深夜図書

書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

若きウェルテルの悩み~恋愛で死ぬなんて、恋愛で追い込まれるなんてバカだなぁって思いますか?~

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≪内容≫

ゲーテ自身の絶望的な恋の体験を作品化した書簡体小説で、ウェルテルの名が、恋する純情多感な青年の代名詞となっている古典的名作である。許婚者のいる美貌の女性ロッテを恋したウェルテルは、遂げられぬ恋であることを知って苦悩の果てに自殺する……。多くの人々が通過する青春の危機を心理的に深く追究し、人間の生き方そのものを描いた点で時代の制約をこえる普遍性をもつ。

 

人妻を好きになったんじゃなくて、恋した人が人妻だった。

そんなウェルテルの苦悩の日々。だけど、苦悩が生まれるのはそれ以上の美しさや感動が先にあったから。

 

 この小説は内容に書いてある通り「許婚者のいる美貌の女性ロッテを恋したウェルテルは、遂げられぬ恋であることを知って苦悩の果てに自殺する」話です。

だけど、それだけじゃないんです。

カトリックが禁止している自殺をやってのけることで、ウェルテルは「自由」も求める。

 

 ウェルテル(というかゲーテ)はこの世界で美を求める。

美しいものを見て美しいと思う自分自身の感情は、道徳だろうか神様だろうが誰にも制御できないし、させてなるものか。

 その意志は永遠に受け継がれて今の時代でも輝いている。

 

 

恋愛がとても美しく見える珠玉の表現たち

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ぼくはもう人間じゃなかった。世界中で一番可愛らしいひとを抱いて、まわりのものがみんな消えてなくなるまで、まるで稲妻みたいに踊りまくるーウィルヘルム、はっきりいうよ、ぼくは誓ったんだ、ぼくが愛し求めているひとにはぼく以外の誰ともワルツは踊らせない、たといそのためにぼくの身が破滅しようとも。 

 

  この小説はウェルテルがウィルヘルムという親友に向けて書いた手紙の連続です。

 

「会えるぞ」朝眼をさまして晴ればれとした気分できれいな太陽を見るとき、ぼくはこう叫ぶのだ。「会えるんだ」と。さて一日中、ぼくにはそれ以外の何の望みもあったもんじゃない。一切合財みんなこの希望の中へのみこまれてしまう。

 

 

彼女がぼくを愛してくれて以来というもの、ぼくはどれほどぼく自身を尊ぶようになっただろう。

 

 

 永久のものは何もありはしない。けれども、ぼくが昨日あなたの唇に味わったあの燃えるいのちは、今もしみじみと感じているあのいのちは、どんな永遠がやってきたって消すことなんかできないのだ。

 

  本書はすっごく綺麗なんです。何が綺麗って表現ももちろんですけど、ウェルテルとウェルテルの思い人であるロッテはお互い心で恋していて肉体関係は一切ないのです。すごく純潔なんです。

昨今の不倫ドラマとか小説とかに慣れてるとびっくりするくらい真っ白なんです。やっとキスしたと思ったらウェルテルはその思い出だけで十分とばかりに死んでしまう。

 

この小説に限らず、美しく切ない小説というのは、肉体関係がないか、あっても描写されていない場合が非常に多いと思う。 

似たような作品なら「ギャッツビー」かな。

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ぼくは実にいろいろなものを持っている。しかし彼女を慕う心がいっさいをのみこんでしまう。ぼくは実にいろいろのものを持っている。しかし彼女なくしてはいっさい無となる。

 

 このウェルテルの表現はギャッツビーの心そのもの。

 

自由を求めるウェルテルの悲痛な叫び

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 そうだ、ぼくは放浪者にすぎぬ。この世の巡礼者だ。しかし君たちもそれ以上のものなのだろうか。

 

 

種のいい馬ははげしくせめられると、息を楽にするために本能的に自分の血管をかみ破るということだ。ぼくもたびたびそんな気になる。血管を切り開いて永遠の自由をえたいと思うのだ。

 

 

 しかしこの世間でだって、誰かが自由で気高い意想外な仕事をやりはじめると酔っぱらいだのばか者だのって取り沙汰をするが、あれも実に聞くに堪えない。無感動な君たち、利口な君たちも、少しは恥ずかしいと思いたまえよ。 

 

  ウェルテルが自分を種のいい馬に見立てて話す場面。ウェルテルの苦しい近況が伝わってきます。

 

恋愛で死ぬなんて、恋愛で追い込まれるなんてバカだなぁって思いますか?

 

 よく恋愛経験は大事だよって言うけれど、私は恋愛経験が表現や芸術に欠かせないことだとは思いません。だけど、まあ大事なことも必要なことも全部ゲーテによって書かれているんですが、恋愛というか、

 

彼女がぼくを愛してくれて以来というもの、ぼくはどれほどぼく自身を尊ぶようになっただろう。

 

この心の動きがものすごく尊いのだと思います。

 誰かに恋をして、相手も自分を好いてくれて、叶わなくても、その体験が自分自身を認めさせてくれる。

怖いのは、自分を尊ぶことが人生においてあまりに重要すぎるのです。

 

その体験は自己を強烈に変化させる代わりに失うリスクもまた強烈なのです。

ハイリスク・ハイリターン。ウェルテルの恋愛は恋愛だけにとどまらず、当事者の二人だけにとどまらず、人生も変えるし、周りの人たちも巻き込むハリケーンみたいなものでした。

 

 恋愛が全てハリケーンなわけじゃないとは思います。凪いでいる恋愛もたくさんあると思う。だけど、時に恋愛ってDEAD or ALIVEみたいなとこあるじゃないですか。それだけ深くコミットするのは恋愛だけじゃないのかな。愛した男が父で、兄で、弟で、友達で、恋人で、親友だったりして、もう色んな肩書きやカテゴライズに収まんなくて私の男になったりするじゃないですか。

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現代の若者の恋愛離れって、実は潜在意識でこういう心理が働いてるんじゃないかなって思う。恋愛を拒否るって一種の生存本能な気がしてならない。怖いんだよ、恋愛って。なんか恋愛=当たり前に皆ができること、スタンダート、楽しいキラキラみたいになってるけど、ウェルテルやギャッツビーレベルになったらバッドエンドしかないもん。自分は大丈夫なんて1ミリも思えない。愛に保証つけて!

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誰もが持ってる一番大切なもの

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 それに公爵はぼくの心よりも、ぼくの理知や才能のほうを高く評価しているんだが、このぼくの心こそはぼくの唯一の誇りなのであって、これこそいっさいの根源、すべての力、すべての幸福、それからすべての悲惨の根源なんだ。ぼくの知っていることなんか、誰にだって知ることのできるものなんだ。-ぼくの心、こいつはぼくだけが持っているものなのだ。

 

  ゲーテの時代からもうすでにこういう思想があったんだな、と思った。今の方がもっともっと「ぼくの知っていることなんか、誰にだって知ることのできるものなんだ。」って身に沁みて分かると思う。

 

 もう自分が知ってて他人が知らないものなんて、自分自身の心の内しかないんじゃないかってくらい情報が溢れてる現代だけど、「このぼくの心こそはぼくの唯一の誇り」は今の時代も変わらない。

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  • 発売日: 1951/03/02
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 文学読んだって感じでした。ユーモアはないけど、表現がこれぞ文学!って感じで美しかった。ゲーテ美しいな。