≪内容≫
クラスでは目立たない存在である小4の結佳。女の子同士の複雑な友達関係をやり過ごしながら、習字教室が一緒の伊吹雄太と仲良くなるが、次第に伊吹を「おもちゃ」にしたいという気持ちが強まり、ある日、結佳は伊吹にキスをする。恋愛とも支配ともつかない関係を続けながら彼らは中学生へと進級するが――野間文芸新人賞受賞、少女の「性」や「欲望」を描くことで評価の高い作家が描く、女の子が少女に変化する時間を切り取り丹念に描いた、静かな衝撃作。
なんで中学くらいの男子ってよく「ブス」って言うんですかね。
対して女子はなんで「キモい」を乱用するんですかね。
これなんなんですかね。
大人になると、ほんっとくだらない世界だったな、って思うから、若者は本当に自殺しないでほしい。
教室の中は歪んでいる
伊吹が正しいことはわかってる。
でも教室では、正しさなんて何の役にもたたない。伊吹みたいな幸せさんには、そんなことすらわからないのだ。
クラスのヒエラルキーの上位にいる伊吹と、下から二番目の私。
だけど、伊吹と私は小学生のころから同じ習字教室に通っていて、そこでは気軽に話したり一緒に帰ったりする仲だった。
クラスの暗黙の了解であるヒエラルキーに対して無頓着な"幸せさん"である伊吹は学校で話しかけないでという私の意見がおかしいと言う。
おかしいのなんて分かっているけど、クラスで自分と伊吹が仲良く話していたらそれだって十分おかしいのだ。
まさかのwikiにまとめてありました。
・愛・性愛経験 - 豊富なほど上位
・容姿 - 恵まれているほど上位
・ファッションセンス - 優れているほど上位
・場の空気 - 読めたり支配できたりするほど上位
・クラブ活動 - 運動系は上位、文化系は下位
・趣味・文化圏 - ヤンキー・ギャル系は上位、オタク系は下位
・自己像- 自分探し系は上位、引きこもり系は下位上記wikiより抜粋
憂鬱になりますわ。
私は伊吹が好きで、伊吹も私を好き。
そして同じ日本人同士で、同じ小学校だったし同じ地区に住んでいる。
身分差の恋じゃあるまいし、禁断の恋でもないのに、何が許さないってクラスの雰囲気。謎のカースト制。
縛られているのは私だけど、戦線離脱は許されない。
誰かの恋はみんなの恋
伊吹から「付き合おう」と言われたとき、一瞬世界がぐにゃりと歪んで見えたのは、恐怖からか、嬉しさなのか、自分でもわからない。
でも、そこへ進むということが皆にとってどれほど笑える話か、伊吹にはわかっていない。
幸せさんの伊吹には一生わからない。
私が大切に守っていた、胸に巣食うこの初恋という宗教は、笑いながら踏み荒らされて、粉々にされてしまうだろう。
痛いほど分かるっ・・・・!
好きな気持ちを自分の中で閉じ込めていつも監視していないと、いつの間にか誰かが抜き取って晒しものにして、色んな人間の手垢で真っ黒くなってしまう。
大切にしてきた純粋で純白な気持ちなのに、理由なき悪意に蹂躙されてしまう。
それをやった側は「いたずら」程度にしか思わない。
何度も中学生に戻れたら初恋の人に告白したかったな、と思うけど、そのたびに絶対無理だなって思う。例え相手が受け入れてくれても付き合うなんて出来ないと思う。
別にそこまで好きじゃないなら冷やかしも悪意も流せるけど、初恋の人は無理。その人のことを好きになったことで自分のことも好きになれたから。
その人の良さに気付けた私ってすごい、私ってやるじゃん、あいつをめちゃくちゃかっこいいと思う私は見る目ある、的な気持ちがありました。
だから恋心だけじゃなくて、少しだけ好きになれた自分のことも蹂躙されてしまうと思うと、その二つが取り上げられてめちゃくちゃに遊ばれて真っ黒になって返されたら立ち直れないんじゃないかと思う。
「そうだよ、好きだよ、何が悪いの?」それが正しいことだと思うけど、この言葉って嘘ほど上手く言える。
嘘なら情感たっぷりに言える。
その後にどんな言葉がきても傷付かないことを分かっているから。
好き、きらい、好き
「私、伊吹のこと好き」
「・・・うん」
「でも、好きって言いたくなかったの。たぶん、それよりずっと好きだったから」
なんだか自分の気持ちを「好き」という元からある言葉に嵌めこむと、陳腐で安っぽくて薄っぺらくなってしまう気がします。
でも、間違いなく「好き」という言葉が当てはまるのですが、なんだかしっくりこない。
私の「好き」はそこら辺の普通の女子みたいな「好き」とは違う、的な。
しかも本書では、スクールカーストにおいて下から二番目の女子が上位の男子に告白するという設定です。
これって相当きっついな、って思います。
告白したら次の日「あいつOOにコクったらしーぜ。身の程を知れよな、迷惑だっつーの」とか言われそうだし。
こういう淀んだ空気を感じずに過ごせた人がいるなら、それはすっごくいいなぁと思う。
だけど中学で思いっきり人の悪意とか理不尽さに触れたから得たものも大きいなぁ・・・とひそかに思ったりして。
本書は思春期独特の雰囲気をこれでもかってくらい緻密に感じられます。
辻村さんといい、村田さんといい、もう少し目を反らしても良かったんじゃないかってくらい隠さず書くので嫌になります。
でも作家さんというのは、こういう目を背けたくなることにも逃げずに観察し続ける力を持っているのかな、と思ったりしました。
ひねくれ女子を笑わせてくれるのって純粋男子なのかもしれない。