整理すっぞ!ではなく、寝よう、忘れようという本です。
自発的に問題を何問解いても、問題自体を自ら作ることが出来なくては受動的であるという本書。
頭の巡りをよくするには身体の巡りを良くするのと同じこと。
頭も体の一部。
そして、運動することが忘却促進の効果があるらしい。
人はたぶん常に「忘れたくない!」と思って生きているのではないでしょうか。
大事なものがありすぎるし、色んなものを大事にしたいから。
でも何でもかんでも「忘れたくない!」としがみついていると、本当に自分にとって価値があるものなのか判断出来なくなってしまいます。
思考の整理とは、この価値の判断・区別のことです。
住んでいる部屋はすっきり綺麗でも、思考は汚部屋のように足の踏み場もない状態かもしれません。
ひとつだけでは、多すぎる。ひとつでは、すべてを奪ってしまう
この一筋につらなる、ということばがある。
いかにも純一、ひたむきで、はた目にも美しい生き方のようであるけれども、かならずしも豊饒な実りを約束するとはかぎらない。
いくつかの筋とそれぞれにかかわりをもって生きてこそ、やがて網がしぼられ、ライフワークのような収穫期を迎えることができる。
うぉおおおおおお!
すごい!
分かる!というかそうだったのか!!!という感じ。
この言葉はアメリカの女流作家、ウィラ・キャザーの「ひとりでは多すぎる。ひとりではすべてを奪ってしまう」という言葉が元になっていて、これは恋人のことで、相手がひとりしかいないとほかが見えなくなって、すべての秩序を崩してしまう、ということを表しています。
一つのことをコツコツと積み上げることへの根拠なき美徳が、この社会にあることは明白ですが、優れたアーティストは一流ミュージシャンでありながら教員免許を持っていたりします。
コツコツ音楽のことだけやってきたのではなく、勉強もちゃんとやってきたわけです。
もちろん一つのことをコツコツ出来て実る人もいます。
だけど、私は絶対に一つのことだけに集中できない。
ずっと、一つのことに集中できる人がうらやましかった。
だから「イエーイ!!」って感じでした。笑
自分のやり方も落第点じゃないらしいぞ!って感じで。
発想のおもしろさは、化合物のおもしろさである
新しいことを考えるのに、すべて自分の頭から絞り出せると思ってはならない。無から有を生ずるような思考などめったにおこるものではない。
すでに存在するものを結びつけることによって、新しいものが生まれる。
真にすぐれた句を生むのは、俳人の主観が受動的に動いてさまざまな素材が自然に結び合うのを許す場を提供するときと書かれています。
個性というのは「こうしたい!!これを伝えたい!!」っていう主張じゃなくて、その主張が自然に結びつく"何か"と結びついたときこそ真価を発揮するという話でした。
これはとっても興味深いなぁと思います。
自分の気持ちだけでは、他人には面白さが伝わらず独りよがりになってしまう。
だけどそこに"何か"が結びついたとき、新たな発想が生まれる。
その"何か"をじいいいいいいっとまだかまだかと待ってはいけない。
それはそれ、と割り切って眠ったり他のことに目を向けたりして、主張を寝かせている内に、それに呼応する素材が育ってくる。
発想や創造だけじゃなくて、コミュニケーションにおいても言えることだなぁって思いました。
一緒にいる人が変われば自分も変わる。
自分と他人が結びついて、新たな思考が芽生えたり視野が広がったりする。
物事も人間も"何か(誰か)"が面白さを生みだす。
読書における知的活動
知的活動を3つに分ける。
①既知のことを再認する。
→すでに経験して知っていることが書かれている文章を読む。
分かる~的な読書。
青春小説、恋愛小説など。
②未知のことを理解する。
→既知の延長線上の未知を解釈する読書。
分かる部分と分からない部分がある読書。
純文学など。
③まったく新しい世界に挑戦する。
→理解の難しい読書。
ほとんど分からない文章を読みつづけ、長い間考えに考え抜くような読書。
専門書など。
と3つに分けて考えることができる。
私は①、②、③まんべんなく読むのが良いと思います。
読みやすい①だけ何百冊読んだって読書の本質には近づけない気がするんです。
これは②ばかり③ばかり読んでも同じこと。
読書の本質は、人はそれぞれ違うということを知ること、想像することだと私は考えます。
そんなの日常生活で分かるわ!って思う人もいると思うし、もちろんそれは大前提です。だけど、リアルなコミュニケーションってほとんどが飾られたものです。目に見えるものって綺麗にデコレーションされているのがほとんどなのに、なぜか騙されてしまうんです。
心の奥ではそんなわけないって思っても、目に映るものを疑うのは難しい。
加えて、相手はキラキラしたことしか言わない。
目と耳で得た情報と、確信のない自分の「そんなはずない」っていう感情。
どちらの方が信用出来るかっていったら、目と耳で実際に得た情報だと思う。
人はなるべく自分を良く見せようとするし、一面しか見せようとしない。
本の中の主人公は嘘をつかない。
嘘をつかないというか、自分の心の声っていう感じだから嘘をつく必要がない。
読者に対してかっこつけることも、良く見せようともしない。
頭では、人は人って思っても、イイ面ばかりが目について自分に自信を失くしたり、賛同を得られないときには自分が悪いんじゃないかとか落ち込んでしまう。
でも本の世界には、自分と同じことを考えている人が絶対いる。
それでもって反対の意見も分かりやすく書いてある。
本書は、著者自身ハウツー本じゃないと言っている通り、こうすればイイ!っていう本ではありません。
こういう考えもあるよ、こうするといいと思うよ、っていうのを話してくれています。
誰でも死ぬし。
色んなことして気長に待とう。
道草した先で、本当に欲しかったものが見えてくるかもしれないし。