≪内容≫
至に至る病に冒されたものの、奇跡的に一命を取り留めた男。生きる意味を見出せず全ての生を憎悪し、その悪意に飲み込まれ、ついに親友を殺害してしまう。だが人殺しでありながらもそれを苦悩しない人間の屑として生きることを決意する―。人はなぜ人を殺してはいけないのか。罪を犯した人間に再生は許されるのか。若き芥川賞・大江健三郎賞受賞作家が究極のテーマに向き合った問題作。
中村さんの作品を何冊か読んだけど、もう一度一から読みかえしたのは初めてです。
それくらい理解出来なかった。
二回目に読み終わった私が思ったのは、出来ればこの作品を一生理解したくない、ということです。
中村さんの作品を読むたびに、"ほんとうの"って言葉が浮かびます。
小説はフィクションだけど、こんな思いを抱えて生きるのは辛すぎる、と思ってしまう。そして、「こんな思い」と私が推測しているのは、きっとすごく浅いんだろうと思う。
どうして人を殺してはいけないのか
なんででしょうね。
というか、私はこの本を読んで「なぜ人を殺してはいけないのか」について書かれていると思わなかった。
ただ、あらすじにテーマとして記載されていたので、とりあえず無理やり腑に落としてみる。
本書を健康な人間が読んだら毒だと思う。
これは病的な小説だと私は考えます。
主人公を死ぬ寸前にまで追い詰めた奇病は一度は回復したが、再発の可能性があるということ。
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この設定が全てを担っていて、殺人云々よりも、もし自分の命が期限付きの命だったなら・・・という話っていう考えにする方が私には腑に落ちます。
主人公は理不尽に未来を奪われそうになるも、気まぐれに生きることを許されます。
生きていれば「どうせ死ぬんだし」というのは誰でも考えたことがあると思いますが、その感情は「まぁいつ死ぬかは分からないけど」っていう漠然とした希望から生まれています。
だけど、もし「O月O日に死ぬよ。お前だけは期限付きなんだよ。」って言われたら、世界が素晴らしいとか希望に満ちていると思えますか?
人殺しがなぜいけないかって「未来」が前提にあるからだと思います。
「世界は素晴らしい」「希望に満ちている」「明日は明日の風が吹く」が前提だからなんです。
私は、喜ぶべきなのだろうか?
もしもそうすべきならば、それはどういった理由からだろう。
死によって全てが終わる生活に、何の意味があるだろう?
一日に数えきれない人間がバタバタと死んでいくこの世界を、あの死の恐怖が渦巻いているこの理不尽な世界を、もう一度体験するのだろうか。
死ぬのは怖い
この世界の中で最も非情な映像を、平然とやり過ごしてみせろ。そうすれば、お前ヘはこの世界を克服したことになるはずだ。
このくだらない世界を、心からくだらないものだと思うためにも、まったく無価値だと思いながら死んでいくためにも、お前は、そうする必要がある。
主人公は親友のKを殺します。
あらすじには「悪意に飲み込まれ」と書かれていますが、悪意というか脅えという感じがしました。
ニュースで自殺したくても出来なくて死刑にしてもらおうと誰かを殺したり、一人で死ぬのが怖いから誰かを巻き込んだり、っていうのを見ると「関係ない人を巻き込むな!」とか「死にたいなら一人で死ね!」っていう意見が上がります。
私もそう思いました、そう思っていました。
だけど、何て言葉にしたらいいのか分からないけど、生きている人間は「助け合おう」「困ってたら相談に乗るよ」「一人じゃないよ」って誰かを巻き込めるのに、世界に絶望を感じている人間は誰かを巻き込んではいけないんだ、って思ったら、どうしたらいいのかほんとうに分からなくなってしまった。
どうしたらいい、というか、自分の価値観がグラグラ揺れ出してしまった・・・という感覚です。
巻き込んで誰かを殺すなんてダメだと思うし、いけないことだと思う。
だけど、じゃあ世界に絶望した人間はどうやって生きていけばいいんだろう?
自分の命が脅かされることで世界がひっくり返ったなら、正常な世界に戻すにはそれ以上の衝撃を与えるしかない。
死ぬ寸前のことより強い衝撃は、人を殺すこと。
たぶん、主人公が親友を殺したのは自分を守るためだ。
私が思うのは、詭弁かもしれないけど、それは誰かと新たな命を誕生させるってことじゃ衝撃にならないのだろうか?ということです。
もしかして自殺に男性が多いのは、命を生み出すことが肉体的に出来ないから、奪う方に行ってしまうのかな・・・。
弱さを守る無意識
これから俺が何をしても、例えば、感動する映画を見たって、何かを、やり遂げたってさ、意識の片隅できっと思うんだよ。お前のせいで死んだ人間がいるんだって。もちろん、そんなことを思わない奴だっているんだろうけどさ、でも、でもな。
多分そういう奴らは、深く考えてないだけなんだよ。いや、ひょっとしたら、無意識っていうか、よくわかんねえけど、そういうのがさ、そいつの精神を守るために、気にしないように仕向けてるのかもしれない。
最後にたどり着くまで分からなかったのですが、ここでやっと、主人公が何回か意識を失うこと、クラスメイトが紙袋をかぶっているように見えたことに繋がりました。
たぶん、無意識に守っていたんだと思いました。
理不尽な病という病気に襲われる前の世界は、襲われた後の主人公には危なすぎた。
そして無意識の自衛が親友を殺した。
最後に彼は
人殺しという自分を抱えながら、最後まで生きるということ。喜びも、小さな幸福もない人生を、最後まで見届ける勇気を持つということ。
という結論に至ります。
弱さからの脱却・・・。
この小説は、うーん・・・どうなんでしょう?
同じような気持ちになったことがある人や、今現在そういう状況になっている人が読んだらすごく救いになるのかもしれない。
だけど、著者も言うようにマニアックであると感じます。
特異過ぎる。
でも、この本の世界で殺されたのは強者で殺したのは弱者であるから、弱肉強食ではない。弱いから、誰かを傷付ける、殺す、弱いから守る、助ける・・・。
弱い人間ほど、嘘を吐く。
誰かを守るフリして誰かを傷付ける。
周りの人間を見てそう思う。「俺ってクズだから・・・」「私メンタルが弱いから・・・」そう言えば何してもいいの?
自分を守ることができる人間は自衛して他人も殺さず生きているのに、弱い人間は自衛で他人を殺して、無意識で弱さをカバーして、それって世界がくだらない云々じゃなくて甘えてるだけじゃん、人を見下してるだけじゃん、自分が可愛いだけじゃんかって、何自分に酔ってんの?って思っちゃう。
そこが分からないから弱いんだよって返す人がいることも、強いから分からないんだよって言う言葉も分かる。
中村さんの作品を読むと、私がこんなに共感出来ないのは"ほんとうの"苦しみなり、孤独なり、恐怖なりを知らないからなのかな?と思う。
私は「自分自身から逃げて深く考えない弱さ」を持つ人間は(私が会う人間で弱いとかクズとか自分で言う人間はこの部類だと思っている)ほんっとうに他人をバカにしていると思っています。
他人に敬意を払えない。
だから自分が傷付きたくないだけなのに、相手を思っているかのような口ぶりで話す。
こういう人間に対して、同情も何も湧かない。
だけど、例えば戦地から帰ってきた人や戦争を体験した人のように、理不尽な死に巻き込まれたことのある人間、何かがきっかけで恐怖や疑念にとりつかれて弱ってしまった人間に対しては、私には絶対に理解出来ない恐怖があるのだと思うと、もしこの類の人間が無意識で自衛のために誰かを傷つけたとしても、虫唾が走ったりしないと思う。
この線引きは、自分のどんな思想を基準に考えていいのか分からないしシロクロつけられないなって思っています。
弱いとか強いとか、曖昧過ぎて、不確か過ぎるからあんまり良くないですね。
ページ数は少ないけど、あっさりとは読ませてくれないお話です。
哲学を勉強して再度読んでみようと思う作品。