≪内容≫
庭・池・電燈付二階屋。汽車駅・銭湯近接。四季折々、草・花・鳥・獣・仔竜・小鬼・河童・人魚・竹精・桜鬼・聖母・亡友等々々出没数多……本書は、百年まえ、天地自然の「気」たちと、文明の進歩とやらに今ひとつ棹さしかねてる新米精神労働者の「私」=綿貫征四郎と、庭つき池つき電燈つき二階屋との、のびやかな交歓の記録である。
癒される、こういうやさしい物語。
のんびりとした物語を読んでいるときって、私の時間ものんびりとしている気がします。
気に入ったお話を三話紹介したいと思います。
木槿(むくげ)
信仰というものは人の心の深みに埋めておくもので、それでこそああやって切々と美しく浮かび上がってくるものなのだ。
もちろん、風雪に打たれ、堪え忍んで鍛え抜かれる信仰もあろうが、これは、こういう形なのだ、むやみに掘り出して人目に晒すだけがいつの場合にも最良とは決して限らないのだ、ことに今ここに住む我らとは、属する宗教が違う。
表に掘り出しても、好奇の目で見られるだけであろうよ、それでは、その一番大事な純粋の部分が危うくなるだけではないのか、と。
なんでもかんでも掘り起こすのがいいことではない。
本書はそういう何となくわかってはいるつもり・・・っていうことを、もう一度考えさせてくれるきっかけになると思います。
隠し事というのは、なんだかいいイメージがなくて、やましいことや後ろ暗いことに繋がってしまいがちだと思うのですが、なぜ「隠し事」になったのか?ということを考えると、隠さなければならなかった理由なり、背景なりへ思いを巡らせることになり、より多く、そして深く物事が見えてくるようになると思います。
好きな人の全てを知りたいと思って、相手の過去や嫌だったこと、思い出したくないようなことも、自分は受け止めたいからって掘り起こす人間がいますが、それってすごく乱暴だなぁと私は思います。
信仰というと宗教を想像してしまいますが、人はそれぞれに信じているものや、思想や理想があると思います。
それは何か明確な理由があるものじゃない場合もあるし、経験からきている部分もあると思うのですが、それは誰かに否定されるものでもないし、誰かと共有しなければならない部分でもないと思うのです。
自分の中で大切に大切にしているもの、それは時に親しい人間に掘り起こされそうになるし、堀り起こされたいと思うときもある。そして、堀り起こして知りたいと思うこともあるでしょう。
だけど、大切なのは自分の価値観や好奇心じゃなくて、相手の一番大事な純粋の部分だから、そこだけは見失わないで生きていきたいなぁ・・・と思いました。
ススキ
ーつまり、ああ、いい場所だと思う、そして自分が死んだら故郷のどこそこへ埋めてくれと人にせがみたくなる、いい場所とはつまり、人が埋められる気になる場所なのだよ。
埋められたい場所ありますか?
私は考えてみたのですが、思いつきません。笑
散骨してほしいなぁと思っていたので、こういう考えもステキだなぁと思ったお話でした。
いい場所に人が埋められたがる、というなら墓地がある場所はいい場所なのですかね?
住宅地の中に急にあらわれたりしてびっくりするときもありますが、景色のよさそうな高台にある霊園は確かに街全体が見下ろせていい場所なのかもしれませんね。
お墓って今でこそ選べるというか、共同墓地だったりあるけれど、昔は先祖代々のお墓に住むんだぞー!っていう感じで選べないんだと思っていました。
でも、選べるならどこがいいかな?
いい場所ってどこだろう?自分がここになら埋められてもいいなーなんて思える場所を日々の生活の中で考えてみよう、と思いました。
ホトトギス
これは人間のはずはない。しかしいかな化け物であっても、このように目の前で苦しんでいるものを、手を差し伸べないでおけるものか。
狸を一生懸命介抱する主人公。
この狸は畜生の身でありながら、成仏できない行き倒れの魂魄(こんぱく)を背負ってしまい、どうしようもなくなって寺に駆け込んで来るのだそう。
寺に向かう途中で遭遇した主人公はお経を唱えながら必死に背中をさすり続けたのでした。
有頂天家族や夏目友人帳を思い起こす一話でした。
私はこういう人と狸とか、人と化け物のお話が割と好きで、妖怪アパートもそうですが、見えないものが見えてしまったとき、もちろん驚くとは思うし怖いと思うだろうと想像するのですが、だからといって逃げたり脅えることをしたくないなぁ、と思いながら読んでいます。
いや、実際に遭遇したら逃げ出したい気持ちでいっぱいになるかもしれません。分からないけど、軽視したくはないなぁと思います。
XXXHOLiCというアニメで「人間は尊き命を救わないのに、どうして尊き命は人間を救わなければいけないの?」と言ったようなシーンがあるのですが、私たちは疑問も持たないくらい人間で在るということに驕りを持っているんじゃないかなぁと思うのです。
それは息をするくらい自然に、人間ファーストな世界というか。
それが当たり前でいいのか、息をするくらい自然なことなのか私には分かりません。
いまいちピンと来ません。
本書は見えないけれど在るもの、声にはならないけれど訴えてくるものの存在が描かれています。
花は摘み取られても泣かないし、野生の動物に話しかけても何も返っては来ないけど、それって人間には分からない音声で存在するのかもしれない・・・とか色んなことを考えながら読んでいました。
家を守るって簡単なことじゃないんですよね。