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書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

戦後日本経済史/野口悠紀雄~不満があるなら具体的に伝えられる力をつけなくてはならない~

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≪内容≫

奇跡的な高度成長を成し遂げ、石油ショックにも対応できた日本が、1990年代以降のグローバル化とITの活用に立ち遅れているのはなぜか?それは、第2次大戦中に構築された「戦時経済体制」が、現在も強固に継続しているからだ。「戦後は戦時と断絶された時代」という常識を否定し、「日本の戦後は戦時体制の上に築かれた」との新しい歴史観を提示する。

 

英語という言葉の壁が日本を救い、今その壁が障害となっている。・・・らしい。

日本って確かに他国からしたら不便だろうなぁ。

 

「公的年金」というねずみ講

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ねずみ講は「無制限連鎖講防止法」によって違法とされており、罰則も定められている。しかし、国はこれと同じことをやっているが、それは違法と見做されていない。

それが「公的年金」という仕組みだ。

 

この仕組みでは、戦前に生まれた人は、わずかばかりの保険料を払って年金を受給する。その年金は、本人が支払った保険料ではとても賄いきれないほど高額なので、あとから生まれた人々が負担する。

 

厚生労働省はこれを「世代と世代の助け合い」と説明しているが、先の世代があとの世代を支えることはない。

だから、これは、正確には「あとの世代が先の世代の年金を支える」制度である。

つまり、「年金はねずみ講です」と言うほうが正確だ。

 

おーい!!!

国家的ねずみ講かーい!!!

 

年金は発足当時は、本人が支払う保険料で賄われると考えていたのが、年金計算において大幅に過大な割引率を使ったため、必要保険料をめっちゃ少なく設定した。

その結果、ねずみ講になったようです。

この背景には、

①空前の好況があったため財政に問題がなかったこと

②年金制度が未成熟で受給者が少なかったこと

③高齢者の比率が低かったこと

があげられる。 

 

この背景、今の日本と真逆なのに、なぜこの制度はこのままなの?

しかも、少子高齢化だからもっと悪化しているのに。

日本国民の年金未納率は約5割。

私の周りでも払っていない人って結構います。

「もらえるか分からないお金をなぜ払わなければいけないのか」というのが主な意見です。

私は国民の義務として払うことは肯定します。

嫌なら日本出るしかないし、と思っています。

 

世の中、贅沢しなければある程度の生活って出来ると思うしそこから年金って払えると思うんですよね。

だって、結局誰かが納税しなければその分国が賄って、それって結局消費税とか新たな税になって国民に回ってくるんじゃないのかな?

あとは、高額所得者はその分納税の義務があるから、そこからとか?

 

年金受給年齢が70歳からになったから少しは何とかなるのかな?

 

自分が70歳に近づいたとき、なるべく働ける身体でいたい。

最近、友人と老後について話していたんですけど、何に一番お金かかるって医療費だよねってなりました。

たまに病院に行って薬を待ってるときに、おばあちゃんとかが湿布代だけで3000円近くかかってるのとか見ると、大変だなって思います。

健康が一番の節約。

 

70歳まで生きてるか分からないけど、とりあえず健康には気をつけようと思う。

 

一家計あたりで192万円の負担

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不良債権となれば、国民がそのお金を負担します。

国民は負担しながら、負担している事実をほとんど認識していないらしい。

バブル崩壊で、巨額の富を得た人もいれば、その崩壊に巻き込まれた人もいる。

だけど、一番の被害者は真面目にコツコツやってきたのに、バブルの波に乗り不正な取引の果てに不良債権を出した会社の借金を課せられた国民です。

 

公的資金による損失分とあわせれば、納税者の負担は、約49兆円にのぼったことになる。国民一人当たりでは約38・5万円。5人家族なら192万円だ。これは平均値だから納税額が多い人なら、間違いなく1000万円のオーダーになっている。

 

これだけの額を、銀行の放漫融資の尻拭いのために納税者が負担させられたのである。しかも、それは、きわめて分かりにくい形で生じている。

だから、多くの人は、負担を課せられたこと自体を認識していない。

 

そして、得をした人がいる。

銀行から融資を受けて返済しなかった企業だ。

しかし、それが誰なのかは、分からない。

これほど不合理なことがまかり通る国は、世界広しといえども、日本だけだろう。

 

バブルで起きた放漫融資の尻拭いは国民の義務か。

これで本当にバブルの頃は良かった・・・と言えるのか?

もちろん、国として上昇しているっていう雰囲気は国民が活気づき良かったかもしれない。

だけどその後に、全く自分の責任じゃない借金が生まれ、借金を作った企業は得をして、更にその社長とかは退職金何億円ってもらってる。

バカじゃないの。ねぇバカじゃないの。

私には、真面目に生きてきた国民に尻拭いさせて自分は何億円も手にするという根性が信じられないよ。

そしてその何億円っていう使いきれるの?っていうお金を手にしてどうしたいのかも知りたいよ。

そのお金は限りなく贅沢品に消費するだけなのかなぁ。

 

お金に余裕がない国民は日本にいるしかない。

お金のある富裕層は海外に飛べばいい。

低賃金で海外からの雇用を増やす?

 

貧困はもっと増えますね。

 

国ではなく個人

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21世紀の世界経済を変えた新しい技術体系がなぜ日本で広がらないのか。

一つは英語という言葉の壁。

そしてもう一つは日本の経済構造と人々の基本的な考え方にある。

 

例えば「グーグルの急成長は検索サービスによるものだから、国家プロジェクトで日本独自の検索技術を開発しよう」という考えが日本で提唱されている。

あるいは、イギリスが金融業によって発展したのを見て「東京を国際的な金融センターにしよう」とする意見もある。

 

しかし、「国が主導して新しい時代を切り開く」という発想自体が、新しい時代にそぐわないのだ。

(中略)

新しい産業を育成しようというので、金融機関や地方自治体がベンチャーキャピタルを作ったというのも、滑稽としかいいようがない。

そもそも「ベンチャー企業を育成する」という発想自体が、矛盾だ(ベンチャーとは、個人や小組織の創意による、チャンスとリスクへの挑戦だからである)。

 

日本の産業革命はイギリスより100年以上遅れて追いついたから、新しい情報技術が誕生した1990年から100年すれば追いつけるかもね!ってとこで本書は終わっています。

 

本書では、歴史にifはないけど誰が主導者になったとしても、歴史の流れはそう変わらないと書かれています。

 だから首相が悪いとか、財務省が悪いとか、銀行が悪いとか、日本の経済体制が悪いとかって結果論なんですよね。

 何が正しいとか何が間違ってたとかって、過去にならないと分からない。

 今現在の問題、原発事故、少子高齢化とか保育園の問題とかいじめ、貧困とか、過労死とかもいずれ、こんな時代もあったな~になるんだろうな。

 

私は起業しようなんてすっごい大それたことに思えてとてもやろう!と思えないけど、自分に身近な少子高齢化とか保育園問題、過労死問題とかは何とかしたいなぁと思う。

満員電車に揺られながら、なぜこんなに都会に人がいるんだろう・・・と思う。

毎日毎日、原宿・渋谷・表参道・青山らへんを歩いていると、都会の価値ってものが分からなくなる。

10代後半や20代前半のころは、すっごいオシャレに見えていた街が、今では人の多さに窒息しそうな息苦しさを感じる。

保育園問題は私の姉が住む埼玉県ではむしろ募集しています。

都心まで一時間くらいで着きますが。ほどよくのほほ~んとしています。

 

なぜ都会に集まるかって、都会の方が給料いいし、刺激があるからだと思います。

両親の実家がある東北に行ってもスーパーでの物価ってそう違わないですしね。

家賃が格段に違ったとしても、お給料とか就職先の多さを考えると出ざるを得ない人が多いのかもしれない。

ここらへんのことも全く調べてないので、常識だよ!って思う人もいるかもしれません。すみません。

なんか、もっと観光地以外にも田舎にいたい!と思えるような何かを作れないかなぁって思います。

私のような超インドアでクラブとかライブとか行かずにネットと旅行が大好きな人間は十分田舎でやっていける気がします。

ただ就職先がないので、埼玉から東京に通ってますが。

 

 

この記事書いてて思うのは、本当に浅はかな知識しかないなぁってことです。

だから話が広がっていかない。

変化には想像力が必要不可欠ですが、想像するにはある程度の知識があってこそです。

想像するために勉強しよう。

生まれた国の歴史も知らないで英語やってる場合じゃないよ。