≪内容≫
生真面目なサラリーマンの河合譲治は、カフェで見初めた美少女ナオミを自分好みの女性に育て上げ妻にする。成熟するにつれて妖艶さを増すナオミの回りにはいつしか男友達が群がり、やがて譲治も魅惑的なナオミの肉体に翻弄され、身を滅ぼしていく。大正末期の性的に解放された風潮を背景に描く傑作。
痴人とはばかな人とか愚かな人という意ですが、この作品が発表された当時は珍しかったかもしれませんが、今見ると何だか目新しくはなく感じます。
女が男を欺す?
よく世間では「女が男を欺す」と云います。
しかし私の経験によると、これは決して最初から「欺す」のではありません。最初は男が自ら進んで「欺される」のを喜ぶのです、惚れた女が出来て見ると、彼女の云うことが嘘であろうと真実であろうと、男の耳には総べて可愛い。
(中略)
私は自分を間抜け者にして、欺された体を装ってやる。
私に取っては浅はかな彼女の嘘を発(あば)くよりか、寧ろ彼女を得意がらせ、そうして彼女のよろこぶ顔を見てやった方が、自分もどんなにうれしいか知れない。
最初は「欺されてやっている」という姿勢で彼女を見守っていたが、そのうち彼女が自信をつけてきて、自分では太刀打ち出来なくなってしまい、結果「欺された」になるのだと書いています。
前に読んだ本で、「男は悪女に騙されたっていうけど、心のどこかでは小悪魔に弄ばれたい願望がある。だけどその結果弄ばれたっていうのが恥ずかしいから悪女に騙されたっていうことにしてる。そうすれば世間は悪女が悪い風に捉えるし、傷は浅くて済むから」的なことが書いてありました。(タイトル失念)
これって女性版では優しい男よりちょいワルな男に惹かれるパターンなんでしょうか。
女性が男のワガママとか理不尽とか「も~しょーがないなぁ、私がいなきゃダメなんだから」って許している姿勢で過ごしていたらいつの間にか「捨てないで!ニートでいいから!」みたいになってくみたいな。
異性の性的な部分が大半を占める好きって「好きになった方の負け」状態になると思います。譲治さんがナオミに対してどの女よりも西洋的で顔も身体も魅力的に感じているように。
性格的な面での好きが多い方は嫉妬とかドロドロしたような感じより仲間という爽やかなイメージがあります。
譲治という男
道楽に耽るでもなく、先ず模範的なサラリーマン。
質素で真面目で凡庸で何の不平不満もなく日々の仕事を勤めている。
それゆえに会社での評判もよく高給取りである。
ただし人付き合いがまるで苦手で、当時の結婚が意味する「女に世話をされる」ということがイヤだった。
そしてカフェで出会ったナオミを引き取り、彼女を美しく偉くしようと計画する。
人のフェチズムって十人十色ですよね。
その中で譲治にとっては「美しく西洋的な女を偉く更に美しく育てあげること」だったわけです。彼女を連れて歩く時は「どうだ!」という自分の作品を見せびらかしているような心持ちだった。
自分が作品を作っていく中で、作品が自分を支配していったわけですね。
ある意味「地獄変/芥川龍之介」もそうなのではないかと思います。
譲治がもし当時の結婚に倣い、世話をしてくれるような女を選んでいたら、田舎の母に嘘をついてお金をせびることも、会社を辞めることもなかった。
世間は、浮気三昧でワガママな女のために金をつぎ込み、ついには貯金もなくなり親に迷惑をかけ職場もなくなった、まさに「痴人」という評価を下すでしょう。
しかし、利口な選択が幸せで愚かな選択が不幸とはいちがいに言えません。
それは人によって違うからです。
自分好みの女に・・・と思っていた目論見を大きく外れ、妖婦になったナオミは悪に染まるほど美しく、ワガママを言うほど譲治を喜ばせます。
人って正論だけで生きていけない。
正しい道なんて自分にしか分からない。
それがはたから見たら愚かに見えても、その道こそが至福へ連れて行ってくれると思ったら、その道を進む以外に道はない。
ナオミという女
ナオミは家事を一切しない。
ビフテキを3っつもたいらげる。
洗濯をしないから垢がついた着物がいっぱい。
気に入ったら着るけど気に入らなかったら一切着ない。
浮気しまくる。
その為に譲治を欺く。
謝らない。
意地が悪い。(こ憎たらしい)
美人。(歯並びがいい、四肢が長い)
↑
美人は置いといて、それ以外のことをしようと思っても出来るものじゃないですよね。
相手がお金で困ってたら節約しようとか、相手が買ってくれた服なら大事にしようとか、自分が悪かったら謝るとかしちゃいますよね。
そうしないことを求められてるのよって言われても、自分が苦しくなっちゃって「あなたとは一緒にいられないわ・・・」となるのが一般的だと思うのです。
ナオミがすごいと思うのは、譲治のどんな要望も断らないことです。
浮気をするなとか自分を制限されることにはとことん刃向かいますが。
鳥肌がたったシーンから抜粋。
「よ、なぜ黙っている!何とか云ってくれ!否なら己を殺してくれ!」
「気違い!」
「気違いで悪いか」
「誰がそんな気違いを、相手になんかしてやるもんか」
「じゃあ己を馬にしてくれ、いつかのように己の背中へ乗っかってくれ、どうしても否ならそれだけでもいい!」
私はそう云って、そこへ四つン這いになりました。
一瞬間、ナオミは私が事実発狂したかと思ったようでした。彼女の顔はその時一層、どす黒いまでに真っ青になり、瞳を据えて私を見ている眼の中には、殆ど恐怖に近いものがありました。
こんな男の人どうですか?
私だったら逃げ出します。
「あなたには付き合いきれない、もっと他にあなたの希望を満たしてくれる人がいると思う。」とか言って。
しかしナオミは譲治の要望通り、その背中に乗り「これでいいか」と言うのです。
こと性的なことに関しては一人では満たされないものです。
「こういう振舞いをしてほしい」「こういう言動をしてほしい」っていうのが具体的に誰の心にもあると思います。
私だったら、自分が悪いときに素直に謝れないので「謝れ!お前が悪いんだろう!」ではなく「ごめんなさいと言いなさい」と諭すように言ってもらいたいのです。
遅刻してきたときの態度で「ごめんな、電車遅れちゃって」と言われたいのか「おー待ったぁ?」と言われたいのか。
「ごめんな、電車遅れちゃって」と言われたら「待ってないよ」とか「電車大丈夫だった?」という返答になるのに対して
「おー待ったぁ?」と言われたら「もう!遅いよ!」とか「待った!」とか「待ってないよ~」とかになりますよね。
私は後者の方を言われたいのです。
なぜかというと、前者の場合、本当に申し訳なさそうに来られるとこっちも悪く思ってしまって、なぜ私は悪くないのに申し訳なくなるんだろうと理不尽に思うし、悪気がないように見えたら「じゃあ連絡してよ!」と言いたくなる。
でも「じゃあ連絡してよ!」と言うとなんか心狭いなぁ自分・・・とか思って結局、自己嫌悪になる。
「ごめーん」とヘラヘラしてきたら「はぁ?」と怒ってもいい態度にも見えるし、「も~遅いってば!何か奢って!」とか甘えたことを言える立場にもなれそうだからです。
人って自分がしたいことがあると思うんです。
何というか、「なりたい自分」というか。
どんな理不尽も許してあげられるような心の広い人間になりたい!と思ったらその為には理不尽を言ってくる人間が必要です。
わがままを言いたいならそれを良しとしてくれる相手。
自分が優位に立ちたかったら、立たせてくれるような非がある相手。
ちょっと話がズレますが、木嶋佳苗という人が起こした事件がありました。
彼女は毒婦と呼ばれています。
婚活殺人事件という事件で、端的に言うと彼女がブスでデブな容姿にも関わらず大金を男から騙し取り、その後殺したという事件です。
有名な事件ですが、なぜ有名になったかというと彼女の容姿と発言です。
獄中結婚!小太り・40歳・拘置所生活・でありながらまだモテ続ける木嶋佳苗被告の驚異の女子力 | ギャザリー
「なぜこんなブスなのに男は騙されるのか」という謎がありました。
もし彼女が殺人をしなければ妖婦だったかもしれません。
「相手が望むことをしてあげる」というのは誰にでも出来ることじゃないし、とても難しいと思うのです。
だって、誰だって自分の望むことがあるから。
自分の望みを軸にして、そこを出来るだけ満たしてくれる相手を選ぶ。
じゃあ、自分を犠牲にして相手の望みを叶えればいいのかというと、それは絶対に通用しない。
人は「自由」が好きなのだ。
そこに「無理してる感」が見えたとき、魅力は底辺まで下がるだろう。
「夫の束縛が激しくて・・・」と口では言うが、実際はそうやって縛られている自分が好きな妻を夫は好きなわけです。
だから、「なんであの人があんな人と!」みたいなカップル「美女と野獣」とかね、世間には分からなくても二人の中で望みはぴったり合致しているのです。たぶん。
めっちゃ話がズレましたが、だからどっちが悪いとかはないと思うんです。
幸せって突き詰めれば「なりたい自分になる」ってことだと思うから。
それで貧乏になろうが、尻に敷かれようが、その結果って自分で無意識に選んでいるんじゃないのかなって思う。
自分のフェチと、自分がなりたい自分は密に繋がってる。
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私はこの二人を決して痴人とは思わない。