≪内容≫
輝く宝石のようなオードリーの魅力をちりばめた、素敵でおしゃれなラブ・ストーリー。彼女と駆け出しの作家ポールとのロマンスは、アカデミー賞(R)にも輝いたヘンリー・マンシーニの主題歌「ムーン・リバー」のメロディと共にいまも多くの女性の心を捉えて離しません。
見るまでちょっと億劫でした。
というのも、本作と同じくらい有名な「マイ・フェア・レディ」が楽しめなかった記憶があって・・・
だから本作と「ローマの休日」には勝手な苦手意識が。
でもカポーティ原作と聞いて思い切って見て見たんですが・・・
めっちゃ良かった。(´;ω;`)
原作も読む。てか原作が読みたい、すごく。
原作感想記事↓
映画で満足しちゃって原作に興味湧かないときもあるのに、なんでだろう。
人を頼ったり、信じたりするのは怖い
主人公のホリーは高級娼婦だというのに、赤字生活です。
なんでかな~?家賃が高いの?と思ってたんですが、たぶん原因はこれです。
お金がいるのよ
何としてでも
来月の今ごろ
わたしはトローラー夫人よ
持ってきてよお酒を
お金は払うわ
悪い女だと思うのね
そんな人のお酒は頂けないわ
だからちゃんとお金は払うのよそんな人にオゴられたくないわ
自分は女の世話になっているのに
どうぞ
女からお金を取るのは得意でしょ
ホリーは高級娼婦で、色んな男を好きにさせておいて逃げまくってるので、まあ良い女ではありません。なのに、割りきれない。悪い女と思われたくない。割り切って悪い女と開き直って稼ぐだけ稼げばいいのに、それは出来ない。
金が欲しいから金持ちに近付いて結婚したいと願う。隠しもせずに。
それなのに浅ましく思えないのは、彼女が振りきれないからだと思います。
彼女は愛は檻だと言う。
人は人のものになんかならない、自由、名無しのネコと一緒よ、と。
You’re chicken.
自分だけは自由の気でいても
生きるのが恐ろしいのだ
自分で作った檻の中にいるのだ
その檻は自分自身だ、お前がどこに行こうともそれはついて回る。なぜならば、自分からは逃げられないからだ
この男・ポールとホリーはいわば両想いなんですが、ポールは金持ちじゃない。新鋭作家で、パトロンである金持ちの女性にお金をもらって生活している身分。だからホリーは愛していてもお金を持ってないポールを選ばない。
でも、選ばない、のではなく選べない、のだと思います。お金じゃなくて、愛が信じられないから。
だけど、人を愛さないで生きていくのは出来たとしてもすごく辛いものだと個人的には思います。愛ほど強い言葉を使わないで言うなら、他人の良い部分を見つけられないこと、悪い部分ばかり見てしまう人は、卑屈な嫌な人というより、苦しんで生きている人のように思うのです。
ホリーは名前を変えて別人になり街を変えることで、過去を捨て自由気ままに生きることを望みますが、そんなに器用な人間じゃないのですね。
それをポールは感じたのでホリーに強く言ったのでしょう。
個人的に、金だけしか信用できないと本当に心から思っている人間は弾き語りなんてしないと思っている。
弾き語りやステージに立って歌ったり演奏したりする人間は、誰にも分かってもらえなくてもいいと口にしていても、潜在的に「分かり合いたい」「認められたい」「自分に気付いてほしい」という気持ちがあると思う。
だって、そんなんないなら家で一人でやればいいじゃんね。
あなたにも気持ちが赤く沈むときがあるでしょ?
ー赤く?暗くだろ?
それは中年すぎた雨の日の単純なユーウツよ
ホリー実は結婚経験があります。突然消えたホリーを探しにきた亭主はホリーがどうして家出したんだろう?と考える。
ラジオより面白い冗談を言っていたのに・・・。なぜなのか?と。
昔はこういうの意味が分からなくて「は?どういうこと?」みたいに感じてたんですが、年取ったのか最近はこういうの大好きになってしまいました。
ユーモアセンス欲しいわ。今一番欲しい。
「ギルバート・グレイプ」のときも思ったけど、タイトルが冒頭で映像の中に出てくるの好き。
ティファニーで朝食をとれるくらいの身分になりたい!っていうのがホリーの願いだったのですが、中盤でティファニーのお店でお菓子の景品についてくる指輪に名前をいれてもらうシーンがあります。
ポールと二人でティファニーに行くも、お金がなくてアクセサリーが買えなかった。
そこで、ポールはおもちゃの指輪に名前を入れてくれないか?と提案する。店員はイレギュラーですが、やりましょう、と快諾。
例えお金がなくても、ティファニーで何かを得ることは出来る。
愛を受け止めることができれば。