深夜図書

書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

社会派ちきりんの世界を歩いて考えよう!/ちきりん~若者の海外旅行離れは日本が楽しい、いい国になったから~

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 ≪内容≫

豊かさとは何か、自由とは何か。世界50ヵ国以上を足で歩いて考えた。ベストセラー待望の文庫化!

 

 

私がアジア圏にポジティブな感情を持ったのはカンボジアに足を運んで実際に目で見て肌で感じたからです。

私たちが日頃目や耳にするイメージは、あくまで"誰かのイメージ"にしか過ぎません。

百聞は一見に如かず。

 

発展途上国の物乞いについて。

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昔、インドの田舎を旅した時、数え切れないほどの「施しを求める子供達」に(時には大人にも)囲まれ、たとえ小銭であっても「とても全員になんて渡せない!」という状態を何度も経験しました。

 

その頃の私は二十代前半で、自分が裕福だという意識は全くありません。ところがそんな私でも、インドを旅行中には何度も施しを求められます。時には「施しの要請を無視した」という理由で、怒りや侮辱の感情をぶつけられることさえあり、ずいぶん戸惑いました。 

 

 カンボジア旅行記に、旅行後に感じたことを書いたのですが↓

www.xxxkazarea.com

私もちきりんさんが書いているように「施しをすべきは私ではなく、金持ちがすることだ」と思っていたし、彼らからみて私たちがお金持ちに入るとしても「よぉ金持ち、金くれや~」っていうのは間違っていると思いました。

 

私の思考はここでストップしましたが、ちきりんさんはなぜ彼らがこういう感情(施しするのは当たり前だ!)と思うのか考えました。

 

端的に書くと

日本=国が集めた保険料から配分。

インド=金持ちが直接貧乏人に与える。

これがそれぞれの「当たり前」です。

もし、私たちが病院で治療を受けお会計のときに金持ちそうな人からお金を渡されたら、「この人なにが目的なのかしら?」「私がそんなに貧乏そうに見えたのかしら?」と不審を抱き「ありがとう!」とは思いませんよね。

 

日本はお金持ちほどたくさん税金を納めています。

なのでお金持ちが医療費の残り7割を払ってくれているとも考えられます。

だけど、一旦国を通しているので7割は保険料を納めている国民の権利として特に「顔も知らぬ金持ちさんありがとう!!」とは思いません。

 

国によって社会制度が違うこと。

そんな当たり前のこと分かってるわい!と思っていたのですが、違いってこういうところにも出るんだな・・・って思いました。

 

格差の認識があることは豊かな証拠

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日本でも最近よく経済格差の存在が問題視されます。それは多くの人が「格差」を認識しているからです。

そしてその「格差の認識」こそが、日本が豊かな社会であることを示しています。格差が当然のように存在する社会では、格差問題自体が(少なくとも当事者には)認識されないのです。

 

確かに最近(?)子どもの貧困やら貧困女子やら聞きます。

婚活市場では年収の高い人が強いですし、世間的な評価も年収が高く安定した職業が良い印象を与えます。

 

日本では発展途上国のように、義務教育期間中に働いている子供はいません。

ましてや子供がリヤカーを引いて同じ年の子供を送るなんてことはあり得ません。

日本の子供は「あの子の家は習い事しているのに、自分は習い事に通わせてもらえないなんて不公平だ!なんでうちは貧乏なんだ!」と認識することができます。

 

日本は格差が広がるばかり・・・とか悲観的に思う人もいると思いますが、格差が問題になること自体、国が国民全員に等しく豊かな生活をしてもらおうと思うからなんでしょうね。

 

私はこの貧困に関して理解できていないところがたくさんあります。

金持ち羨ましいとか、年収は500万以上の男性がいいとか、公務員がいいとか、お金や社会的評価に関して興味がなかったし、私は月手取り15万くらいで一人暮らしですが、「お金がないー!」って思ったことがないから、お金に関してほとんど勉強出来ていません。

 

人はお金がないと生きていけないです。

お金を稼ぐことが得意な人と不得意な人がいるのは分かります。

うつ病など働けない人がいるのも分かります。

 

そもそも格差のない社会は果たして全員が幸せになれるのか?と思うと、ソ連が証明したように無理な話だと思います。

それでも「格差という認識」が無ければ、問題は生まれず解決にも行きません。

 

日本で叫ばれている格差。

その格差について考えようと思うこと自体、当たり前ではないのです。

 

人間の人生より大事な美術品

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また、巨大なエジプトの建造物を見ていると、古代王朝の力、ファラオ(王)の権力の大きさに加え、その権力を維持するために虫けらのように散っていったであろう、多数の一般労働者達の存在にも気がついてしまいます。

 

奴隷的な立場であったとはいえ、彼らもまた私たちと同じように、泣いたり笑ったり、怒ったり喜んだりしながら一生懸命生きていたはずです。

それでも人間なんて、いずれ露と消え、後世まで残るのは石と砂でできた無機質な建造物だけです。

 

そう思うと、日々のあれこれに一喜一憂することがなんだかバカらしく感じられます。どんなにじたばたしても、一人の人間が生きられるのはたかだか百年です。反対に数千年残るものは「生きていなかったもの」ばかりです。「命ある者」は、生きているその時を、目一杯楽しんですごすべきということなのでしょう。

 

アンコールワットに行ったとき、すごく感動しました。

現実とかけ離れた世界で、何が素敵って時間が止まっているように感じるところです。

 

私は生活するのにせかせかと毎日を送っています。

毎朝同じ時間に起きて、同じ電車に乗って、仕事して、帰ってきて、お風呂入って、眠って・・・。ボーっとする時間なんてほとんどありません。

 

アンコールワットやアンコールトムの中に入ったとき、多分ここで暮らしていた人は陽が昇る時間に活動を始めて陽が沈む時間には眠ったり、友達と話したり、ボーッとしたり、そういう時間を過ごしていたんじゃないかなぁって思います。

 

観光ガイドとか写真とか、今では色んな人のブログで旅行に行かなくても知識は得られます。

だけど、その土地に行くことで初めて感じられるものがあると思っています。

 

普通に生きていると、何にも疑問を持つことなく過ごしてしまいます。

だけど、アンコールワットのような途方もない大きさの遺跡を目の当たりにすると、「生きるってなんだろう?」「幸せってなんだろう?」「今の自分の暮らしはこのままでいいのだろうか?」という気持ちが沸々と湧いてきます。

 

今どれだけ知識を得ても、どれだけ誰かを愛しても、形に残るものは何にもありません。

だけどそれは悲しいことじゃなくて、終わりがあるから楽しいんだと思います。

数ある遺跡は奴隷だけが作ったわけじゃありません。自然に沿って生きていた時代は自然災害で職を失う人がたくさんいました。

そういう人たちが路頭に迷わないように、ピラミット造りを命じたりして仕事を与えていたという本を読んだことがあります。

 

みんなで何かひとつの大きなものを作ろう!っていう一人一人は非力でも集まればこんなに巨大で何世紀も残る芸術品が作れるということを後世に伝えているように感じます。

 

本書には色んな国のこと、出会った問題について社会的に考えたこと、ちきりんさんの旅行のルールなどが書いてあり、とっても楽しいです。

旅行、遺跡が大好きな私としてはすっごく面白かった!あとは今はなきソ連の話とか貴重なお話もたっぷり。

 

私が一番刺激を受けたのはウイグルの話。

ほんもののミイラをいつか見たい!!!!