≪内容≫
「面白きことは良きことなり!」が口癖の矢三郎は、狸の名門・下鴨家の三男。宿敵・夷川家が幅を利かせる京都の街を、一族の誇りをかけて、兄弟たちと駆け廻る。が、家族はみんなへなちょこで、ライバル狸は底意地悪く、矢三郎が慕う天狗は落ちぶれて人間の美女にうつつをぬかす。世紀の大騒動を、ふわふわの愛で包む、傑作・毛玉ファンタジー。
エンターテインメントといえば森見さん。
アニメで今2期がやっているのですが、1期のときに見てハマりました。
たぶんアニメの中で一番好きです。
狸と天狗と人間の物語。
いいねぇ、こういうファンタジー、日本ファンタジー、いい!
続編はこちら↓
如何にして生きていくべきか
かつて私は、狸として如何に生くべきかという難問に取り組んだことがある。
面白く生きる術は心得ているつもりではあったが、そのほかに己が何をすべきか判然としなかった。「どうすべきか分からないときには、何もしない方が得策だ」とは、かのナポレオンの言葉である。
そうやって何もしないでぶらぶらしているうちに、これはどうやら面白く生きるほかに何もすべきことはないようだという悟りを得た。
何がイイって、面白いことに徹底している部分です。
やっぱり楽しいことやっているヤツって楽しいんです。
笑わせようとして面白いことをその場でしようとするんじゃなくて、面白いことに全力で突っ込んでいく姿勢についつい笑っちゃうんです。
たまに考えすぎて煮詰まって生きていくのがイヤんなるときがあります。
そういうときは180度廻って面白く生きるほかに何も浮かばない・・・というテンションになります。
ゆえに面白いことを追及している背中は意外に色んなものを負っているんだと私は思っています。
悩みごとは二つに分けられる
一つはどうでもよいこと、もう一つはどうにもならぬことである。そして、両者は苦しむだけ損であるという点で変わりはない。
努力すれば解決することであれば悩むより努力する方が得策であり、努力しても解決しないことであれば努力するだけ無駄なのだ。
私は"悩み"に対しては自分なりの考えがあって、それは"暇だから悩むのだ"ということを思っています。
大体、有名な哲学者が色々考えられたのも奴隷が家事全般を受け持ち、パトロンが工面していたからなのだ。
もともと食べて働いて寝る。
それだけでいいのだ。それこそが人間の基本なのだ。
悩みという酔狂なアクセサリーをつけて扱いに困っているだけなのだ。
人間関係がうまくいかないとか、誰誰が気にくわないとか、成績が上がらないとか、評価されないとか、そんなことは考えることも無駄であり、努力することもまた無駄だと思う。
悩むのはいい。
考えるのも自由。
だけど、それを大事にするのはナンセンスだと思う。
あくまで悩みは付属品であり、本体は自分自身の食う寝る働くです。
とどのつまり、面白く生きるということは生きるということを全肯定していると思う。
願いはあるか
昨年も色々なことがあったが、とりあえずみんな生きており、とりあえず楽しくやってきた。今年も色々あるだろうが、とりあえずみんなが生きており、とりあえず楽しければよいだろう。
うむ。
それがすべてじゃー。
とはいいつつ、たぶん今じゃなきゃ楽しめなかったと思う小説です。
アニメに関しては、そこまで小説の癖が出ていないと思うのですんなり楽しめたのですが、本で読むと結構癖があるし「楽しければいいじゃん」を素直に受け止めることが出来なかったときだったら読み切れなかったと思います。
狸という立場からみた人間(弁天)は何やら悲しげですし、天狗はしょーもないイジッパリです。
そんなめんどくさい人間と天狗に世話を焼く狸・・・。
面白すぎるし、面白いことを面白いって受け入れて楽しんで生きていくのが人生を楽しむってことなんだと思いました。
小さな悩みとか、腹立つこととか、あれしたい、これしたい、ってあるけれど、とりあえず生きてて、とりあえず友だちがいて、とりあえず美味しいものとか食べられて、とりあえずまあ何となく楽しいならそれでいいじゃないか。
そう前向きになる笑えるお話です。
出てくる小道具や設定が可愛すぎて、面白すぎて、世界観が好きすぎる。