≪内容≫
邪の家系を断ちきり、少女を守るために。少年は父の殺害を決意する。大人になった彼は、顔を変え、他人の身分を手に入れて、再び動き出す。すべては彼女の幸せだけを願って。同じ頃街ではテロ組織による連続殺人事件が発生していた。そして彼の前に過去の事件を追う刑事が現れる。本質的な悪、その連鎖とは。
映画になった!
映画版はどうなるのかな?
「邪」の家系
「お前は「邪」となる。この世界に負として働く存在になる。お前は私を殺すことで、私を内部に取り込むことになる。他人の命を損なうというのは、そういうことなのだ。そしてそれが、殺人の、ある意味で最も魅力的なところだ。他人を取り込む。生物としての歪みと引き換えに」
自分が死んでも、お前の意識の中に出現するぞ、という父。
しかし、自分が殺さなければ愛する香織は父によって嬲られる。
殺るしかない。文宏は一番大事なもののために父を殺す。
そのためになら世間の道徳は超えると思った。
香織がすべてだったから・・・。
しかし、父を殺したことで文宏は「邪」にとりつかれ、香織は離れていくのだった・・・。
すごいなぁ。
殺すことで内部に取り込むことになるとは。
愛する人を守るためには、殺すしかなく、警察や周りの人間に助けを求めてどうにかなる問題ではなかった。
そして出来るだけ、殺すより事故だと自分に思わせるが、それは自分への洗脳だと父に返される。
大嫌いな父を殺したら、大嫌いな父の顔そっくりになり、香織は文宏だと分かっていながらも脅えてしまう・・・。
ルール違反の仮面
顔を全くの他人に変え、他人として生きていくという違反行為。
人間は誰もが、自分が主役の人生を進む。それぞれの主役が集まり、それぞれの価値観や思いが入り乱れ、この世界は動く。
だが、僕はその主役から降りようとした。主役達が動くこの世界の中で、その隙間に漂い、自分自身の価値の全てを消し、運命のいたずらや偶然性が必要なら、人工的に、誰からも見えない場所で静かに作用する存在。
文宏は香織と別の人生を歩み続けるも、香織が幸福であるかにこだわります。
香織が良くない男と付き合っていたり、危険な目に遭いそうだと思えば、その男たちに危害を加えます。
全くの偶然や事故のようにみせかけて。
離れても文宏の中で香織は絶対の存在であった。
だからこそ守ろうとし続けた。
素の自分ではなく、仮面の姿で。
なぜなら、「邪」になった自分では誰も幸福にすることが出来ない憂鬱な存在だから・・・。
机上の空論で物を言うなら、父を殺したことから逃げれば良かった。
あれは正しかったんだと自分を洗脳できればよかった。
そうしたら、文宏は決して憂鬱な「邪」になどならなかった、なれなかった筈。
そもそも「邪」になる素質とは、誰かを守りたい、誰かを愛したい、愛されたい、そういうものが人一倍多いことのように、本書では書かれていると思う。
自分より、誰かを・・・と思うからこそ、手を下してしまう。
そして、そこから文宏は父以外にも人を殺していく。
それが「邪」になること。
もし、香織という存在がいなければ「邪」になることはたぶんなかった。
愛ゆえに、邪になり、愛ゆえにルールを越える。
中村さんの主人公って今更ながら、弱くないですよね。
いつも死と向き合っている。
逃げちゃえば、楽なのに。逃げるやつもいるのに、囚われる方を選んでいる。
神の存在
「殺人は、人間の判断を超えるものです。それには、人間を超える概念を、用いるしかありません」
(中略)
「そういう考え方もあると思います。そうやって救いを模索することも、正しいのだと思います。・・・命を損なうことにも、それぞれのケースが・・・」
僕は靴をはき、医師に向き直る。
「でも僕は、それを抱え続けることが、解決しないことが、僕にとっての正しさのように思うのです。・・・他人の命を損なう、あの執拗で厄介な感覚を、僕はずっと抱えていこうと思います。それが、僕にとっての正しさということになります」
彼が人を殺すとき、いつも香織がいます。
文宏から顔を変えて、新しい人間になり香織と一緒に人生を歩むことも出来たはず。香織に近づく男を殺すのではなく、香織のそばにいて殺さずに守り続けることも出来たはず。
だけど、彼はひたすら影武者として生きる道を選んだのでした。
そもそも、お前が人を殺そうと思ったのだって、それは他者に関心がある証拠だろう?自分の願望や思いが、他者の存在がなければ成就しないということだから
生きていると、自分にとって邪魔な人間や不快な存在と出会う。
しかし、そもそもなぜ「邪魔」とか「不快」を感じるかって、自分の中に希望があるから。
生きたいとか守りたいとか、何かをやりたいことがあったり、自分の描く未来図があったりするから。
だから許せないっていう感情が生まれる。
人間を超える概念、自分では背負いきれないものを"神"に担ってもらうのは、自分を守るために必要なことなのかもしれない。
もしかしたら、これからお世話になることもあるかもしれない。
だけど今は、自分の中にある不可解な思いも、やるせない後悔も、誰にも明け渡したくないな、と思います。
悩みは解決しなければならないものではなく、それと共存していくこと。
少し、病と似ていますね。
「病気とうまく付き合っていこうね。」という言葉があります。
どうして治らないんだろう?
どうして私はこんな人間なんだろう?
そうやって否定したり、追い出そうとしたりするよりも、うまく付き合っていくこと。決してマジョリティじゃなくっても、マジョリティになる必要はない。
どんな自分だとしても、生まれてきたんだし。
理由なんか見つからなくても、生まれてきた時点で意味があったんだし。
自分のことがキライでも、そんな自分と付き合っていこうと思う。
だって、それが自分の出来ることだから。
香織と決別して新たな道を歩き始める主人公のもとに、二番目でいーよっていう女性が現れます。
なんか、今までにない展開でほっこりしました。
なんでしょうね。
やっぱり、他人のくせに、他人が一人で苦しんでいるのは嫌なんですよ。
他人だって線引きするくせに、他人が一人で苦しんでいるのは嫌だ。
誰かが傍にいてくれたらいいのに、って無責任なことを思ってしまう。
ほんとうは主人公は一人で苦しむ方が良かったのかもしれないのに、私はそばにいる人がいて良かったなって思ってる。
いくらルール違反しようが、他人だと線引きしようが、一人じゃ生きていけない。
他者がいるから、いろんな望みが生まれる。