≪内容≫
さようなら、3(スリー)フリッパーのスペースシップ。さようなら、ジェイズ・バー。双子の姉妹との<僕>の日々。女の温もりに沈む<鼠>の渇き。やがて来る1つの季節の終り――デビュー作『風の歌を聴け』で爽やかに80年代の文学を拓いた旗手が、ほろ苦い青春を描く3部作のうち、大いなる予感に満ちた第2弾。
私、村上春樹が好きかもしれない。
意味はないけどスモークカラーが好きな感覚に似てる。
入口と出口
後足を針金にはさんだまま、鼠は四日めの朝に死んでいた。彼の姿は僕にひとつの教訓を残してくれた。
物事には必ず入口と出口がなくてはならない。
そういうことだ。
たぶん、入口と出口の間にいるようなお話なのかな、と思いました。
喪失の話。
直子という恋人を愛していたこと、彼女がもう死んでしまったこと。
それは恋人になったときが入口なら、彼女を永遠に失ったときが出口だったのかもしれない。
でも主人公はまだ出口に辿り着けていない。
出口に向かっているのかも、出口を見つけたいのかも分からない。
ピンボール
しかしピンボール・マシーンはあなたを何処にも連れて行きはしない。リプレイ(再試行)のランプを灯すだけだ。
リプレイ、リプレイ、リプレイ、・・・、まるでピンボール・ゲームそのものがある永劫性を目指しているようにさえ思える。
永遠を望む無意識と、一刻一刻と確実に進んでいく現実。
そういうものを本書に感じました。
ここにいたい、と思っても景色や周りの人間はどんどん変わって行ってしまう。
何か特別に悲しい風景や、言葉があるわけじゃないのに、笑っているのに心は冷めているような、そんな感覚になる小説。
村上春樹の本って「そうそう!!」みたいに興奮することがない。
静か。
誰の感情も爆発したりしないし、淡々と過ぎていく。
だけど、じゃあ淡々としているってことは感情が乏しいのか?というとそうじゃない。
淡々としているほど染み込んでくる。
双子に囲まれて眠る主人公やピンボールが並ぶ倉庫や配電盤を池に葬る光景・・・どこかコミカルなようにも感じる。
好きだなぁ。
双子の姉妹
「寿命が切れたのね」
「つんぼになったのよ」
双子の姉妹が好きです。
いきなり現れて、いきなりどこかへ帰っていく。
双子が片方ずつ、同時に主人公の耳掃除をしていたとき、主人公がくしゃみをする。
それから主人公は耳が聞こえなくなってしまい病院に向かいます。
原因は耳あかがつまったことで、女医は主人公の耳の穴が他人よりずっと曲っているという。
このシーンでの耳の穴が他人より曲っていることが示すのは、主人公の心なんじゃないかなぁと思いながら読んでいました。
この瞬間、一度再生したのだと思いました。
だから、双子の姉妹は帰って行った。
物語は出口もなく終わるのですが、この一冊まるまるとモヤっとしているのが好きです。
双子はねじまき島~に、直子はノルウェイの森に出るようなので、これからの作品の紹介作ってなものでしょうか?
「ねじまき鳥クロニクル♦第一部泥棒かささぎ編」の記事を読む。
村上春樹の書評って書くことないんですよね。
いつもの半分くらいしか言葉が出ないんですが、私はかなり気に入っています。
もしかしたらもっと作品を読んでいけば気付くことや、そうか!と思えることもあるのかもしれません。
何かを失くしたような主人公が、とても印象深い。
ねぇ、誰かが言ったよ。ゆっくり歩け、そしってたっぷり水を飲めってね