深夜図書

書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

レキシントンの幽霊/村上春樹~綺麗に冷凍保存されるための今なんていやだ~

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≪内容≫

氷男は南極に戻り、獣はドアの隙間から忍び込む。幽霊たちはパーティに興じ、チョコレートは音もなく溶けてゆく。短篇七篇を収録

 

寂しかったり悲しかったり怖かったりする話。

村上春樹の小説の中でも割と分かりやすい一冊かな、と思いました。

やはり分かるととても悲しい。

 

悲しみや恐れが詰まった一冊です。

 

沈黙

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無口で物静かな大沢さんと、大沢さんが生理的に嫌いな青木という男の話。

青木はクラスの人気者でした。

 

回転が早いんです。

相手が何を求めているのか、何を考えているのか、そういうことがさっさと手に取るようにわかるんですね。

そしてそれを見て巧妙に自分の対応を変えていくんです。

だからみんな青木のことに感心しちゃうんです。あれは頭のいいたいした男だって。

(中略)

でもこの男には自分っていうものがないんです。他人に対してこれだけは訴えたいっていうものが何もないんです。

自分がみんなに認められていれば、それだけで満足なんです。そういう自分の才覚にうっとりとしているんです。

風向きひとつでただくるくると回っているだけなんです。

 

 こんなに勘のいい青木なので、大沢さんが自分を嫌っていることには気付いているためあることないこと噂を流しました。

そのことで大沢さんは青木を殴ってしまいます。

 

大沢さんと青木はエスカレーター式の中学だったため同じ高校に進学しました。

そこでもまた青木は大沢さんに嫌がらせを働きました。

そのことで大沢さんはとても苦しみます。その苦しみは大人になった今も続いているのですが、相手は青木ではないのです。

 

でも僕が本当に怖いと思うのは、青木のような人間の言いぶんを無批判に受け入れてそのまま信じてしまう連中です。

自分では何も生み出さず、何も理解していないくせに、口当たりの良い、受け入れやすい他人の意見に踊らされて集団で行動する連中です。 

 

私も大沢さんの言う通り、悔しいけれど青木にはその手の能力があるんだと認めてしまいます。

他人を扇動したり、集団をまとめたり、いい気にさせたり、嘘八百なのになぜか信頼を得ていて好かれていたりっていう腹立たしい人間がいることは事実です。

 

そんな人間に標的にされたら四面楚歌です。

誰も助けちゃくれません。本当のことを言っても「OOがそんなこと言うはずない」「あなたの思いすぎじゃないの?」「ひねくれすぎじゃない」とかそういう言葉が返ってくることもあるでしょう。

 

そういうとき、一番悔しいのは青木じゃなくて、青木という人間を過信して事実は一切見てくれない人間が存在しているという現実じゃないでしょうか。

 

助けてくれなくていい、分かってくれなくていい、ただ青木を抜きにして事実はどうなのかってことを見てくれる人が誰もいない。

しかもこういった人たちは事実が分かった後も「なんだ、そうだったんだ。」くらいにしか感じない。だって自分が直接関わったわけじゃないから。

 

ひそひそ・・・ひそひそ・・・。

集団のひそひそ話や冷たい目は、何か得体のしれない大きな怪物みたいです。

スイミーみたいに。

スイミー―ちいさなかしこいさかなのはなし

スイミー―ちいさなかしこいさかなのはなし

 

一匹一匹は小魚でも、集団になれば大きな魚になって他の生き物を威嚇することができる。

 

その一匹の内に入りたくても、統制のとれた集団は一匹をはじく。はじかれた一匹は一匹分の痛みを受け、はじいた者ははじかれた一匹分の痛みを集団で分け合う。

 

一匹分の痛みを丸ごと背負った一匹と、何百分の一の痛みしか知らない集団が分かり合えるわけないですよね。

なんか書いてて腹立ってきました。

 

人は生きてるだけで他人を傷付けてしまうのは分かる。

深く付き合うほど傷付けあうのも分かる。

だけど、こういう卑怯なのはすっごいいやだな、と思った。

 

 

氷男

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氷には未来というものはないからです。

そこにはただ過去がしっかりと封じこめられているだけです。すべてのものはまるで生きているみたいに鮮明にそこに封じこめられているんです。

氷というものはいろんなものをそんな風に保つことができるんです。とても清潔に、とてもくっきりと。あるがままにです。

それが氷というものの役目であり、本質です。

 

氷男と結婚した私の話。

 

この話が一番好きです。

氷男はなにも冷たい氷で出来ているわけではないけれど、過去を持たない男なので戸籍もないし、親族もいません。

そんな氷男と結婚を決めた私はもちろん誰からも祝福されず、ひとりぼっちになりました。

私が泣いていると氷男は私の頬に口づけをして、涙を氷に変えました。

私は旅行先の南極の氷の家の中で氷の涙を流し続けました。

 

ざっくりいうとこういう話なんですが、一瞬一瞬過去になっていることは分かってはいるけれど、悲しくて流れた涙が一瞬で過去になってしまうなんて、悲しすぎてどうしていいか分からない。

 

過去と現実の境目がどこかはっきりさせようと思うのはとてもナンセンスだと思うけれど、あまりに早く過去へ過去へってせっつかれると色んなものを失くしてしまう気がする。

 

そして現実は常に変化しているのだけど、それもあまりに明確にパリっと変わられてしまうと着いていけない。

 

過去はおぼろげになり、曖昧になるから、凝りもせず未来を待ちわびるのに、過去が鮮明にくっきり鮮やかに残されてしまうんじゃ捨てようがないじゃないか。

そんなものを持ち続けることを役目にしている氷男と結婚するってことは、自分の一瞬一瞬も綺麗に冷凍保存されるためのものでしかなくなってしまう。

 

綺麗に冷凍保存されるための今なんていやだ。

 

書いてて思った。

だからイヤなんだ。人と食事にいって写メを撮るのが。

なんだか、今この瞬間の楽しみのためじゃなく、過去に綺麗に保存するために食事に来たみたいで今を蔑ろにするようでイヤなのです。

 

一人のときは記念感覚なり寂しさを紛らわす行為でもあるのですが、人と行くときってやっぱり写真には写らない空気だったり盛り上がりだったりがあるから、そういうのをその場にいるのに、すでに過去のためにしているみたいで悲しいのです。

 

未来のためでもなく、過去にするためでもなく、今を生きたい。

それってたぶんそんなに難しいことじゃない気がする。

 

 

「七番目の男」という作品も好きでした。

一番の恐怖について語る七番目の男の話。 

娘の体の中身はすっかり蠅に食われてしまっていた・・・。