深夜図書

書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

知の進化論/野口悠紀雄~人生は選択の連続と言うけれど、知識がなければ選択することも出来ない~

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 ≪内容≫

グーテンベルク・インターネット・人工知能。情報技術の革新は、世界に何をもたらしたか?中世以前、知識とは、特権階級の独占的所有物だった。活版印刷の登場によって万人に開放され始めたそれは、インターネットの誕生で誰にでもタダで手に入るものとなった。そして人工知能の進化が、本質的な変革の時代の到来を告げる…。秘匿から公開へ、有料から無料へ、そして人間からAIへ。「知識の拡散」の果てに、ユートピアは現れるのか?大変化の時代を生き抜く指針を示す、知識と情報の進化論。

 

いつかSF小説のような世界が到来するんじゃないか・・・!という妄想が止まりません。AIが暴走し、人間を支配したりして・・・怖い!でも興奮する!

私が中学生のころには携帯電話があり高校生のころにはパソコンの授業があり、自宅にもパソコンがあったので通信機器のない時代って想像つかないです。

 

だけど私たち一人一人がスマホでどこでも通信出来るのって戦争があったからなんですよね・・・。

 

聖書は万人の読み物ではなかった

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世界一のベストセラー聖書。

今でこそ色んな国の言葉に翻訳されていますが、当時は聖職者しか読めなかった。

なぜなら聖書はラテン語で書かれていて母国語ではないからです。

聖書の内容を知るには教会に行って教えを乞う必要があった。

そうやって、知識を独占することで聖職者は地位を保っていたのです。

 

戦争時、欧州の国々は植民地の教育を破壊し知識を与えないことで奴隷にしようとしました。

「ググれカス」というのは、知識が独占されていた時代の人からの言葉かもしれない。

今はグーグル先生がなんでも検索してくれる。

欲しい情報が検索ひとつで手に入る。

ググれば分かるんだから、そんぐらいしろや!って言われても仕方ない気がします。

 

知識を得るには教会に足を運び、必死に覚えるしかなかった。

今は、思い立ったことをスマホに簡単にメモ出来るし、勉強も家にパソコンがありインターネットがあれば足を運ばなくてすむ。

 

じゃあ知識の価値は落ちたのか?

そもそも知識は何のために必要なのか。

それが本書のテーマだと思います。

 

コピペレポートと試験の持ち込み禁止について考える

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この事件で本当に問われるべき問題は、「試験場へのIT機器持ち込み禁止は、現代社会で必要な制約なのか?」ということなのです。

 

野口さんは、コピペや携帯電話で出来てしまう課題や問題を出し続ける教師や大学が問題なのだと書いています。

 

何の本で読んだのか失念してしまいましたが、研究とはまず素材や情報を集める、同じテーマで他の人が書いている論文を読む、というのは準備運動みたいなもので、研究とはそこから更に自分で考え導き出したもの・・・的なことが書いてある本を読みました。

 

なので、コピペで提出されたものは「論文」にならないんじゃないのかなぁ?と思います。試験の持ち込みは面白いものがありますよね。

 

俺たちが「なんでも持ち込み可」の試験に持ち込んだ物 - NAVER まとめ

 

こういうの発想力が試されていいのでは?

 

私は研究とかしたことないので分かりませんが、コピペレポート出されたら「これは研究とは言えない」と説明すればいいのでは?と思う。

持論ですが、本当に熱を持ってやっている人は他人の言葉なんて死んでも使いたくないと思います。

 

 

紙の試験もいずれなくなるんじゃないかなぁと思います。

というかそもそも、知識は大学に行かなくてもインターネットや本で誰でも勉強出来る時代です。

大学の授業を一コマいくら~で買える時代です。

 

だからこそ格差は広まっていくと思っています。

知識欲の有る無しで、得られる情報量が変わってくる。

第二次世界大戦の勝敗を決めたのが情報だったように。

社会的弱者とは受動的な人間のことです。

「なんか難しいし・・・」「分からないし・・・」「とりあえず大手の方が安心だから・・・」こういう人間から搾取するのはさぞや簡単なのでしょう。

嘘をつくでも騙すでもなく自分の言い回し次第でなんとかなる。

 

 そして格差はもっと広がっていくと思います。

世の中には、知ることが怖い人がいるからです。

変わることを怖れる人は、自ら知識を遠ざけます。

 

では知識とは人間を不安に陥れるものなのでしょうか?

 

 

知識を得ることそれ自体に意味がある

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人間は、子供のときから謎解きに挑みます。答えを得たところで何の役に立たないと知っていても、謎解きの過程そのものが楽しいから、それに挑戦するのです。

 

 今よく耳にする、いずれロボットに仕事を奪われるよってお話。

単純作業だけじゃなく、作曲などの創造活動も代替される日が来るかも。。。

 

しかしそれは不幸なことなのか?

バタイユが言うには私たちは労働によって人間になった。

そしてAIの発展はたくさんの人間を労働から解放する可能性が高い。

 

人間が何かを知りたい!勉強したい!というのは、生きていくためのことだけじゃないですよね。

職業とは全く関係ないもの、アーティストだったりアイドルだったり歴史だったりアニメ、映画、美味しいご飯の作り方、ハンドメイドクッキー・・・誰にでも好きなもの、興味のあるもの、があります。

その事柄については何の苦もなく自発的に調べたりしますよね。

 

私たちがもしAIに仕事を奪われたら、何の役にも立たないけど、楽しんで知識を得る時間が増えるかもしれません。

 

それにAIが音楽や小説までテーマさえ与えれば創作出来るようになったら、人間の価値ってものが改めて見直されるのではないかなぁと思います。

 

音楽業界で売れるのは決して歌が上手いとか、ダンスがすこぶる上手とか、見た目が絶世の美男美女とか、そういうものじゃありません。

「こんな人になりたい」「こういうこと私も思っていた」「見ていて元気をもらえる」こういう感情がリスナーにあるからだと思います。

 力強い声に励まされたり、切なそうな声にひたったり、同じ人間が作ったものだからこそ「一人じゃなかったんだな・・・」と思えるもの。

 

AIがすばらしい音楽を作ったら、BGMとしては人気が出ても熱狂的なものにはならない気がします。音楽が好きなら家で聞いていればいい。でもアーティストやアイドルには人間そのものに価値があるからライブ会場に行ったり握手会に行くのです。

 

AIがほとんど全てを掌握したら、そのときこそ人は本当に必要なもの、本当に大切なものを見つけられるのかもしれない・・・と思っています。

そこから新しい世界が始まる気もする。

 

私もそうですが、AIに仕事奪われちゃう!どうしよう!ってなるのはそれだけ労働に依存しているからだろうなぁと思います。

労働してお金を得る。

これが当たり前になると、「何のために」働くのかって思考は無期限停止状態になる。

アルバイトなら時給換算だから遅刻しても時給が減るだけでしょ?と思う。接客業もお金のために我慢して笑うようになる。会社に行ってやることがなくても、会社に行けば給料が出るから行く。

「お金のために」人は動くようになってしまう。

 

道徳の奴隷かつお金の奴隷ですね。

AIの発展は奴隷解放宣言なのかもしれません。

 

 

 

私が子供のころにはすでにあった辞書や百科事典。

これってすごい進化だったんだなぁって本書を読んで初めて知りました。

当たり前に存在してるものって、昔の人が悩んだり戦ったりした生き残りなんだろうなぁって思います。

目の前にある、あれにもこれにも歴史有り。

 

難しいことはほとんど書かれていません。

恐らくほとんどの人が使っているGoogleやyoutube。これらはどうやって生まれたのか。これらが生まれることで、なにが淘汰されていったのか。

人生は選択の連続と言うけれど、知識がなければ選択することも出来ない。