深夜図書

書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

【映画】三度目の殺人~社会は全ての人間の基盤でありながらときにそのシステムが殺人を犯す~

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≪内容≫

それは、ありふれた裁判のはずだった。殺人の前科がある三隅(役所広司)が、解雇された工場の社長を殺し、火をつけた容疑で起訴された。犯行も自供し死刑はほぼ確実。しかし、弁護を担当することになった重盛(福山雅治)は、なんとか無期懲役に持ちこむため調査を始める。何かが、おかしい。調査を進めるにつれ、重盛の中で違和感が生まれていく。三隅の供述が、会うたびに変わるのだ。金目当ての私欲な殺人のはずが、週刊誌の取材では被害者の妻・美津江(斉藤由貴)に頼まれたと答え、動機さえも二転三転していく。さらには、被害者の娘・咲江(広瀬すず)と三隅の接点が浮かび上がる。重盛がふたりの関係を探っていくうちに、ある秘密に辿り着く。

 

 

裁きと罪はすぐ近く

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 主人公の重盛(福山雅治)は、娘と上手くいっていない。

そして犯人の三隅(役所広司)も娘と上手くいっていない。

被害者の娘・咲江(広瀬すず)は殺された父親から性的虐待を受けていたと告白する。

 そんな三人が雪山で楽しく遊ぶ光景が導入されている。

 彼らに血縁関係はないし、この映像は誰かの真実なり記憶というわけではない。

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 この絵、咲江(広瀬すず)と重盛(福山雅治)の間に線があるのですよね。

この線が意味するのは、重盛(福山雅治)の親父の発言にありました。

 

殺す奴と殺さない奴の間には深い溝があるんだ
それを超えられるかどうかは生まれたときに決まってる

 

 おそらくこの事件の犯人は咲江です。

 先に溝を超えたのが三隅、次が咲江、そしてその溝の近い場所にいるのが重盛です。三隅の右手が線からはみ出てるのは死刑確定により、あの世への境界に片足突っ込みだしたということ。

 三隅と咲江を囲っている線は裁かれる側を意味し、重盛りは裁く側を意味している。

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なに子供みたいなこと言ってるの?

その汚いお金であんたここまで大きくなったんじゃない。

 

  彼らは皆上手くいっていないのだけど、だからと言って皆が溝を越えるわけじゃない。

 社会は全ての人間の基盤でありながら、全ての人間を掬い取る受け皿にはならない。ときにそのシステム自体が殺人を犯すこともある。

 大勢の人間からしたら自分の生活を守ることが大事なわけで、真実は二の次なわけです。事件が起きたら興味は持つし、もちろん真実も知りたいけれど、それは黙っていても裁くべき場所と人が解決してくれる。我々はそれを自分の生活を守りながら待っていればいい。

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 それが間違った判決だとして誰が気付けるでしょうか?

 三度目の殺人を行ったのは我々なのだと、それが大衆であればどうやって裁くことができるのでしょうか。

三度目の殺人

三度目の殺人

 

 邦画ってほんと辛いものです。