深夜図書

書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

きれいなシワの作り方~淑女の思春期病/村田沙耶香~私はやさしい女性が好きです~

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≪内容≫

思春期なんてとっくに卒業…と思いきや!?追いかけてくる自意識の罠。思わず吹き出す滑稽な視点と身をよじりたくなる共感の嵐がつめこまれた、三島賞作家による抱腹絶倒エッセイ集!

 

エッセイってやはり小説とは全く違いますよね。当たり前なんですけど、村田さんって友達たくさんいるなぁ、とかよくデパートとか化粧品売り場に行くんだなぁ、とか黒タイツ買うのに百貨店なんだなぁ・・・とか女子力の高さを見ました。笑

 

村田さんで女子をサボっているなら、私っていったい・・・?と思ったり、爆笑したり面白いです。20代後半~の女性は特に面白く感じるんじゃないかな、と思いました。

 

同窓会より怖いこと

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クラスメイトのことをあんまり覚えていない・・・というような同窓会では、記号的な会話しかなくなる。

結婚してる?

仕事何してる?

子供はできた?

どこに住んでる?

などの会話だ。

同じ会話でも、大好きで懐かしい友達に向けられたものなら、どんな返事でも、友人の「今」を知れることが楽しいはずだ。

でも親しくない相手に繰り出されるこれらの質問は、ただ、相手を分類するための手段でしかない。

答えれば答えるほど、自分がどんどん記号化されていくような、人間ではなくなっていくような気持ちになる。

 

毎日いろんなことを感じ、考え、体験して生きている。

そのことを無視され、「へえ、そうなんだ」と、ただ分類されて終わっていく会話。

とても悲しい気持ちになるし、自分という存在を否定されている感じがする。

 

相手がどうってよりも、質問に答えるほどに自分ってこんなつまらない人間だっけ?って落ち込む。

 

説明して理解してもらうってことの悲しさ。

自分で自分はこういう人間なんです!って型にはめる窮屈さ。

だけどそれが出来なきゃ興味も持ってもらえないジレンマ。

 

嫌んなる。

ほんと嫌んなる。

 

ほんと・・・嫌んなる。

 

うん。こんなときはヤドカリのお引っ越しを見よう。

 

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みんな一所懸命に生きているよな。

 

メリットがない女

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「でさ、結局、村田さんたちと結婚したとしてさ、男側のメリットって何かあるわけ?」 

(中略)

「基本的にはない・・・けど、あえて言うなら・・・」

というネガティヴな前置き付きで一人の子が答えた。

「料理が好きだから、今までより健康に良い食事ができるんじゃないかな・・・。」

 

他の子は、

「子供を産んであげられることかな・・・年齢が間に合えば・・・」と言った。

 

「で、村田さんは?」

と聞かれ、私の返事は、

「相手が死んでたら気付く・・・」だった。

 

相手が死んでたら気付く・・・

作家さんてやっぱり面白いなぁ・・・と思いました。

 

私だったら・・・「入院したとき助かる」かなぁ。

手術とか、家族の了承ないと出来ないですからね!親はどうしたって先にいなくなってしまうので、最大のメリットじゃない?と思っている。

 

メリットってなんでしょうね?

ていうかそもそも結婚ってメリットとかデメリットを想定してするもんなのかなぁ?と思う。

世の中の「年収1000万以上」とか「専業主婦希望」とか「若い子」とか「かわいい子」とか「共働き希望」とかって、瞬間と結婚したいんだなぁ・・・と思う。

 

だってもし年収1000万以上の人と結婚したってその先ずっと1000万かは分からないし、結婚当初若い子だって老いるし、そのときは専業主婦で良くても生きていけない状況になったら共働きになるしかないし、逆に共働き希望ってなってもどちらかが病気になったりするかもしれないし。

 

メリットもデメリットも変化していくもので、固定はされないものだと思っているので、変化を一緒に受け入れて進んで行きたいと思える人が長期的な結婚に向いているのかなぁ?と思ったり。

 

生きてるんだから、時には太るだろうし、時とともに頭は薄くなるし、身体も横にのびるし、声もガラガラになっていくし、シミ・シワも増える。

それを許さないなら、生きるなってことになりませんかね?

 

女の人生と化け物

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「貴方はちゃんと女を頑張ってますか?それとも、もう女を捨てますか?どちらが『貴方らしい生き方』ですか?」そろそろどちらかに決めたほうがいいんじゃないですか、ほらほら、と化け物は私を追い詰めてくる。

(中略)

この不気味な化け物は膿んだ自意識から発生するもので、私はこれを思春期に一度やっつけたはずなのだ。

女は楽しい。女はしんどい。

どちらも本当で、だから私は私のために「女」になる。 

 

 村田さんってすっごい女子力高いな・・・と本書を読んで思いました。

 

 これはananの連載をまとめたもの、ということなので読者を意識して「女」にこだわったテーマで書いているのかもしれませんが、世の中の女性がこんなに「女」に縛られているのなら、苦しいだろうなぁ・・・と思いました。

 

女に生まれたんだから捨てることなんて出来ないのに、「女を捨てる」という表現が流通しているのは無理に女を着ているからなのではないかな、と感じました。

 

なんでしょうね、女性だって汗かくし、汗臭いこともあるだろうし、足臭いこともあるだろうし、化粧落とさずに寝落ちするときもあるだろうし、風呂をサボることもあると思うんですよ。

 

電車の中で女性ってそこまで臭くないんですよ。

初夏の暑さで汗をかく時期がやってきました。

山手線の激混みの車内でも、朝ってそこまで臭くないんです。でも帰りってなんというか男性特有の酢っぱい匂いというか、暑い中たくさん働いてきたんですねって匂いがするんです。(こういう時、営業の外回りだったのかしら?とか思ってしまう。)

 

それとぎゅうぎゅうの車内に押し込まれるときも、女性って柔らかいんですよ。

しなやかと言ってもいいなぁ、なんか対応力?柔軟性があるというか。

融通が効くんです、その隙間にフィットするような。

 

そう考えると、私の職場は女性しかいないので匂いで苦痛に思ったことがないのかもしれない、と思いました。

男性がどこまで汗対策とか消臭対策をしているかは分かりませんが、私も含め、女性陣は大体朝来ると制汗スプレーしたり、靴に消臭剤入れたりしてますね。

 

だからなんというか、無理に着こまなくても、女なんだよなって思います。

シワが出来ようがシミが出来ようが女なんですよ、捨てるなんて出来ないし、それが出来たら失格になってリタイア出来るものでもない。

 

差別の気持ちは全くないし、強制したいわけじゃないんですが、私は化粧がどうとか、シワやシミがどうとか、そういうことじゃなくて、「やさしさ」が一番の女子力だと思うんですよ。

これは対男性だけじゃなくて対人類においてです。

 

海外では違うかもしれないけれど、女性が怖くなったら世も末なんじゃないかと本気で思う。

別に「やさしくしなきゃ!」っていうのじゃなくて、なんというか、そりゃ怒るときもヒステリックになりたいときもあるし、それを我慢しろっていうんじゃなくて大らかさっていうか、余裕?みたいなものかなぁ。

女らしいということ―心を奪う魅力と知恵 (1982年)

女らしいということ―心を奪う魅力と知恵 (1982年)

 

「女らしいということ」の記事を読む。

 

女子社会っていわば気使いの場でもあって「大丈夫?」っていう声掛けが出来るか出来ないか、声をかけてもらえたか、もらえなかったで空気が大きく変わったりする砂糖菓子みたいなフワフワしてる場でもあると思っていて。

 

それが「メンドクサっ」って思う人もいると思いますが、私はこういうフワフワした意味のないものが意外と社会的にクッションになっていると思っています。

要らないっちゃ要らないんですが、無駄を排除した世界って殺伐としているんだろうな~と最近は思うようになってきました。

 

女を楽しむという意味で、化粧品に凝ったり服に凝ったりするのは自由だけど、そこに縛られて、女を着こむのは苦しそうだなぁ・・・と思いました。

きれいなおねえさんに胸が高鳴るのは、そのおねえさんがやさしそうに見えるからだと思うんだ。