≪内容≫
それは、ありふれた裁判のはずだった。殺人の前科がある三隅(役所広司)が、解雇された工場の社長を殺し、火をつけた容疑で起訴された。犯行も自供し死刑はほぼ確実。しかし、弁護を担当することになった重盛(福山雅治)は、なんとか無期懲役に持ちこむため調査を始める。何かが、おかしい。調査を進めるにつれ、重盛の中で違和感が生まれていく。三隅の供述が、会うたびに変わるのだ。金目当ての私欲な殺人のはずが、週刊誌の取材では被害者の妻・美津江(斉藤由貴)に頼まれたと答え、動機さえも二転三転していく。さらには、被害者の娘・咲江(広瀬すず)と三隅の接点が浮かび上がる。重盛がふたりの関係を探っていくうちに、ある秘密に辿り着く。
裁きと罪はすぐ近く
主人公の重盛(福山雅治)は、娘と上手くいっていない。
そして犯人の三隅(役所広司)も娘と上手くいっていない。
被害者の娘・咲江(広瀬すず)は殺された父親から性的虐待を受けていたと告白する。
そんな三人が雪山で楽しく遊ぶ光景が導入されている。
彼らに血縁関係はないし、この映像は誰かの真実なり記憶というわけではない。
この絵、咲江(広瀬すず)と重盛(福山雅治)の間に線があるのですよね。
この線が意味するのは、重盛(福山雅治)の親父の発言にありました。
殺す奴と殺さない奴の間には深い溝があるんだ
それを超えられるかどうかは生まれたときに決まってる
おそらくこの事件の犯人は咲江です。
先に溝を超えたのが三隅、次が咲江、そしてその溝の近い場所にいるのが重盛です。三隅の右手が線からはみ出てるのは死刑確定により、あの世への境界に片足突っ込みだしたということ。
三隅と咲江を囲っている線は裁かれる側を意味し、重盛りは裁く側を意味している。
なに子供みたいなこと言ってるの?
その汚いお金であんたここまで大きくなったんじゃない。
彼らは皆上手くいっていないのだけど、だからと言って皆が溝を越えるわけじゃない。
社会は全ての人間の基盤でありながら、全ての人間を掬い取る受け皿にはならない。ときにそのシステム自体が殺人を犯すこともある。
大勢の人間からしたら自分の生活を守ることが大事なわけで、真実は二の次なわけです。事件が起きたら興味は持つし、もちろん真実も知りたいけれど、それは黙っていても裁くべき場所と人が解決してくれる。我々はそれを自分の生活を守りながら待っていればいい。
それが間違った判決だとして誰が気付けるでしょうか?
三度目の殺人を行ったのは我々なのだと、それが大衆であればどうやって裁くことができるのでしょうか。
邦画ってほんと辛いものです。