≪内容≫
精神を病んだ犯罪者だけを収容し、四方八方を海に囲まれた「閉ざされた島(シャッター アイランド)」から一人の女が姿を消した。島全体に漂う不穏な空気、何かを隠した怪し気な職員たち、解けば解くほど深まる謎……。事件の捜査に訪れた連邦保安官テディがたどり着く驚愕の事実とは!?
これもテディかよ!もうテディという名前がうさんくさいよ!!と思ってくる。笑
レオは今回も水に浸かってました。
人は記憶を美化する
シャッターアイランドに調査にやってきた連邦保安官・テディが見る夢はすごくきれいなんです。(あれこれギャッツビーだったけ?と思った。)絵からしてカラフルで光も射してて美しいでしょう?これは本当にあったシーンではないかもしれない。
私たちも昔のことを語るとき、それが幸せだったときほど盛ったりしませんか?あの頃はお金もなかったけど時間だけはあってさ・・・とか語るときの脳内映像って鮮やかな夕日とか、花火とか、そういう美しい背景になってませんか。
そもそも人の記憶はどこからが正しくてどこからが間違ってるかなんて誰が分かるんでしょうね?記憶を美化することもあれば、ものすごく卑下することもあるし、目で見た光景をそのまま脳内にとどめておけるのかも謎。
さらに言えば、同じ写真を見た人間たちの脳が全て同じように認識するのも謎。
さて、本題ですがテディは過去、ダッハウ収容所に乗り込んだ米軍でした。そこで、ナチスたちを撃ち殺します。たぶんこのことですね。
なのに、今の自分はナチスたちがやったことと同じ場所にいる。あの時は、自分が救世主であり敵を撃ち殺す側にいたのに、今はあのときの自分が殺した監視兵の立場にいる。
あの時、自分は解放軍として収容所にいる人たちを助けに行った。そして助けられなかった命があった。
そして今また自分はそのような場所にいる。前回の収容所のような見るからに分かる悪ではなく表向きは医療をうたっている精神病島に。
結局自分の大切な人達は全て助けられなかった。そして我が国でもナチスと同じことが起きている。なら、自分がやってきたこととはなんだったのだろう?そんな悲しみが伝わってきます。
この映画、宗教はほとんど出てこない(と思う)のですが、ナチスとロボトミー手術が出てきて、最後のテディのセリフを考えると、どれだけ科学が宗教理論を潰していっても宗教は残るだろうな、と思うのです。
科学の力であるロボトミー手術を受ければ攻撃性は失われいわゆる善人になれるかもしれない。
ロボトミー手術の映画はこちら↓
対して宗教の力というのは、ありのままの自分をいかに善人に近づけるか、というものである。
先進国のほとんどで、良い種だけがあれば優秀な国になれる、問題のない国になれる、そう思って非人道的なことをしてきました。日本だって、障害者の女性に対して強制不妊手術を行ったというニュースがありました。
ゴキブリはすごい嫌いだけど、もしゴキブリを一匹残らず死滅させる薬が出ました!と言われたら、わー!って喜んだあとすぐ「でも・・・大丈夫かしら?」と不安になりませんか?そんな劇薬を作れるところがあるんだ・・・という恐れが潜んでいると思うのです。
自分の嫌なものは避けたい、でもその一方で本当にそれが叶えられてしまったら脅威を抱く。科学とは自然に害を及ぼすものだから。そして我々は発展を望むくせに本質も大事にしたいのだ。
だから科学と宗教の間で彷徨うか、その真ん中でいいように摘まんでしまうのが私の理想です。どっちかに振れたら今のところ破滅しか想像できないから・・・。