≪内容≫
心理学者、強制収容所を体験する-。飾りのないこの原題から、永遠のロングセラーは生まれた。原著の改訂版である1977年版にもとづき、新たな訳者で新編集。人間の偉大と悲惨をあますところなく描く。
したいことの一つがオーロラを見ること。
そしてもう一つがアウシュビッツに行くこと。
広島の原爆ドームと広島平和記念資料館には十代の最後か二十代の最初の頃に行ったけど、あの頃ほとんど何も知らなかったのになぜ行こうと思ったのか不思議に思う。
歴史を勉強している今、もう一度行きたいと思っています。
あの頃は、アメリカが日本の特攻によって自軍の兵士が殺されるのを防ぐために止むを得なく原爆を落としたのだと思っていたけど、今はソ連に対してのPRでもあったんだろうな、と思う。
歴史にイフはないから、どうすれば良かったとか考えたって何にも帰って来たりはしないんだけど、何も変わらなくたって知ることを放棄するのは、私にとっての「生きること」にはならない。
実は広島に行ったとき、もう二度と広島に行きたくないと思いました。
なんでかはよく分からないけれど、すごく悲しくて暗くて怖かったから。もう原爆が落とされた日から何十年も経っていて、街は関東と変わりない明るさとにぎやかさがあるというのに、すごくざわざわとしました。
たぶん、その頃の私は知識もないし余裕もなかったために、自分の中にないものを受け入れるっていう考えも場所もなかったんだと今振り返って思います。
だから原爆のことだけが頭にあって、今の広島というのを見れなかったように思う。今なら広島カープ関連を見たいし、もっと普段の広島を見たいなぁと思う。
生きる意味を問う
ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度方向回転することだ。わたしたちが生きることからなにかを期待するかではなく、むしろ、ひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。
高校生のころ、私の学校には平和集会という行事があって、一年に一回近くの公民館に行き、映画を見る時間がありました。
そのときの映画は有名な「ライフ・イズ・ビューティフル」。
平和集会って学年集会なので、号泣するのとかすっごいイヤだったし、当時は若気の至りもあって素直に見ることが出来ず斜にかまえていたのですが、ずーーーーーーっと心に残っている映画です。
この映画の最後のシーン。この小さな男の子が見た世界。
もう一度きちんと確認したいと思うけど、戦争映画はほんとうに手に取るのが簡単じゃない。
彼らは強制収容所に押し込められ、非情な世界を歩むことになります。著者はヒトラーが憎いとか、アーリア人を恨むとか、そういうことを書いていません。本書に書かれているのは、被収容者がどう一日を過ごしていたのかについてです。
ある夜、隣で眠っていた仲間がなにか恐ろしい悪夢にうなされて、声をあげてうめき、身をよじっているので目を覚ました。
以前からわたしは、恐ろしい妄想や夢に苦しめられている人を見るに見かねるたちだった。そこで近づいて、悪夢に苦しんでいる哀れな仲間を起こそうとした。その瞬間、自分がしようとしたことに愕然として、揺り起こそうとさしのべた手を即座に引っこめた。
そのとき思い知ったのだ、どんな夢も、最悪の夢でさえ、すんでのところで仲間の目を覚まして引きもどそうとした、収容所でわたしたちを取り巻いているこの現実に較べたらまだましだ、と・・・。
レードル一杯のスープ。それは底から掬ってくれるかどうかで価値が変わる。
底から掬ったものには豆が入っていて、上から掬ったものには薄い液体のみ。
ガス室に送られるのは人数がいなくてはならない。
そのため、自分の身内を外すように頼めば他の誰かが送られる。それを分かっていても、誰もが自分の身内を外してくれるよう嘆願する。しかしそれを咎めることが誰に出来ようか・・・。
カポーに気に入ってもらえばほとんどの被収容者が死んでしまうような激務をこなさなければならない班に入れられることはない。
列に並ぶ時は真ん中にいれば安全である。
本書は生きることについて書かれているように思います。
彼らがどうやって生きることについて考えていったか、この絶望的な環境において、苦しみしかない現状においてどう生きるのか、生きるためにどう考えてきたのか。
涙は苦しむ勇気をもっていることの証
わたしたちにとって、「どれだけでも苦しみ尽くさねばならない」ことはあった。ものごとを、つまり横溢する苦しみを直視することは避けられなかった。気持ちが萎え、ときには涙することもあった。だが、涙を恥じることはない。この涙は、苦しむ勇気をもっていることの証だからだ。しかし、このことをわかっている人はごく少なく、号泣したことがあると折りにふれて告白するとき、人は決まってばつが悪そうなのだ。
たとえば、あるときわたしがひとりの仲間に、なぜあなたの飢餓浮腫は消えたのでしょうね、とたずねると、仲間はおどけて打ち明けた。
「そのことで涙が涸れるほど泣いたからですよ・・・」
※太字は私がつけました
人を勇気づける言葉はこうやって生まれるのだな、と思いました。
苦しみと生きることと死ぬこと、そういったことを考え、苦しむことですら課題であったという著者。
本書で「わたしたちはためらわずに言うことができる。いい人は帰ってこなかった、と」いう言葉が有名ですが、だからといって彼らが悪いわけでは全然なくて、なんというか、悩みながら苦しみながら生き続けていたんですね。
というかもうこういう極限状態、私からしたらホロコーストも原爆も空襲も、戦争の時代に生きていた人たちに対していいとか悪いとか言えることなんか何もない。
ただ、戦争によって逆に立場が良くなる人間もいるのが事実です。
特権を示す腕章をつけず、カポーたちから見下されていたごくふつうの被収容者が空腹にさいなまれていたあいだ、そして餓死したときも、カポーたちはすくなくとも栄養状態は悪くなかったどころか、なかにはそれまでの人生でいちばんいい目を見ていた者たちもいた。
社会が求める普通の人間と、異常とされるサディズムが逆転した世界では、サディズム達にとっては生きやすい世界だったのかもしれません。
およそ74億人いる人間たち一人一人の生きやすい世界というのは、綺麗ごとぬきに言えば無理じゃないですか。
日本の中でだって分かり合えない思想が対立しているし、だから統一というのは排除行為であると思うのです。
私やおそらくほとんどの人間がいわゆる今の社会的に正常であるがゆえに、戦争を否定することが平和に繋がると思っていると思います。でも今の社会的に異常であるとされる人間にとっては、正常な人が唱える平和こそ地獄なのかもしれない。
生きている限り苦しみと決裂することはできない。
見ないふりをしたり、気付かずに蓋をしたり、誰かに背負ってもらうことは可能かもしれない。答えのない問題について考えることは決して楽しいことじゃない。だけど今の平和な日本にいたとしても、もんもんと考えて苦しむことが生きることであるように思う。
境界線は集団を越えて引かれる
人間らしい善意はだれにでもあり、全体として断罪される可能性の高い集団にも、善意の人はいる。境界線は集団を越えて引かれるのだ。したがって、いっぽうは天使で、もういっぽうは悪魔だった、などという単純化はつつしむべきだ。事実はそうではなかった。
(中略)
こうしたことから、わたしたちは学ぶのだ。この世にはふたつの人間の種族がいる、いや、ふたつの種族しかいない、まともな人間とまともではない人間と、ということを。
このふたつの「種族」はどこにでもいる。どんな集団にも入りこみ、紛れ込んでいる。まともな人間だけの集団も、まともではない人間だけの集団もない。したがって、どんな集団も「純血」ではない。監視者のなかにも、まともな人間はいたのだから。
※太字は私がつけました
この世に、この時代に生まれた一人の人間、個人として、どう生きていくのか。
日本人、女、男、ゆとり世代、血液型・・・他者と差別化するための言葉はたくさんあるけれど、そんな単純な区別で終わってしまうなら何のために生まれてきたというのでしょうか。
何のために?
何かがなければ生きていたらだめなのか?
生きるってなんなんだろう?
ともすれば死ぬって何なんでしょうか。