映しなければなりませんでした。
ですからマイナスの利子のお金であったわけです。
そうすると農業者は、このお金を貯めておいても損ですから、別なモノの形で、自分の豊かさを維持しようとします。
当時の農民は、そこで自分の豊かさを灌漑施設の整備や土地の改良にそそぎ込んだのです。豊かさをお金の形でもたず、自分たちに長期的な利益をもたらすものに投資したのです。
したがって、ナイル河流域は豊かな穀倉地帯となったのです。
豊かさをお金の形でもたず、将来の投資として作られたもの。エジプトの古代遺跡や中世のカテドラルは現代人にとって見るに値するものです。
ですが今は利子によって短期的な利益をあげていかねばならない仕組み(20年経ったら壊れるような住宅やビル、10年持つかどうかの自動車など)の為に、息の長い価値のものは作られず、浪費の果てにゴミの山が吐き出だされているのが現状です。
私たちが感動するもの世界遺産となっているものって、すごいですよね。
アンコールワットに行ったとき、本当に感動しました。
こんな石の山をどう積み上げたんだろう?とか、レリーフの細かさとか、圧倒されることばかりでした。
私たちが昔の遺跡に魅了されるのはそこに豊かさが見えるからじゃないのかなって思うんです。
それは、お金に支配されながらも本質では太陽が昇ると共に起きて沈むと共に眠るような素朴なライフスタイルこそが豊かなのだと感じているからではないのかなと思います。
もちろん、お金がないと大事な人を救えないと思います(急に家族がガンになったりしたときの治療費、入院費など)。
お金はいつの時代でも必要です。
だけど、そのお金によって苦しみが生まれているのも現実なんですね。
当たり前のようにお金を使っていますが、そのお金はどこからきてどこに行くのでしょうか。
私たちはファンタジーではない現実に生きていながら現実から逃避してはいないだろうか。
まだ見えない未来を真剣に考えてみよう。