この人のコラムが好きです。
結構ばっさりと斬るので。
この本も最初から「愛されるってそんな簡単なことじゃないでしょ」と仰っています。
安易に「こうすれば愛されま~す」という本じゃないので好きなのです。
オシャレするほどヒマそうに見える
たとえばだけれど、ネイルアートに凝りまくれば、それだけで"ヒマしてる女"に見えてしまう。髪型がいつもめまぐるしく変わる人、いつもやりすぎなくらいスキのないオシャレをしている人って、やっぱりいろんな意味で"ゆとり"ありすぎの女に見えてしまう。
もちろん"自分に手間をしっかりかけること"を揶揄するつもりなどない。でも、美容ばっかりしている女には見られたくないだろう。オシャレばかりしている女には見られたくないだろう。
それは同時に"何も考えてない女"をイメージさせ、同時にちょっと"退屈な女"をイメージさせてしまうから。
なぜか、めっちゃキメてるオシャレって良くは見えない。
無造作感の方がよっぽど知的に見える。
というか女性も男性もスタイルが良いと何着てもオシャレに見えると思っているので、オシャレって筋トレと明け透けなブランド物持たないことだと思う。
もし恋人がとんでもなくオシャレでイケメンでもバカだったら好きになれるかな?
「男はデキそうな女が好き」って書かれていますが、女だってそうだと思う。
ここでいう"バカ"とは会話にならないことを言います。
会話にならないというのは知識ではなくて、キャッチボールが出来ないことです。
学歴とか仕事内容とかより、人の話を聞くってことが出来ないというか、自分の想像している相手、理想の相手、思い描いている相手と話している人が結構いるのですよ・・・。
カジュアルがうまい女は人間的なセンスが光る女
女としての欲が露骨に出てこない、しかし女として屈折もない。つまり"女性性"と"男性性"のバランスが見事にとれている女は、必ずカジュアルをうまく着こなしている。たぶん肩の力が抜けていて、生きることに無理がない、そういう意味での落ちつきが、カジュアルを選ばせるのではないか。
服って何のために着るんでしょうか。
見栄のため?自分へのご褒美?裸じゃダメだから?
服って、その人の精神状態を表している気がする。
相手にちょっとでも好かれたいって気持ちがあれば自分がよく見えるようなコーディネートをするし、行く場所とかTPOに合わせてズボンとかスカートとか変わりますよね。
開放的な人は露出度高めだったり、内気な人はタートルネックにひざ下スカートだったりする気がします。
その人のイメージというのがあるから「なんか今日違うね!」という言葉が飛び交ったりするし。
夏に思いっきり谷間も脇も開放的な服を着ている子を見ると、同じ女性でも「うお」って見ちゃいますし、「この子大丈夫かな・・・」とか思っちゃいます。
服の趣味ってその人のイメージ像に大きく影響しますよね。
人は見た目って服装も入りますよね。
髪質や肌は体質によってどうしても荒れたり収まらなかったりするけど、服はその人が自分で選んだもの。
だからこそ、服にはその人が表われるのかもしれません。
スタイルがある人とは
男たちに「どんなファッションの女性が好き?」と聞くと、じつはこういう答えが多く返ってくる。
「その子に似合っていれば、どんなファッションでもいい」
(中略)その人に似合っている・・・それこそがスタイルがあるってことなのだ。人とファッションが一緒になって作りあげる、人を惹きつけるオーラ。まさに耳に残るメロディみたいに人を心地よくし、魅了し、忘れさせなくする。それがスタイルなのである。
冒頭にあった愛されること→可愛いこと→愛される方法→愛され服とか全く意味なくないか。
雑誌の「これが愛され服!」「モテ★服」の無意味さよ。
というか雑誌のこういう煽り文句って誰向けなのかなって思う。
不特定多数の男性から愛されたい。求められたい、そういう人向け?
いやいや、そりゃ嫌われるより愛されたいよ。けど、結局のところそれって服で得られる?
自分が興味を持っていること、日々感じていること、どうやって生きていきたいかとか何が好きとかそういうところで知ってもらうしかなくないか・・・と思う。
最後の最後に
もうひとつだけ。
スタイルがある人は、朝、服選びやコーディネートにあまり悩まない。服の買い物もスムーズで、無駄な服もあまり買わない。従って、多くの女性が毎朝のように抱え込むストレスをためないのだろう。いつも穏やかな幸せそうな顔で生きられる。だから、その分だけよけいに人に愛される。オフィスでも恋愛でも。
その結果、もっと幸せになる。
そして人生がぐるりと丸ごとうまくまわる・・・。
それこそが、スタイルの力なのである。
結局"服で人生は変わ"らないじゃん!!
生き方じゃん!
服に惑わされるなってことじゃん!!!
と思いましたが、じゃあどんな服が負担にならないかとか、穏やかな人は柔らかい素材を選んでいるとか、こういう服は相手にどう見えるかとか、結構勉強にはなりました。
こんだけ「オシャレ」を押しておきながら「毎日ちがう服じゃなくてもいいじゃん」とか言ってるんでこの本ほんと好きです。
どんな"服"や"ファッション"が正解っていうのはなくて、生き方によって変わっていく。
オシャレもそこに哲学が見えたら決してヒマには見えない。
ココシャネルなんてすごく素敵。
それは彼女の哲学と確固たる意志がそう見せる。
シャネルを着たらその哲学や意思が受け継がれるわけではない。
ブランド物っていうのは、女性が地位の高い男性の妻になったことで自分も偉くなったと思いこむような錯覚と似ていると思う。
過程が空っぽな結果は相手には滑稽にしか見えない。
世間的に価値があるものを持つことはお金を出せば出来る。
けれどそこに便乗したところで自分の価値は上がらない。
ブランド物というのは誰でも持てるけど、人を選ぶと思う。
服って真剣に向き合えば、結局自分と向き合っていることになると思います。
そういう意味で自分に似合う型や色を探すのは、自分を探すのと同じです。
"服"単体で人生は変わらないけど、服を通して自分と向き合うことは人生を変えることに他ならないと、そう思いました。