深夜図書

書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

スロウハイツの神様/辻村深月~今すぐ行くから、そこで待ってて!~

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≪内容≫

ある快晴の日。人気作家チヨダ・コーキの小説のせいで、人が死んだ。猟奇的なファンによる、小説を模倣した大量殺人。この事件を境に筆を折ったチヨダ・コーキだったが、ある新聞記事をきっかけに見事復活を遂げる。闇の底にいた彼を救ったもの、それは『コーキの天使』と名付けられた少女からの百二十八通にも及ぶ手紙だった。事件から十年―。売れっ子脚本家・赤羽環と、その友人たちとの幸せな共同生活をスタートさせたコーキ。しかし『スロウハイツ』の日々は、謎の少女・加々美莉々亜の出現により、思わぬ方向へゆっくりと変化を始める…。
 

 

辻村さんの作品は何作か読んだことがありますが、ひとつ思うこと。

女性の描写が厳しい!

そんなきっつい性格の子ばかりじゃないですよ・・・と言いたくなるほど、毎回きっつい子が出てくる。

ただいわゆるツンデレっぽい印象もあるので、なんかかわいいんですよね・・・。

これが辻村マジックなのでしょうか・・・。

 

クリエイターという生き物

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スロウハイツの住人はみんなクリエイターです。

クリエイターと聞いたらどんな人を想像しますか?

ちょっと変わっている人?おかしな人?

解説の西尾維新さんに聞いてみましょう。

 

作家とは厄介な生き物である。

大抵の場合彼ら彼女らは自由奔放にして自分勝手で、重ねて優し過ぎて厳し過ぎ、およそ社会性と呼べるものはなく、わがままで、他人の都合や他人の迷惑をいっさい顧みず、大胆不敵な割に繊細で傷つきやすく、粗雑なほどにデリケートで、理性よりも感情のほうをあっけなく優先し、自意識が強く・・・

(中略)

一言で言うなら嫌われ者だ。

 

 ここで言う作家とは「作る者(クリエイター)」とされています。

ほぼ1ページまるまる作家がどれだけ厄介な生き物か書いています。面白い。

 

本作の主人公・赤羽環人気脚本家として一頭突き抜けた存在であり、スロウハイツのオーナーでもある。

彼女に追いつけ追い越せで、他の住人たちも自分の作品を作り続けるが、その中に一人、環を越えている人間が一人。

大人気作家のチヨダ・コーキがいる。

 

かくしてこの物語は、端的にいうと、両片思いの環とコーキの恋愛ストーリーとも言える。ただ、恋愛感情よりも純粋に人として、憧れの存在を追いかけるように成長していく環と、環によって救われたコーキの追いかけっこみたいな物語です。

 

この真相に辿り着くのは大分後半(スロウハイツの皆は気付いていたようだが、私は全然気付かなかった)ですが、気付いてからの二人の過去のエピソードはどんどんどんどんページを捲る手が止まらない。

 

あぁ、やっぱり辻村さんはミステリー作家なんだ。

ミステリーと言えば、何か事件が起きて、それを解決するような物語だけだと思っていたけど、それだけじゃないんだ。

ていうか、こんなに伏線あったんだ・・・!

と感動しました。

「凍りのくじら」の最後の謎が解けていく感覚とほぼ同じです。

「凍りのくじら」の記事を読む。

愛すべき努力家たち。

 

優しくて何が悪い

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人を傷つけず、闇も覗き込まずに、相手を感動させ、心を揺さぶることは、きっとできる。そうやって生きていこう、自分の信じる、優しい世界を完成させよう。それができないなら、自分の人生は失敗しているも同じなんだと、そう思ったのだ。

 

住人のひとりである狩野は、頑なに児童向けの漫画を描いていた。

編集者にも、環からも「優しすぎる」「少しの毒は必要」と言われても、頑なに優しいだけの世界を描いていた。

 

そんな狩野の謎も後半で解けるわけですが、この狩野の決心がすごくいいなぁ~と思いました。今は(?)昔が分からないから、何とも不確定な話ですが、猟奇的なアニメや映画が多いというか人気なのかなって思います。

 

闇を覗きたい。そんな気持ちが現代人にはあるような気がします。単純に幸せな話はすでに飽きていて、「夢見がち」と言われたり、「現実感がない」と言われたり。派手な設定だけで、猟奇的な事件だけで興奮しちゃえるもんだから、目の前の幸せや、ありきたりなハートフルストーリーはもうたくさん、みたいな。

 

自分のやりたいことはコレなんだ!誰に非難されても、認められなくても、諦めずに描き続ける狩野の姿勢が、考え方がすごく素敵でかっこいいなぁと思います。

 

読んでもらうため、見てもらうために試行錯誤することと、自分のやりたいことを捻じ曲げて売れるために作るのは違う。

分かってはいても、認められたいって気持ちだけが先走っちゃうことの方が多いんじゃないかな、と思うので、それでは自分の人生は失敗なんだ。と思う狩野は突き抜けているな、と感じました。

 

現実逃避の文学

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その時期を抜ければ、それに頼らないでも自分自身の恋や、家族や、人生の楽しみが見つかって生きていける。それまでの繋ぎの、現実逃避の文学だと言われても、それで構いません。

自分の仕事に誇りを持っています。

だから逃げません 

 

 チヨダ・コーキの本を読んだ読者は言う。

「いつかチヨダ・コーキを抜ける」と。

青春時代と一緒に抹殺されてしまう本。消費されるだけの本。

でもそれでいい、というコーキ。

だけど、それでいい、と思わせたのは環の存在だった。

 

環は初めてチヨダ・コーキの作品を読んでから今もずっと彼の大ファンです。

誰よりも彼の作品を愛し、愛するがゆえに本人よりも怒り、悲しむ。

 

確かに文学や音楽は、過ぎて行ってしまう景色の一つかもしれないな~って思いました。辛いとき、逃げだしたいときに救われたものは、救われたあとには必要にされないのかもしれない。

 

作家だって成長するだろうけど、生産者と消費者では視点が違いすぎるし。消費者は生活が変われば、お金の使いどころも変わって、自然と手が遠のいてしまうのかもしれない。

それって、読者からすれば嫌いになったわけでもないけど、特別大切でもなくなって、景色のひとつになっちゃっただけのこと。

でも生産者はずっと作り続けている。

メッセージを出し続けている。

 

なんだか切なく感じます。

変わらないものなんてないんだからおかしいことではないけれど。

 

悩めるクリエイターたちのお話です。

 

クリエイターって厄介な生き物かもしれないけれど、情熱に突き動かされている人って、どうやったって素敵だよなぁ・・・。

あらゆる物語のテーマは「愛」だよね。